川野幸彦の山日記2年生時代
2年生時代)1978年4月〜1979年3月
・
メンバー
@
5年:納富
A
4年:大庭 川口 中辻 豆田 村岸
B
3年:要 住友 薮内
C
2年:今井 川野 宮田 山本
D
1年:青木 大勝 西岡 森田 ラルフ=プチャルスキー みれいちゃん
(1年生の紹介)
・ 青木:経営学部。炭屋さんのぼんぼんで性格温厚・人当たりも良く素直な性格であった。残念ながら2年生の途中からマネージャーに転向した。長身で人口登攀では間隔の遠いボルトダラーで力を発揮出来るのを期待してのだが。
・ 大勝:理学部。“お兄ちゃん”とも呼んでいた。人柄も良く優しかった。岩登りは今ひとつで結構ビビリでもあった。懸垂が1回も出来ないのは、豆田さん以来か?2年の時にクルマを購入。これでよく山に行った。
・ 西岡:理学部。少しあわて者で岩登りでの墜落や怪我が一番多かったような気がする。まあ、そこが憎めないところでもあった。森川正太似。人柄も良かった。
・ 森田:経営学部。私と同学年。山本とは甲南高校時代の同級生。2年生の1年待遇。彼もまたぼんぼんでフェアレディZに乗っていた。残念ながら1年間で辞めた。山岳部に入ったこと自体が不思議であった。私とは気が合った。
・ ラルフ=プチャルスキー:米国からの留学生。身長185cmの痩せ型の白人。「プチャ」または「プチャやん」・「毛頭」と呼んでいた。彼に関するエピソードは多い。追って紹介しよう。
・ みれいちゃん:文学部。女子マネージャー。名字は忘れた。当時の“4年生大学”としては極めて珍しい“推薦”により入学。4月頃に入部し数ヶ月で辞めた。私の在学中は3人のマネージャーがいたが中辻さん以外は数ヶ月で辞めている。マネージャーが短期間で辞めるのは、部員が女子に対しての接し方が、よく分からなかったのが原因だと思われる。
3/31部会で幹部交替があった。冬の剣岳北方稜線を目標に頑張るつもりだそうだ。自分も2年になり頑張りたい。
(回想)
リーダー会はヤル気十分だった。そのため、この年は結構危ない所へも行き“ヤバイ”ことも多々あった。また、今振り返っても、この年が部員も多く一番充実していたと思う。この後、部員は減り続け衰退していった。2年になり下級生もでき、体力的にもかなり余裕が出来た。ただ、はっきり言って、この1年の全ての合宿・山行はきつかったが。
◎4月15〜16日(土 日)土日山行 六甲山ロックガーデン 甲南大学山岳部
15日(土)晴れ
13時半に学校を出発。16時前にTSに着き、直ぐに登りに行く。今日はとても暑くしんどい。“ブラック”と呼ばれる岩場で確保の練習をする。全て一発で決める。1本、岩を登るがとても恐ろしい。1年生の西岡もよく頑張っている。夜、納富さんも交えて酒を飲む。
16日(日)曇り
朝、ガスがかかり今にも降り出しそうな天気。しかし、キスリングを担ぎ“墓場”付近にアイゼンワークに出かける。最初は確保の練習。その後、要さんと近くをさまよう。八ツ峰と呼ばれているピナクルの続いている側壁を2本登る。ボロボロに風化していて緊張の連続だ。1本目。弱点を突いてルートを取るが、途中で行き詰まり立ち往生。要さんに助けを求めザイルを引っ張って吊り上げてもらう。2本目はバンド沿いに登るが、ここも悪く緊張する。昼食後、渋谷さんが現れる。昼からは山本と組む。悪い岩稜を3本。落ちそうになりながら登る。とても怖い。14時過ぎにロックガーデンを出る。学校まで1時間だった。
◎4月22〜23日(土 日)土日山行 蓬莱峡 甲南大学山岳部
22日(土)晴れ ボッカで蓬莱峡まで
体育会のアスレ祭があり、僕以外の全員が行進のみ参加。14時過ぎ学校を出る。宝塚から塩尾寺まで行き、そこで砂を入れる。1年35kg・2年50kg・3年45kg。ここから東六甲縦走路を2P程歩きハイウェイに飛び出し、それを辿り蓬莱峡へ向う。蓬莱峡源流からはヘッドランプを付け小滝を幾つも下る。19時半頃TSに到着。納富さん・川口さん・豆田さんが来ていた。
(回想)
“アスレ祭”。体育会の何かだったが殆ど記憶にない。体育会上げての新人学生へのアピールの場であったのかも知れない。
23日(日)晴れ後曇り
朝、平井さんが突然現れ、たたき起こされる。昨夜は寒さで余り眠れなかった。午前中は豆田さんとロウソク岩の辺りをさまよう。昼からもアイゼンで大屏風と小屏風を登る。恐ろしい。最後にビブラムで凹角を登りセカンドでスリップ。手を切る。もう二度と凹角へは行かない。帰りは阪急がストのため国鉄で帰ったので時間を喰った。
(回想)
私が高校・大学の時は頻繁に“国鉄のスト”があった。今では考えられないことである。それも1日や2日でなく平気で1週間ぐらいやった。“JR”でなく、“国鉄”の古き良き時代であったのかも知れない。団結の国鉄!利用者へは迷惑であったが。
◎4月27日〜5月5日 五月合宿 剣岳:縦走(馬場島⇒ブナクラ乗越⇒剣岳⇒三田平)
定着(三田平) 甲南大学山岳部
【参加者】( )は学年
・ 縦走隊:川口(4)・薮内(3)・宮田(2)・川野(2)
・ 定着隊:納富(5)・豆田(4)・要(3)・住友(3)・今井(2)・山本(2)・青木(1)
西岡(1)・渋谷(OB)
【計画】
・ 縦走隊:ブナクラ谷⇒北方稜線⇒剣岳⇒三田平
・ 定着隊:室堂⇒三田平
・ アタック対象:八ツ峰(主稜・T峰三稜/四稜/三ノ沢〜マイナーピーク)・東大谷(中尾根/駒草ルンゼ/G1)・源治郎尾根主稜・前剣(西/東尾根)・雄山三尾根・毛勝谷・剣岳・奥大日岳
27日(木)離阪
23:15発「立山3号」で離阪。平井さん・早川さん・村田さんは嫁さんを連れてこられた。井上さん・朝倉さん・松下さん・中辻さん・西垣さん・WVの人の見送りを受ける。19:30頃、泉尾高校の後輩が来たと今井から聞く。ありがとう!
