スタッフ達

(写真はスタッフ達 左から ニガバン・シャ−、アリ・ムサ、ナウシャッド)
ガイド。ノウシャド・カーン32歳
3人の子持。ナンガパルバットの麓タルシン村出身で 村長の息子である。今回甲南隊のガイドでは無かったが、予定のガイド「イッサ」が下痢で急遽参加となった。
イスラマバードにトレックから帰ってきてすぐ出発で着の身きのまま、彼の荷物は3日遅れてスストにきた。甲南隊としては昨年の顔なじみで何かと好都合であった。どこからとなく「パニ・酒」を見つけてくる。ローカルの汚いレストランで平気なのを知っていて、気兼ねせず案内しHTLの飯よりうまかった。9月1日甲南隊と一緒にイスラマバードに帰ってきたとたん、明日からトレックいわれ、顔見たら流石にげっそりしてた。
 帰国後2回メイルをくれ、お礼と今回の行動で至らぬ点あれば指摘下さいとあった。

コック。イブラハーム25歳
小柄だが既婚2人の子持ちである。昨年はやたら「オクラ」の料理が多く閉口したが、平井先生に何か言われたのか?・・・オクラはまったく出てこなかった・・帰国後平井先生  
に聞いたが私は何も言ってませんとの事だった。
 飯田の指導で日本料理を覚えランチの海苔巻は最高、ヒットラーに似ておりぼそぼそしやべるが 無口で手抜きなく帰国のとき空港まで送ってくれた。

ハイポータ。アリ・ムサ 29歳独身
 シムシャール出身。カラチの大学中退。
2000.7.29 ブロード・ピーク「8035M」前橋山岳会。名塚秀ニ隊長と2名で登頂・・
 山渓11月号に報告ありますが編集都合か、アリ・ムサの名前ありませんので記します。
彼の卓越した登山技術と体力は昨年で立証済みであり甲南隊に参加前、日本人と2人で
ブロード・ピークを登頂したときの行動を聞いたとき一体どんな体しているのかと驚嘆した。上部の胸までのラッセルをこなし、5200Mから第4キャンプ7300Mまで1人で6時間で行ったと聞いた。
 ミンタカでも甲南隊が2泊3日であるいた道を8時間できたし、彼に疲れないかと聞くと山で疲れたと思ったことは無いと答えた。
 しかし流石に高所での連続行動のせいか、肉が落ちており体は昨年より小さく見えた。
英語に加えて日本語も覚え、サーブに対する態度はきわめて謙虚、ジアラットについたとき村人が寄ってきて彼が有名人であることを知った。
8000M登頂の勲章を得て、今後売れっ子になるだろう。

アシスタント・ハイ・ポータ。 ファザール・カーン50歳
 シムシャール出身で、アリ・ムサの叔父である。始め紹介されたとき風貌が僕の亡くなった親父に似ており親近感をもった。英語があまりできぬせいもあるが無口で彼から話してくることは無く、イブラハームの横で料理の手伝いをよくしていた。鍛えあげた体は素晴らしく、甲南隊に参加の前デュランに行っており5200Mで天気悪く撤退したそうで、イタリヤ隊2名が雪崩で遭難と話してくれた。
行動中は常に最後尾にいて先行者がいかに先行しても、遅れてる人の後にぴったり付き添い黙々と歩いていた。

・・帰国・・
 イスラマバードで2日間ニッパ・トラベルのゲスト・ハウスに滞在する。今回パキスタンで泊まったどのHTLよりも立派である。
 本棚に日本の本があり暇で5冊読んだ。このゲスト・ハウスのレストランで晩飯に「握り鮨」が出てきたのには感激。又、機内食にと握り飯を作ってもらいこれは美味かった。帰りの飛行機は奇跡的に成田着定時であった。

あとがき
黒光した岩壁沿いのカラコルム・ハイウエイ、インダスの濁流、バザールの賑わい、蝿がぶんぶんの食堂を過ぎれば、高山の花や放牧の山羊、牛とハーブの香りに包まれた テント場、そこでの乾いた空気や氷河の眺めは僕を虜にします。
しかし最新の装備に包まれて快適に過ごす僕達に比べ、チャパティとお茶、毛布一枚で高所を過ごすポータ達を見てると、持ち物多きがゆえになんと無駄の多いことと考えてしまいます

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