計画の発端から出発まで

                                                      米山  悦朗

  相変わらず山岳部入部者の応募が少なく、活動の目玉として未知探検の好奇心を満たせるステ−ジとして、且つリスクを最小限に抑えつつ話題性にとむ場所を調べた結果今回の計画に絞りこむこととなった。
  すなわち多少の登山技術は要求されるが、オ−バ−60でも可能なら5,000m級の山でなお且つ誰も登った事のない山、現役が自分の力で登れる山という条件で探してキルギス峠の両側にある、ピ−クを洗いだすことができた。
  又、歴史的興味を満たすトレッキングの対象として、ほとんど人が入っていない場所を探し昨年解禁となったミンタカ峠がうかんできた。
  最初はパミ−ル高原の最南端のシムシャ−ルを対象としたが、あまりにも遠すぎロジスティックの問題がありあきらめた。
   さらに、登頂を一番として、もし時間の余裕ができたとき中国に行き、カラクリ湖まで行けば、私と飯田としては個人的には、ウルムチを出発してカシュガル経由クンジェラブ峠を通り、ガンダ−ラまでシルクロ−ドを歩いたことになり、二番目の計画として、現地との交渉を重ねたがはっきりせぬままの出発となった。
  ミンタカ峠周辺に関しては、ヒマラヤ協会の松館氏より資料提供いただいたことを誌上を借りてお礼申し上げます。
(写真はパッキリピ−ク頂上の米山隊長)

現地行動について
  詳細な行動記録等は、飯田、雨宮、池内の紀行と報告を参照ください。
特に今回遠征で留意したことは昨年の経験をふまえ、稿所対策に極端なくらい配慮し順応は上手くいったが、やはりキャラバン開始までの時差の影響、車での1日12時間の行動が影響し下痢ほかの体調不振は逃げられず、現役池内以外は多少の差はあれ苦労した。
  又今回中国側が一部欠落するものの、カラコルム・ハイウエイが閑静する前の旧シルクロ−ドもミンタカ −ススト−チラス−バブサル峠−カガン渓谷を行ったことによりカバ−することができた。

パッキリピ−ク登頂
8月21日  晴れたり曇ったり
  不安定な天気であるが中間から上は薄く雪が積もる。峠の頂上のAC4,800mには9:30到着。キャンプサイトは雪と岩だが小川が流れ水の確保はできた。5:30に出発し先行し左側雪のピ−クでル−ト工作しているアリムサとニガバ−ンがみえる。
  この二人が11:00に戻ってきたので状況を聞いた上不安定な天気の晴れ間をぬって両方のピ−クに登ることを決定する。
  左側のパッキリピ−クには米山と池内がアリムサとニガバ−ンと一緒に登り、右側のボボンピ−クには雨宮と飯田、ファザルカ−ンが登ることにした。
  出発 12:00、峠のACにすでに新雪が0−50センチ積もりアイゼンをはいた上でラッセルとなった。出発してしばらくすると35−40度の急な坂となりフィックッスザイル5本約300mはってあっり、この登りでは肺が胸から飛び出すのではないかと思うほどだがハイポ−タ−はけろりとした顔で歩いている。その後、新雪の下にクレバスが数個あり、アンザイレンして頂上までゆきケルンを積む。
   頂上着13:30、ここはガラ場の狭い場所で人一人やっと立てるくらい、アンザイレンしたまま記念写真を写す。池内は男の美学でザイルをはずし高度計で計測。黄土は5、220mを示していた。
  夕方雪が降り始め寒い。ダウンジャケット、オ−バ−ズボンなど手持ちの衣類全部を着て寝袋にもぐりこむ。ハイポ−タ−はけろりとした顔をしており我々も年をとったものである。

2001年計画
  平井一正先生が計画されている、東チベットの念青唐古拉山脈中段の唐拉山 "6,330m" 、又はその近辺の未踏峰への遠征か、今回あきらめたシムシャ−ルからパミ−ル高原を候補としている。

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