(回想)
この剣岳北方稜線縦走は、来冬の偵察も兼ねていた。北方稜線の核心部は赤谷山から本峰までで「詳しく見てくるように。」と指示されていた。出発前、余りの大きさのキスリングに嫌になった。このような重装備で素早く動けるのか不安になった。実際、軽装の社会人パーティに多数抜かれ、悪い箇所では非常に緊張した。この荷の多さは、“ある程度の荷物を縦走隊も定着合宿に備えて持っていく”との取り決めがあったからである。まあ、定着隊も凄い荷物で、こちらも余り強くは言えなかった。
28日(金)晴れ後曇り 馬場島⇒ブナクラ乗越 縦走隊:川口 薮内 宮田
5:50富山着。定着隊と別れる。新聞記者が一人現れ我々の写真を撮り盛んに質問をしてくる。この記者から3月頃、早稲田大学の人が平蔵谷に転落して、まだ遺体があるのだと聞いた。ここから富山電鉄で上市に向かいタクシーで馬場島を目指す。しかし残雪のため馬場島まで2時間程手前(大熊谷出合)で降ろされる。所々に残雪が残っている車道を、剣岳を見ながら行く。天気が良く気持がいい。馬場島で登山届を出しブロック雪崩に注意するように言われる。今年は例年になく雪が多いそうだ。レリーフに黙祷後に出発する。ブナクラ谷出合までトレースがあり、それを辿る。出合から歩き易そうな所を選んで進む。一つ目の砂防を乗り越す時に雪の付き方が悪く苦労する。この谷は両岸のルンゼからのデブリで埋っている。上部は二俣になっていて、コウモリが羽根を開いたような雪渓をもっている左股を登る。バテバテでコルに到着。ここからは後立が良く見える。
・大熊谷7:55⇒馬場島9:20〜55⇒ブナクラ谷出合10:35⇒ブナクラ乗越16:20
(回想)
この登りはきつかった。最近読んだ山スキーのガイドブックにブナクラ谷が紹介されていた。広くて快適に滑れるらしい。当時、山スキーをする人はそれ程いなかったが、最近ではブナクラ谷でも多くのスキーヤーを見掛けるのかも知れない。
29日(土)小雨⇒小雪 TS⇒赤谷山
小雨だが出発する。昨日から調子の悪い宮田が動こうとしないがハッパを掛けられ出発。コルから直ぐに登りにかかる。古いトレースがある。雪庇が黒部側に発達している。1P進んだ所からは尾根が余り発達せず雪田を雪のある所を縫って登る。傾斜もきつくなり赤谷山と思われるがそうではなく何度もがっかりする。しかしひょっこりピークに出る。ここまで何ヶ所も良いTSがあった。ピークはとても広くてガスが濃いと迷うであろう。途中、生まれて初めてカモシカを見た。この辺で雪と風が強くなりテントを張る。バテバテだ。夕方、赤谷尾根から登って来た二人パーティと会う。この人たちの笛の音が夜まで聞こえる。
・TS6:10⇒赤谷山9:00
(回想)
春の知床に続き、今回も同期の宮田は不調だった。川口さんと薮内さんにいつもハッパを掛けられていた。トレーニング不足のためと思われた。付いてくるのがやっとだった。残念なことに宮田はこの合宿を最後に部を去った。赤谷山では隣のパーティのオカリナが幻想的だった。
30日(日)小雨⇒晴れ TS⇒小窓の頭手前のコル
昨日、赤谷尾根から上がって来た人が先行しそのトレースに従う。TSから急な下りを一気に降り小さなコブを2〜3ケ越えて白萩山に向う。赤ハゲを越え白ハゲに移るコルはナイフリッジのトラバースで東仙人谷の方に鋭く切れている。これを無事通過して白ハゲピークから痩せ尾根を行き、一ヶ所、岩峰があり巻くのに時間を喰う。ここから大窓の下りにかかる。ピークからは一旦北西に延びる支尾根を少し下った所から稜線へ向ってトラバースする。その後、大窓目指してクライミングダウンで慎重に行く。しかし傾斜が増してきたので40m一杯の懸垂でコル上部の雪田に降りる。ここからコルまでは時々、足を取られながら下る。大窓でレーションの後、大窓ノ頭への登りにかかる。ここは雪もなく完全に踏み跡が出ていてそれを辿る。浮き石があり、とてもだるい急登だ。途中、大窓へ登って来る大パーティを遥か下に見る。ピークから池ノ平山への急な登りとその手前に小岩峰があり、これをどの様に越えるのか考える。まず小岩峰は左側から雪田をトラバース。この雪田には大きい亀裂が走っていて緊張する。冬には、この岩峰は乗り越え反対側へ20m程の懸垂であろう。大窓ノ頭側には沢山のフィックスが残置してあった。この後はコルからルンゼ状の雪田をひたすら登る。急登だがトレースがしっかり付いていて登り易い。これを登り切ると、ひょっこりピークに飛び出す。ここは岩が露出している。ここからは小窓ノ頭から小窓への岩尾根がとても鋭く見える。ピークから尾根に沿って行く。一ヶ所ナイフリッジの下り気味のトラバースがある。この後、這松帯に変わりコルまで40m一杯の懸垂。小窓まで行く予定だったが、このコルで宮田が足をつり、ここにテントを張る。整地にとても時間を喰う。ここから目の前には小窓ノ頭への急なルンゼへのトレースが見える。悪そうだ。
・TS5:40⇒白萩山6:10⇒大窓10:55⇒大窓の頭13:30⇒池ノ平山14:30⇒コル15:30
(回想)
赤ハゲ・白ハゲ・池ノ平山・小窓付近は悪かった。荷が重いせいもあったかも知れないが、かなり緊張した。冬には相当な苦労が予想された。特に不気味な“池ノ平山の手前の岩峰(M岩峰)”は核心部になると思われた。この時は左から巻いたが、冬には右から巻いたらしい。ルートは雪の付き方で相当変わるものだ。またこの辺りは残置フィックスも多かった。極地法のなごりか?最近、夏の北方稜線はバリエーションルートとして中高年に人気があるらしい。まあ本峰から池ノ平山までらしいが、ここから先が悪い所が続き核心部なのに手前でルートを逸れるのは残念である。
5月1日(月)晴れ TS⇒三ノ窓
