西チベット紀行・・横断6000キロ

 期間 4月15日―5月13日
 参加 米山 雨宮
2001年ラサから昆明迄3000キロ・・川蔵北路
2002年ラサから新疆ウイグルのカシュガルまで3000キロ・・中尼公路と新蔵公路


ブランドあふれる都市・ラサ
SOMY . ZONY ・・電化製品
SUZUKL .HONNA・・オートバイ
KONNKA・・電化製品  などが多く笑ってしまいます。


ラサから麻礼「martsa」
4月26日ラサ着。即カンパラ峠4700mに上がり下ってラサ3750mに滞在し高所順応。
当日夜少し頭痛い。翌日今回行く先のパーミット取れずやむなくラサ滞在、見学と順応を兼ねて甘丹寺4300mに行きぶらつく。
事前のパーミットの取得は、旅券のオリジナルが必要ゆえ現地入りしてからしか申請できぬのが遅延の理由である。結局ラサ滞在3日目の夕方やっとパーミット取れ、夜飯食ってから、シガッエに、深夜ホテル着。翌日から拉達―桑桑―パヤーンーサガーターチンーツアッタ―アリードマルー紅龍灘―麻礼の間、"走っても、走っても" 赤茶色の高原と砂埃の舞う悪路、凍りついた川と雪田だけ、特に5月07日ドマルから紅龍灘の間の約7時間、高度計は5000m以上、麻礼3785mで昼飯を食ったときは酸素の濃さに感激する。   途中招待所、住宿の泊まりの値段は1泊300円から600円位、あたりまえだが洗面 便所 暖房なし、シラフにもぐり込んでじっと体の温まるのを待つが年のせいか暖かくなるのに時間がかかる。つらいのは夜中の小便で部屋のすぐ前での用足しは便利だがシラフにもぐるとき息が弾んで座って腹式呼吸で弾みを押さえぬと眠れない。
途中行き交う車は軍隊の車と物資輸送のトラックが数台のみで、我々のような旅行者は皆無、たまに放牧の羊の群れが景色に飽きた目を慰めてくれる。
期待のカイラスはばっちり見えたが ナム・ナニ、マナスルは曇りでみえず残念。

放牧の羊 聖地カイラスへの巡礼者 標高5,000m付近砂埃の砂利道 牧のチベッタン移動中
チベッタンの少年 真中三角の尖った山がカイラス グゲの村のホテル 札達のグゲ王国の遺跡


麻礼からカシュガル
麻礼から2時間走って道は下降し高原から峡谷の道、赤茶色の岸壁のへずり道でカラコルム・ハイウエイと様子が似てる。
庫土地「クデー」は軍隊駐屯の町でなんと舗装のポプラ並木道が出現、高さも3.000mを切りもう寒さに震えることもない。ここの住宿でつい癖になった小便を適当に表でしたらウイグル族のオバチャンに怒鳴られて、たった一枚の貴重なチョコレートを進呈して堪忍してもらう。叶城「イエーチェン」で15日ぶりにシャワーパンツ履き替えと時、車中震動防止の3点確保のせいで、尻の部分完全に摩擦で消滅してました.
 

グゲに無数にあるチョルテン 庫土地(クデ−) カシュガル 蒸かし饅頭 カシュガル最大のモスク


食事
道中の食事は、羊とピーマンを味噌風味で味付けしたチベット風のうどん、野菜と羊肉
のスープ、まったく何もないところはカップ・ラーメンのみ、お茶はバター茶か、普通のお茶、標高が4000mをきると、鶏や野菜が豊富、今回は昨年に懲りて唐辛子、チリを除いて調理してもらい栄養失調からは免れる。値段は4人で300円から700円くらい。びっくり価格はカップ・ラーメン1ケ75円と超高、もっとも この飯屋にはこれしかなかったので仕方ない。 
ラサで積み込んだ缶ビール20本「米山専用」は途中3本が破損、彼は高所でも平気でビールを飲んでました。
トルコ系ウイグル族
庫土地からは漢族、チベット族、回族に混じって彫りの深いウイグル族が多く、新疆ウイグルのの辺境、阿里から叶城「イエーチェン」は、モスク、女性のターバンとイスラム風俗、久しぶりにシシカバブ「串刺し焼肉」を食べる。


上海
一人子政策の徹底で老いた父母の面倒みれず「老人院」なる養護施設があるそうです。
飽くなき富の追求と都市の荒廃に背を向けて「祈りの世界」に生きるチベットの人達には無縁の世界です


ガイド 辺巴 次仁・・パサーン「チベット族」
25歳独身。ラサからシガッツエまで1日だけ彼女が同行しました。勿論我々の許可を得てからです。17歳のとき15歳の友人と2人でチョモランマとチョーオーユーの間の
シャルコンブー峠を越えラサから徒歩23日かけてインドに、5年滞在英語覚えてチベットに帰国。


ドライバー 史 万涛・・シャクタンオー「チベット族」
27歳既婚。昼休み、夕食後必ず車の手入れをしていました。年代物のトヨタ製ランクルは例によってタイヤの溝がはっきりせず、昨年は散々な目に会いましたが、今年はガス欠のエンスト1回のみ、悪路の震動は両足と尻の3点確保でふんばって無事「天上の道」を通過しました。

(雨宮宏光記)

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