バブサール峠

KKHは1978年にできたとか。それ以前に使われていたいた道を通って見よう、と言うことになり、パキスタンにおけるシルクロードの一つである、旧街道を通ってスストからイスラマバードまで帰ることにした。街道はKKHを通ってチラスまでは同じ、チラスからKKHと別れ南下し、タサール村を通ってバブサール峠にいたり、下ってナラーンからカガンバレーに沿ってアボッタバードへ、そしてイスラマバードに達する。まずはスストからフンザへ、ここで二泊してチラスへ向かう。車はどういう訳かジープ、もっと乗り心地のよいやつないのかいな、とガイドのナウシャッドに強請ったが、ニタット笑って、これで行きましょう、と強引にジープに乗せられた。チラスは暑い。暑くて不愉快なだけである。記録帳には、蒸し暑い、とだけ記されていた。(写真はバブサ−ル峠)

8月30日(晴れ)
チラスを6時半に出る。ホテルはKKH沿いにあり川側にあるホテルシャングリラと道を挟んで対峙しているパノラマホテル。ホテルの裏の丘を登って北へ進むとチラスの町中に出る。バザールもあってちょっとした町である。この町並みはKKHからは見えない。町を通り過ぎてさらに進と、インダス川にそそぎ込んでいる狭い谷に出くわす。この谷を溯っていくと次第に谷は開けて行き緑豊かなタサールの谷へと変身していった。麦畑が穂を実らせている、その合間をすり抜けるように、細いデコボコ道が続いていて、時には屋敷内かと思うようなところを通って、どんどん高度を上げていった。麦畑がトウモロコシ畑に代わり、バブサール村を通り過ぎ、やがて畑もなくなり、放牧地になり、バブサール峠への登りにさしかかった。(写真はKKH沿いの食堂)ここで眼に飛び込んできたのは、壮絶な自然破壊、とでも言うのかしばし絶句するような光景であった。峠からの大斜面は、一面切り株のオンパレード。その切り口から推すに直径5,60pはある、松の大木を切倒したあとである。以前は広大な斜面を鬱蒼とした松の大木が覆っていたのだろうが、無惨な姿になって我々に哀れを乞うていた。チラスの町に山と積まれた材木があちこちに見かけられ、いったい何処から運んできたのか不思議な思いであったが、これで謎は解けた。それにしても、切り倒したあとの植林の気配は全くなかった。3,000mを遙かに越えた高山である。ここを元通りにするには、どのくらいの経費がかかるのか、どのくらい年月がかかるのか、おそらく今世紀中には無理であろう。ここを過ぎるとまもなく峠。
  峠は広かった。資料には4563mとあるが、我々の高度計は4,155mを指していた。
どこを指して峠とするかで高さも違うのだろう。我々の通っている道が峠とはかぎらないから。美ヶ原を美ヶ原峠とよんでいるようなものだ。峠からカシミールの山々が遠望できた。下りは氷河の削り取った広い谷に沿って降りて行く。やがてムルサール湖と呼ばれている氷河湖のような自然のダム湖のような湖にでた。ここで昼飯。食事中に大型のワゴンが通り過ぎていった。この車すぐ先で立ち往生していた。その先にある木橋が壊れていた。巾10mほどの川に太い丸太を三本渡して、そこに横板を並べた粗末な木橋なのだが、その横板が半分ちかく無くなっていた。ワゴンの運ちゃん途方に暮れていた。あまり経験豊かではないようだ。我々の運ちゃんはかなりのもので、橋板をあるぶんだけ手前に並べ、そこにジープを乗り上げ、ぎりぎりまで前進させて、後ろの余った板を車の前に運んで並べ、それを何回も繰り返して、尺取り虫の方法で渡りきった。方法は誰でも思いつくのだが、車を僅か50pほど動かす少しでも過ぎると、川に転落、てなことになりかねない。ようは技術と度胸の問題である。結局ワゴンも我々の運転手が操作して渡してやった。車はさらに下って一面ぬかるみになった広い原っぱに出た。浅いところを選ってやっと通り過ぎたが、ジープでやっと通れたこのぬかるみ、ワゴンで通れるのか、彼らが心配である。道はここから山腹を巻いて走る。これが一番の悪路。道幅は2メートルあるなし、そしてカーブしている路肩が谷側にかしがっているのだ。そのたびに足をつっぱるのだが、無論何の効果もない。恐怖の一時間であった。ガイドのナウシャッドが意味ありげに、ジープで行きます、と言った意味が解った、これじゃジープでなけりゃ走れるものではない。後は自転車かバイク。そう言えば来るとき、バブサール村で、ジープ2台を伴ったヨーロッパ人の自転車部隊が10人ばかり上から降りてきたのに出会った。悪路はジャルカット村に降りて終わった。あとはナラーンまで広い道路を駆けていった。ナラーンはリゾート地である。広い松林の中にホテルがあり、周りにバンガローが点在している。谷川にはニジマスがいて釣りも出来、食事のメニューにも載っていた。近くには氷河湖のようなセープル湖もあって、見学に行ってみたがたいしたことはなかった。ものの本には、サイフルムルク湖と書いてあるが、同じ湖と思うが、ガイドの言う名前で、記しておきました。ナラーンまで10時間の旅であった。

8月31日。
ナラーンからバラコットへカガンバレーを下る。道は広い8mくらいはある。広いと言うよりも広げている、と言った方がより正確である。バラコットまでそうである。この工事は国家プロジェクト。昨年KKHのダッソーとチラスの間にダムが出来る、日本も援助するらしい、と聞いたことがあったが、どうやらほんものらしい。この工事はそれに伴う道路の付け替え工事で、チラスまで通すそうな。お陰で昨夜降った雨で早速出来た土砂崩れも、待機していたブルドーザーで素早く取り除いてくれ、そんなに待たずにとおれた。彼らも土砂崩れが起きそうなところは、あらかじめ予想がついているのだろう、彼らにしては、対応がはやかった。かつて賑わったであろう旧道が、KKH開通で寂れ、今又日の目を浴びんとしている。沿道の人達の生活がどう変わっていくのだろうか。山間部で出会った人達の中に、鉄砲を持った人が幾人かいたが。治安があまり良くないと言われている奥カガンバレーに日の目が当たり、悪い噂も一掃される事を期待したい。

9月1日。
月が変わった、我々の旅も終わりに近づいた。正直疲れた、車疲れである。
8月の23日から今日まで10日間、ズーッとジープに乗ったままである。尻に車ダコが出来たのではあるまいか。ガンダーラ遺跡で有名なタキシラの町を通り過ぎて、イスラマバードまでがやけに遠かった。


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