コルから急なルンゼ状の雪田を登る。見た目より易しい。上部はフィックスがありそれを借りて慎重に登る。尾根に出る所は雪が消え浮き石の多いとても悪い岩登りとなる。尾根からは黒部側をスリップに気を付けながらブッシュとの境界を巧く抜ける。頭からは黒部側を行く。所々雪が消えて岩が出ている。二ヶ所クライミングダウンがあるがフィックスを握り別に大した事はない。しかし小窓への下降がうんざりするぐらい長いクライミングダウンであり、フィックスが新しいのやら古いのやら沢山張ってある。雪や岩や這松が代わる代わる出てくる。このフィックスにプルージュックを取りゆっくり下る。キスリングでは苦しい。小窓で休んでいると、小窓ノ頭辺りで池の平山ピーク付近にいたパーティが物凄い速さでやって来た。軽装で楽に下って来た。コルからは急な雪田を尾根目指して汗をかきながら登る。途中からトラバース気味に登り小窓ノ頭手前のコルへ出る。コルからは這松が所々出ている痩せ尾根を、這松を掴みながら登る。小窓ノ王手前のコルまで痩せ尾根や急な雪田が続く。コルからは池の谷へ少し降りると急に前が切れクライミングダウンで下る。北側のため雪が締まっていてキックステップが良く利く。途中からトラバースに移る。その後、三ノ窓へは緩い坂を登り返す。この小窓ノ王のトラバースはとても緊張した。三ノ窓でレーションの後、宮田が足をつって動けなくなり本日ここまで。ここからはチンネがよく見える。夕方、薮内さんと池ノ谷ガリーを登り交信に行く。応答あり。
・TS6:20⇒小窓9:15⇒小窓の2650コル10:20⇒小窓の頭手前11:25⇒三ノ窓12:25
(回想)
後に知ったが、通常、“小窓ノ王”基部からの下りは懸垂らしい。この下りはかなり急であった。今でもよく覚えているが下り始めたらどうする事も出来なくて、仕方なしに下ってしまったら傾斜がおちた。ただ、万一落ちても池ノ谷上部で止まるような感じがした。嫌な下降だ。
2日(火)曇り→雪 TS⇒三田平BC
TSより池ノ谷ガリーを登り池ノ谷のコルに出る。昨日出会った人のテントがまだ張ってあった。こんな高い所では朝方の雷が怖かったことだろう。ここから雪の詰まった凹状ルンゼを少し登り尾根に出る。尾根はナイフリッジである。長次郎のコルで休んでいると大勢の人が降りてきた。我々もキックステップでこの雪田を登り、あとはダラダラ登りで剣岳本峰に到着。途中、沢山のテントを見る。祠は完全に埋っている。黙祷後、三田平BC目指す。カニの横這いで緊張する。この下で1年生も含む定着隊の本峰アタック隊と出会う。平蔵のコル付近でルートを間違え、谷に降りかける。前剣の下りでとても時間を喰う。急な雪田をクライミングダウンで慎重に下る。フィックスが張ってある。この途中で東大谷G1アタックの納富さんと山本に会う。先行してもらってBC目指す。吹雪で目出帽がとても役に立つ。BCでは76Sと77Wが風で潰されていた。僕は74Wに薮内さんと二人で泊まる。あす、八ツ峰T峰三稜へ川口さんと行く。
・TS7:00⇒池ノ谷のコル7:40⇒長次郎のコル8:30⇒剣岳9:10⇒BC13:05
(回想)
やっとBCに辿りついた。予定より2日ほど遅れたと思う。我々の縦走の間に、要さんと山本は八ツ峰T峰四稜。住友さんと今井は東大谷中尾根にアタックしていた。かなり雪の状態が悪く何回も落ちそうになり苦労したらしい。山本は、連なるコブ状のピークにルートを見失い「カモシカの足跡を見つけ、それに従ったら突破出来た。」とか。今井は核心部のチョンラピークの登りで、確保する住友さんに「皆さんによろしくお伝え下さい。」と言い残して登り出したと言う。両パーティともBCに戻ったのは夜遅くだったらしい。こんな話を聞かされていたので、明日のアタックには相当ビビっていた。長次郎のコルまでは数年前の5月に独りで登った。この時も剣岳の頂上を目指したが目の前の雪壁と時間切れで敗退した。この記録では“雪田”となっているが、50歳前の私には“雪壁”に見えた。荷物の重さも当時の4分の1くらいなのに・・・。また近く出直す予定。
3日(水)快晴 八ツ峰T峰三稜 川口
朝、昨日の吹雪がウソのような快晴だ。東の空に細い月が残っている。寒い。TSからアイゼンと登攀具を着け出発。剣沢を半時間程で下り三ノ沢出合に着く。真砂沢山荘は完全に埋っていて何処にあるのか判らない。出合付近はデプリが一杯あり雪崩の凄さを語っている。1時間程行った所で登り易そうな雪壁を見つけ、そこから取り付く。対岸には半分以上雪で埋った“マイナーピーク東面大スラブ”が見える。1P目は階段状の草付きでブッシュと雪が混ざり締まっていてアイゼン・ピッケル・アイスハンマーがよく効く。2P目はブッシュの中の登攀で、雪の重さで逆に生えている木が邪魔になりとても苦しい。出口のバンドは氷柱が発達してそれを掴んで上手く抜け出す。3P目はこのバンドをトラバースして雪壁に出る。このトラバースは岩の上に薄い氷が張っていてアイゼンが効かず苦しかったがピッケル・アイスハンマーが効き助かった。木の間を縫って雪壁を登る。この辺がとても悪くなかなか前へ進めない。20m登った所で左に大きい木を見つけ10mトラバースしてビレーを取る。4P目はダブルアックスで快適に登り稜線に出る。ここで二人パーティと出会う。ここからは四稜から四ノ沢へ落ちる石や雪のブロックの音が無気味に聞こえる。これより上部は先行パーティのトレースを辿る。直ぐに痩せ尾根で雪が崩れとても不安定そうなナイフリッジ。尾根筋は雪が消えていて岩と這松が出ていて登り難そうなので雪の付いている所までトラバースして雪壁を15mほど登る。雪が緩んでいて、しっかり蹴り込まないと落ちそうになる。ここからはナイフリッジが少し続き、直ぐ目の前に見えるドームの登りにかかる。下から見ると物凄い雪壁だが取り付いてみると、すんなり抜けた。ドームからは易しい雪稜がT峰直下まで続く。四稜と合流する辺りからはルンゼ状の雪壁を30m程登りピークに続くナイフリッジに出る。出口付近が這松を掴んでの腕力登攀となり疲れる。ピークでは三ノ沢を登って来た人と会った。テントを張った跡でレーション後T・Uのコル目指して痩せ尾根を下る。コルからはルンゼをグリセードで下りBCへ戻る。今日はいい天気で恵まれた登攀であった。
・BC5:15⇒三ノ沢出合5:50⇒V稜取り付き6:05⇒P19:05⇒T峰11:25⇒長次郎谷出合12:30⇒BC14:00
(回想)
三稜は快適だった。前日、今井と山本から色々と苦労を聞いていて構えていたせいかも知れないが。取り付きは傾斜もきつく苦労したが、これは明らかにルートの選択ミスである。三稜は通常“スベリ台のルンゼ”から取り付く。この時も三ノ沢を少し登ったら右に登りやすそうなルンゼを見た。多分これが“スベリ台のルンゼ”だったと思う。これを辿っていると、もう少し楽に稜線でまで登れたかも知れない。翌年、関学も三稜にアタックしたが、私の記録を見て“相当ヤバイ所“と思ったらしい。でも実際は、そうではなかったと言っていた。この日は、この合宿で初めて訪れた晴天のため楽に行けたのかも知れない。雪も締まっていた。なお、T峰からの急な斜面をグリセードで下ったが怖かった記憶がある。
4日(木)ガス 雪上訓練
朝から濃いガスのため1年生の奥大日岳アタックは中止となり待機となる。しかし、9時頃晴れ間が見え始め全員雪練に出る。ストッピングとスタカットの練習をする。昼からも雪練をする。コンテを中心に。雪練の最中に池ノ谷のコルから長次郎谷へ滑落した女性遭難者を運ぶためのヘリが飛んで来た。夜、明日下山のため大エッセン大会をする。
5日(金)晴れ BC⇒室堂⇒天狗平
合宿も終わり下山だ。撤収の時、風が強く1年生の断熱マットが吹っ飛ばされる。1Pで御前小屋。ここで休憩後、雷鳥沢をシリセードで一気に下る。10分足らずだ。天狗平までポールを見ながらポケポケ下る。バスで美女平。ケーブルで立山。16:00発の「立山2号」で帰阪する。
(回想)
この合宿は天気が悪かった。晴れた日が殆どないように思えた。定着のアタックももう1本行く予定だったが中止になった。縦走は辛かった。荷が重過ぎた。またルートも予想より悪かった。冬には相当な苦労が予想された。八ツ峰V稜は初めての雪稜アタックだった。天気にも恵まれ快適だった。この数年前に“東京岳人クラブ”の冬の八ツ峰の記録を見ていた(「山と渓谷」だったと思う)。実際に登ってみて冬には不可能に思えた。こんな豪雪地帯に冬に来るなど到底無理だろう。雪庇にキノコ雪。ナイフリッジ・何日も続く悪天など。しかし、現在は一冬に数パーティが入っているという。暖冬続きのせいかも知れないが時代は変わったものである。軽装で一気に登るのだろう。
◎5月13日(土) 岡本バットレス 甲南大学山岳部
この土・日は新入生歓迎コンパのためバットレス下の砂防ダムまで荷上げ。その後、皆で岩登りに行く。山本と組む。最近ここにも人が増え、今日は神戸商船大が来ている。1本目、新しいボルトが埋めてある所をアブミで越えフェースを直上しバンドへ。2本目。東側の人工ルートへ。左へボルトに導かれ東稜に出てそれをフリーで登りバンドへ出る。とてもしんどい人工だった。夜、コンパで大騒ぎをする。
(回想)
新入生歓迎コンパは“恐怖の宴会”であった。重病人が出なかったのが不思議である。酒が強くても弱くても関係ない。意識の正常な時間が長いが短いかだけの差である。新人コンパは1年生にとっては初めての大宴会である。酒のペースも判らず全員ブッ倒れた。場所は、例年、岡本バットレス下の堰堤で行った。酒を中沢さんの家(神社)に貰いに行き、料理は怪しげな“おでん”のようなものだった。ビールなど値段の高い酒は皆無に等しく、“サントリーレッド”や焼酎など安物の酒がメインであった。とにかく飲んで飲んで飲みまくった。この年は私の新歓コンパでもあった。前年、祖母の法事で欠席していた。いきなり日本酒の乾杯でゲロを吐きまくった。明るいうちに堰堤にはザイルを張った。酔って下に落ちないようにするためである。幸い転落事故はなかった。中沢さんは当時、大学院生であった。本当に優しい良い人であった。実家が神社で必ずコンパの時は酒を貰いに行った。中沢さんにとっては大変迷惑なことであるが、山岳部ではこれが常識化していた。今井が言っていたが、春には正月の残りの酒が一杯あって沢山貰えたが、秋頃に行くと夏祭りなどに出してしまって在庫がなかった。そんな時でも、中沢さんのお父さんは「これを使いなさい。」と現金を下さった。お父さんも良い人である。また、中沢さんは我々が個人山行に行く時も、道で会えば必ずカンパを下さった。良い人である。
◎5月20〜21日(土 日)土日山行 保塁岩 甲南大学山岳部
20日(土)晴れ 西山谷遡行 要 住友 青木
本日、保塁岩まで大月地獄谷と西山谷のふたつのパーティに分かれ出発。出合より砂防ダムをふたつばかり越え遡行が始まる。小滝が連続していて面白い。F3の出口付近が悪く青木が少しスリップする。最後の砂防直下の滝の出口付近が泥で登るのに苦労する。最後から三つ目の滝で落ちそうになり木を掴んでの腕力登攀で緊張する。この後、最後の滝の一歩がとても難しく緊張する。“軒の下”でビバーク。
(回想)
保塁岩の近所には別荘があり、ここの軒の下で泊まった。不法侵入であろう。テントを張らなくて済むのでよく利用した。
21日(日)晴れ後曇り一時雨 保塁岩
午前中、住友さんと中央稜を中心に5〜6本登る。東稜は最後にノーザイルで登る。昼からは豆田さんと“ダッコちゃん”と左のクラックで3〜4m程落ちる。左のクラックでは自分で打ったハーケンが見事に抜けた。“ダッコちゃん”では手がつり、岩を掴めなくなり落ちた。帰りに小雨がパラツキ、油コブ道をひたすら下り学校へ戻る。
(回想)
“ダッコちゃん”とは岩を抱えながら登るのでそのような名前が付いた。腕力に余裕のあるうちは突破出来るが、そうでなくなったら厳しかった。現在の技術をもってすれば屁みたいなものであろうが。当時のビブラムの登山靴では苦しかった。
◎6月10〜11日(土 日)土日山行 保塁岩 甲南大学山岳部
10日(土)晴れ 大月地獄谷遡行 要 青木
保塁岩まで大月地獄谷を遡行する。F1まで暑さの中とても遠い。F1を右から登る。F2は左から登るが一歩だけ難しい所があり緊張する。F3はハーケンが沢山ある右側から巧く抜ける。F4は簡単。F5はノーザイルで右を登る。暑さでうんざりして縦走路に抜ける。夜中から雨が降り始める。
11日(日)雨
雨が強くなりケーブルで下山。
◎6月21日(水)曇り一時小雨 ボッカ訓練(八幡谷⇒風吹岩⇒雨ヶ峠)
要 薮内 青木 大勝 西岡 甲南大学山岳部
内科健診を済ませ15時過ぎに出発。新歓コンパを行うバットレス下の堰堤で砂を入れる。ここの砂が大量に減っていて来年はコンパが出来るのだろうか。1年35kg・2年50kg
3年40kg。とてもしんどい。雨ヶ峠まで3Pと少しだ。ここには日が完全に沈んだ19:30頃に到着。夜景が美しい。下山時はメガネを忘れえらい目にあう。21:30に学校到着。足がとても痛い。今日のコースは金鳥山から雨ヶ峠まで。とてもクモが多く巣が引っ掛かり苦労した。明日は、住友さんパーティが出る。
◎6月25日(日)曇り後小雨 蓬莱峡 甲南大学山岳部
今週の土日山行は不動岩に行く予定だったが、雨のため日曜の午前9時に宝塚集合となる。遅れて行ったため置いていかれ一人淋しくバスに乗る。蓬莱峡では雨にもかかわらず大勢の人が登っている。小屏風・大屏風を登り17時頃帰る。生瀬から国鉄で大阪へ。
◎7月1〜2日(土 日)土日山行 仁川 甲南大学山岳部
1日(土)晴れ
「雨よ降れ!」と願っていたが予想に反し晴れ。2・3年の5人パーティで仁川へ行く。1年生は体育会本部主催の“フレッシュマンキャンプ”に参加するため来ない。仁川はムーンライト・三段・パールなどの独立したフェースがあり、それぞれ岩質も違い人工・フリーとルートも豊富である。薮内さんと三段の右の垂直岩を登る。ピンは多いがスタンス・ホールドの間隔が遠く苦労する所もある。2本目は川を少し遡りパールの左の人工を登る。
10m程行くとバンドが走っていて、ここまでは快適だが、この上はクラックが走っていてどうしても次のピンに届かない。慎重に度胸一発でバランスを保ち切り抜ける。薮内さんはフイフイを何回も架け“チョンボ登り”をして突破したそうだ。それにしても緊張した。この上はアブミの架け替えで快適。ここを登った後、皆で泳ぐ。気持が良い。夜中にホタルが沢山飛んできたがヤブ蚊も多く顔を一杯刺され困った。
2日(日)晴れ
夜はガスっていたが予想に反し今日も晴れ。山本と三段の右端の人工を行くがトップで落ちた。出口がツルツルで不安定な姿勢で強引に突破しようとした結果だ。山本と交替して右に回り込み巧く抜けた。2本目。昨日と同じ、三段右のフリーを登る。落ちた後だけにとても怖かった。昨日、今井はここで落ちたそうだ。足を打ち痛がっていた。昼前、渋谷さんとポチさんが現れた。渋谷さんとパールの“逆く”の字、フリールートを登る。快適だ。昼食に“冷やしうどん”を食べ、パールの人工に山本と行く。所々に悪い箇所があり緊張する。ボルトの間隔も遠くフイフイでチョンボ登りをして突破。こういう所を“仁川のオッチャン”はカラビナだけで登るそうだ。長靴を履き。それにしても仁川のオッチャンは人間離れしている。この後また皆で泳ぐ。暑いので気持が良い。しかし今井が溺れたのには驚いた。帰り際、ザイルが1本無くなっているのに気付き慌てたが、パールの下にありホッとした。
(回想)
仁川には人工登攀の練習のために行った。ルーフこそ無かったが垂壁・前傾壁は結構いいトレーニングになった。また、ここの岩場は本チャンに近い“悪さ”もあった。本チャンの岩場は濡れていたり、ピンが遠かったりして独特の嫌らしさがある。そのために落ちたり落ちそうになったりした。部分的にピンも遠くどのようにして打ったのか不思議に思った。こんな岩場であったが、“仁川のオッチャン”は凄かった(結構有名!)。風貌はスーパーマンのクラーク・ケントのようで、黒縁のメガネを掛け黒の長靴でかつ丸腰で縦横無尽に登っていた。年齢は30歳前?多分ここの岩場を相当登り込んでいて、全てのホールド・スタンス、それに手順を覚えていたのであろう。初見であの登り無理である。完全ないわゆる“ゲレンデクライマー”だが完璧な登りにギャラリーは沸いた。驚きだったのは、ルートの途中で立ち往生している人に、登り方を教えることだった。女の子が壁に張り付いている所にスイスイと登っていき指導していた。この仁川のオッチャンを見たのはこれ1回きりであった。仁川にはホタルがいた。当時の関西の河川は汚染がひどく、ホタルなど住める環境ではなかったので感激した。小さいヘイケボタルだった。幼い頃、九州の祖父の家で見た以来だった。
ここでフイフイとチョンボ登りについてふれておこう。私は身長169cmである。人工の大半のルートはこの身長で十分にピンからピンへ届くのだが、中には間隔の遠いものもあった(以前あったものが抜けたのかも知れない)。こんな時に役に立つのがフイフイ(引っ掛け金具)と針金である。フイフイに針金を付け次のピンに楽々と引っ掛けた。これを利用して随分楽をさせてもらった。
◎ 7月10日〜8月 日 夏山合宿 北ア剣岳 黒薙川柳又谷遡行 甲南大学山岳部
【参加者】( )は学年
・ 薮内(3)・要(3)・住友(3)・今井(2)・山本(2)・青木(1)・大勝(1)・西岡(1)・森田(2)
【計画】真砂沢定着
・ アタック対象:八ツ峰(主稜・Y峰ACDフェース・マイナーピーク)・東大谷(駒草ルンゼ〜三本槍/G3・中尾根)・源治郎尾根(主稜・T/U峰平蔵谷側フェース)・池ノ谷(中央ルンゼ/中央壁/剣尾根/右俣奥壁ドーム稜)・チンネ(中央チムニー/GCDクラック/北条新村/左下左方カンテ/左稜線)・毛勝谷・小黒部谷・小窓尾根・北方稜線
・ 縦走隊:雷鳥沢⇒二俣⇒五竜⇒白馬 ・沢登り隊:黒部川黒薙川柳又谷
7月10日(月)離阪
大阪駅まで60kg近い荷物を運ぶ。全身ビショ濡れ。国鉄が雷で遅れ嫌になる。20:00集合なのに山本・今井が来ない。国鉄の事故のためか?松下さんと喫茶店に行く。「頑張ってこい」との事。大勢のOB・WVの人に見送られ出発。立山3号で室堂へ。いよいよ夏山合宿の始まりだ。
11日(火)曇り→雷雨 入山(室堂→真砂沢)
室堂までは、いつもの高原バス。今年は例年に比べると雪が多く不安定だそうだ。ミクリヶ池山荘に分散用の一斗缶をデポする。50kgより、やや重いぐらいだ。雷鳥沢の橋へ向う途中に近大・仏教大に会う。雷鳥沢には、まだかなりの積雪があり一度梯子で沢底に降り橋を渡った。慎重に・・・。近大は1年生がとても多い大パーティだが、仏教大は総数4人だ。雷鳥沢の登りで雷に遭い怖い思いをする。時々強い雨が降りビショ濡れで14:30頃に御前小屋に到着。ここでレーションを摂り、休んでいると近大が入ってきた。本日、剣沢泊まりだそうだ。我々は真砂沢TSを目指す。いい加減嫌になる。真砂は昨年に比べると、とても雪が多くテント場の端の方にやっと張れるぐらいである。小屋も雪崩に潰されていて、まだ営業をしていない。隅の方へ76Sと72Sを分けて張る。3〜40mは離れている。今日はビショ濡れでとても寒い。非常にうっとうしい入山だが平蔵谷出合で見た虹が美しくとても印象的であった。それにしてもボッカは堪えた。さあ夏山合宿の始まりだ。しんどー。夜22:00の天気図を書き就寝。
(回想)
この年は残雪が多かった。我々はこのシーズン真砂一番乗りであったから土の上にテントを張れたが、あとから来たパーティは全て雪の上に張っていた。雪の上は冷えるのでさぞ寒かっただろう。入山は、はっきりと覚えていないが土砂降りで最悪であった。近大が剣沢で泊まると聞いて羨ましく思った。また60kg近い荷物には参った。この年も夜に全身痙攣が起こった。当時、私の体重は60kgであった。体重と同じ重さの荷物!参った。
12日(水)曇り一時小雨 雪練
雪練のため長次郎谷に行く。八ツ峰T・U峰間ルンゼの一つ下のルンゼで行う。ストッピングの時失敗して、ピッケルのシュリンゲが締まり、目が飛び出るような痛さだった。弁当を食べ終え、要さん・今井・山本の3人はデポを取りにガスの中、池ノ谷のコル目指して消えて行った。デポを沢山回収。明日はロングアタック毛勝谷。
(回想)
デポ缶は我々の物ではなく、冬期登攀のための社会人山岳会の物である。その頃は冬期登攀も盛んで、三ノ窓や池ノ谷のコル、北方稜線、冬期小屋には冬用デポが結構あった。そのデポ缶には期限が書いてあり、殆どが3月末で切れていて、それを狙って出来るだけ早く真砂入りした。5月の連休にでも回収出来そうだが、その頃はまだ雪が多すぎて掘り出せない。実際、5月にデポ缶を見たことは一度もない。全て雪の下だったのだろう。このデポ缶は、食料の乏しい我々にとっては“宝の箱”であった。重い装備・ゴミ問題など。今では殆ど行われない冬期のデポであるが、当時では常識であった。
13日(木)小雨→時々晴れ
朝3時頃に時折雨が降り沈殿となる。9:10の天気図で前線が西からやってきて、西日本上空にいる。間もなくここにも強い雨が降るだろう。昼過ぎ予想に反し青空が見え始める。テントを76Sのすぐ近くに移す。整地にとても時間を喰う。近大から断熱マットを貰い快適だ。明日、毛勝谷。
(回想)
夏山合宿の前半は毎年雨であった。梅雨がまだ完全に明けていないからだ。こんな時、僅かな晴れ間が出て岩登りに行くと事故が起こった。浮いている岩が多く、それを掴んで転落したり落石に当ったりした。ただでさえ日本の岩場は脆いのに、雨で岩が緩めば本当に怖かった。
14日(金)快晴→曇り 早月尾根毛勝谷(BS―毛勝谷出合) 要
BCより剣御前まで3P。しんどい。天気が良く周りの山々が良く見える。室堂乗越まではひたすら下りで直ぐに着く。室堂が見えスキーヤーが一杯だ。帰りたくなる。乗越では立山川への降り口が判らず、要さんと分かれて探し回る。乗越より少し戻って、かなり傾斜のある雪渓をアイゼンを着けて下る。アイゼンが団子になり2回スリップする。東大谷出合の少し前までは雪渓の状態がとても良く快適に進むが、ゴルジュでは雪渓が割れていて気味が悪い。ザイルを付け慎重に渡る。恐ろしい。東大谷は去年よりかなり水量が多く飛び石で慎重に渡る。毛勝谷出合まで巨石のゴロゴロした川原を行く。途中、毛勝谷上部のいかにも脆そうな岩壁がガスの間から見え、その物凄さに驚く。出合より少し行った所でビバーグ。時間も早いのでサビ谷出合付近まで偵察に出る。雪渓の状態は非常に良い。
・BC5:00⇒御前7:55⇒室堂乗越8:50⇒毛勝谷出合13:30⇒BS13:50
(回想)
立山川では、この何年か後に関学の方が流され亡くなったと聞いた。詳しい状況は知らないが、水量も多くて雪渓の状態も悪かったのであろうか?合掌。当時も廃道であったが、その昔、室堂乗越から立山川に沿って馬場島まで道があったらしい。
15日(土)晴れ時々ガス 早月尾根毛勝谷(左俣⇒第二尾根)
アイゼンを着け昨日偵察に出たサビ谷出合まで余りきつくない雪渓を快調に進む。サビ谷は上部まで雪が詰まっている。ここから二俣までは雪渓も急になりしんどい。しかし滝は全て雪の下のようだ。二俣では左俣が深く切れ込み傾斜も強いのに対し、右俣は広く雪渓も発達しているが、上部はかなり険しいのが分かる。左俣の入口には15~20mの滝が細い糸のような水を落とし、そこだけ雪渓が口を開けている。第三尾根側はボロボロの壁で落石頻繁。第二尾根側もボロボロの壁であるが落石は少ないようだ。滝頭に出るため右俣を少し登り第二尾根の小さいルンゼに取り付くが草付きが悪く緊張する。尾根に出てからハイ松の藪漕ぎをして登って行くと壁に阻まれてトラバース気味に下る。何回か偵察に出た後2回の懸垂(20mX2)で谷底に降り立つ。雪渓をくぐり三尾根側を少し登りRを摂る。11:30の交信でちらっと「甲南AC」の声が聞こえる。浮き石の多い出合から2つ目と思われる滝を右岸から慎重にへつり雪渓に立つ。更に行くと再び切れていて、右岸をザイルを出してヘつる。浮き石の多い嫌な所だ。雪渓に飛び移るとまた切れていて、左岸へ厚さ4~50cmのスノーブリッジが架かっている。度胸一発で飛び移る。この辺りからガスが懸かってきたので晴れるのを待ちながら進む。岩を少し登り休んでいると、次に取り付こうとしていた雪渓(20mx5m)が突然低い「ドーン!」という轟音と供に崩れ、恐怖で言葉も出なかった。これで切り口が5~6mの雪壁となり進めないので二尾根に延びるルンゼを登ることにする。i(アイ)岩峰に突き上げているルンゼから落石が頻繁である。1P・2Pとも鋭く尖った浮き石の多いボロボロの岩壁で石を落としながら登りブッシュ帯に入る。3P目。かぶり気味の壁を腕力で登ると2〜3mの垂壁に阻まれ左右どちらからも突破出来ないのでボルト2本で切り抜ける。このピッチに2時間程かかり、上に抜けた時は日没でかなり傾斜のある斜面にハーケン3本を打ち、ザイルで身体を結びビバーク。
・BS5:00⇒二俣7:50⇒第二尾根取付14:00⇒BS19:30
16日(日)ガス一時晴れ TS⇒BC
睡眠不足のため頭がボヤーッとする。斜面で寝るのは辛い。BSから直ぐにかなり傾斜のある、浮き石の多いとても悪い岩登りとなる。少し登るとブッシュを掴んでの腕力登攀となりザックが引っ掛かり嫌になる。ルートファインディングに苦しみうんざりした頃、突然ドームのピークに出る。この第二尾根はドームピークまで、ちょっとした壁でありブッシュと浮き石が多い。ピークからは登ってきた尾根の傾斜が強く下まで全く見えない。ここに立つと左俣本谷の所々切れた雪渓やi峰の大きな岩壁や周辺の大岩壁が見える。いずれにせよ、これらはボロボロで登攀不可能のように思われる。右俣側も詰めのルンゼは傾斜もあり険しくボロボロでかなり悪そうだ。ピークからは20mの懸垂でドームのコルに降りる。ここから70~80mの岩のナイフリッジが続き、右俣側をブッシュを利用して行く。この後、更に、急な尾根を藪漕ぎをして毛勝谷の頭(早月尾根)に出る。この藪漕ぎは長いので堪えた。この少し下で“東大谷駒草ルンゼ隊(住友・山本パーティ)”と出会い休憩後、早月尾根を登る。本峰では交信。ガスのため長次郎のコルを間違え急な雪渓を下っていると5~6mスリップしてガレ場に突っ込み膝と手を強烈に打った。死ぬかと思った。長次郎谷を慎重に下りBCに戻ると、我々のためのサポート隊(薮内・今井パーティ)が出る間際だった。
・BS5:30⇒ドームピーク6:30⇒毛勝谷の頭12:10⇒本峰14:55⇒長次郎のコル16:00⇒BC17:50
(付)今年は二俣まで雪渓の状態が良く順調に進んだが左俣に入ってからは所々切れていた。どうも滝のある所が切れているようだった。雪渓は谷に引っ掛かっているといった感じでとても不安定である。割れ目(クレバス)では必ずといっていいほど浮石の多い壁をトラバースさせられた。谷筋の岩はしっかりしているようだったが外傾していて登り難い。我々はドーム直下のルンゼまでアイゼンで行動したがこれは正解だったようだ。濡れている岩と雪渓がミックスして出てくるからだ。大体この谷の岩は非常に脆い。このため落石は頻繁である。特にi峰に突き上げているルンゼからが最も多い。大岩壁も脆く登攀不可能のように思われる。300〜400m以上はあり途中にピナクルが幾つもあるようだ。この岩壁に似たものがi峰の左俣側に二つあり同様である。サビ谷は上部まで雪が詰まっていて快適そうだが上部はかなり傾斜がある。残置ピンは第二尾根末端で1本見ただけで皆無である。ザイルは11mm1本だったが9mm2本が良かったようだ。それからボルトは必ず持参したいものだ。毛勝谷は資料も少なくアプローチも悪いためか人間の臭いが全くせず探検的気分が強かったが「恐ろしかった」というのが本音だ。遡行の時期は5・6月では周りからの雪崩が心配だし8・9月では出合からの滝の処理がポイントだろう。最後に左俣本谷の計画で出発したが、結局、第二尾根に逃げた事は残念であった。
* ボルト2本(残置)。ハーケン5本(全て回収)
(回想)
毛勝谷は直ぐ隣の東大谷に似ていると言われるが、東大谷より更に岩の脆い荒れた谷であると思う。またスケールは東大谷の半分ぐらいだろうか。我々は雪渓の処理に苦労し、崩壊により危ない思いもしたが、秋になり、これらが完全に無くなったら、次々に現れる小滝をフリーで乗り越え、快適にルンゼ登りが出来るかも知れない。これを目論んで翌秋に今井・大勝パーティが右俣を登った。特に問題なく抜けたらしい。なお右俣は、よく覚えていないが、二俣から見たところ、だだっ広く、ドン詰まりで、最後は藪漕ぎのような感じがした。左俣は、このあとに訪れた“池ノ谷右俣中央ルンゼ上半”に似ていた。中央ルンゼほど出てくる滝は大きくはなく困難ではないが。落石は左右の両方から飛んできた。大きい石は無かったが小石でも加速されているので怖かった。全て自然落石である。こんな風なので谷中でビバークする時は相当な注意が必要であろう。毛勝谷は当時としては珍しくゴミが全く無かった。僅かに“伝蔵小屋”(今は早月小屋と言うらしい)と書いたダンボール箱の断片を1回見ただけであった。また残置ピンも1本だけしか見なかった。第二尾根の我々が登った所は“新ルート”だろう。登攀価値は全く無く、多分2登もされないだろう。何と言ってもザイルを出したのは数ピッチで、後は木登りであったから。今でも、生まれて初めて打った2本のボルトがまだ存在するのか気になる。最後に、雪渓の崩壊は本当に怖かった。大型トラックぐらいの大きさのものが轟音と供に斜めに“ズレ”て崩れた。次に私が取り付こうとしていたので声も出なかった。休憩中で幸いだった。もし取り付いていたらどうなっていた事か。考えただけで背筋が寒くなる。なお、この年は残雪が多く、マイナーピークのアタックに出た今井も、立ちはだかる雪渓にピッケルを打ち込んだ途端にこれが真っ二つに割れ、恐怖で声も出なかったと言っていた。毛勝谷は色々と危ない目に遭ったが今でもよく覚えている。数多い山行の中で、印象深いもののひとつである。機会があればもう一度訪れてみたい。
17日(月)晴れ→曇り 沈殿
沈殿。昨日の捻挫が痛い。12時頃、東大谷駒草ルンゼ隊帰幕。明日、チンネ。指が腫れる。
18日(火)晴れ→曇り 沈殿
沈殿。捻挫が痛い。昼まで寝てその後、関学とだべる。金沢大学医学部山岳部の人に捻挫を診てもらう。大した事はないとのこと。17時頃、1年のチンネ隊が戻る。夕方、金沢大学医学部の人が訪ねて来てくれて傷をもう一度診てもらった。とてもうれしい。
(回想)
金沢大学医学部山岳部の方とはその後何回かお会いした。その中でも矢作さんとは、3月の五竜小屋。翌年の夏などに出会った。五竜では今回の私の怪我を覚えていて下さった。当時は今では考えられないくらいに各大学に山岳部があった。医学部でも単独で存在したのはそのよい例であろう。また総合大学では3〜40人(日大など)の大所帯もあった。
19日(水)晴れ→曇り 小窓尾根隊のサポート
チンネのアタックに出るが小窓尾根隊が戻らずサポートとなる。1年の大勝が両足にたくさんマメを作り見るからに痛そうだ。森田と西岡は膝を捻挫してまともに歩けない。まるでチンバの集団だ。昼過ぎ沈殿食のゼリーとラーメンを食べる。美味い!
(回想)
この年、1年生のケガ人が多かった。これはこの夏にとどまらなかった。特に秋の雷鳥沢では多くの凍傷者を出した。原因のひとつは疲れであろうか。私もそうであったが1年生の頃はオーバーワークであった。ペースが掴めなかったし、この先どうなるのか予想が出来なかった。また雑用も多かった。こんな風なので精神的にも参っていた。他大学では勝手に山から逃げ出した者もいた(その時は上級生の靴ひもを切ってとか)。連日のフル行動が多かったが適当に休養日を入れるべきだったのかも知れない。とは言っても晴天が続くと無理をしても動きたくなるものである。
20日(木)晴れ→曇り チンネ ニチレイGCD 住友
夕べ近くのテントがうるさく睡眠不足だ。住友さんとチンネのニチレイGCDに行く。三ノ窓をゆっくり登り雪練隊に別れを告げる。チンネは下から見るとえらい違いだ。とても小さく感じる。三ノ窓雪渓の上部インゼルで休み取り付く。下部はボロボロで浮石だらけだ。取り付きが判らず苦労する。1P目はチムニーから右のリッジを登りテラスに出てビレー。フイフイとアブミを使い度胸一発で突破。チムニ−下のテラスでビレー。30m。2P目はチムニ−登りで15m。シュリンゲ2本を拾う。3P目はアブミの架け替えでカラビナを使いすぎ15m程登り小さいテラスでビレー。中央チムニーの時間待ちの人がよく見える。4P目。凹角の登り15mで中央バンドへ。フイフイが有効だ。初めて訪れた“チンネ中央バンド”は想像以上に広い。アタック食を食べ交信する。ピナクルの後ろを登りGチムニーに取り付く。入り口付近は垂直に近いがホールド・スタンスはしっかりしていて快適。出口はフイフイをフルに使い強引に突破。5mトラバースしてピッチを切る。6P目はチムニ−かクラックか判らない割れ目の登攀である。傾斜はきついがホールド・スタンスがしっかりしていて強引に登るとチンネの頭である。弁当を食べ、岐阜大学の人と話をして記念撮影後下る。池ノ谷ガリーを石を落としながら降り、三ノ窓谷経由でBCへ戻る。
・BC5:45⇒二俣6:10⇒チンネ取付9:30⇒中央バンド11:30⇒終了13:00⇒BC15:55
(回想)
1年の時は風邪のためチンネには行けなくて、これが初めてだった。ニチレイGCDは、A0とA1をフルに使い苦労して登った。最近の記録を読むと完全にフリーで登られている。特に1P目が厳しかった。文献ではA0だが、後日色んな方に聞いたところ殆どがA1で登っていた。どこかで、ピンが何本か抜けていたのかも知れない。本チャンではやたら間隔の遠いボルトやピンがあったが、これらも多分そうであったのだろう。
21日(金)晴れ→ガス 八ツ峰Y峰Dフェース(富山大)⇒Aフェース(中大) 住友
僕と住友さん、今井と山本の2パーティでY峰へ行く。Y峰下のインゼルで雪練隊とCフェースパーティと分かれた。長次郎谷の登りはとてもしんどい。
・Dフェース富山大ルート
Dフェースの取り付きの雪渓が変に崩れていて苦労する。1P目。下部7〜8mは岩が湿っていて不快だ。小さいテラスに出てからとても嫌らしい登りがあり度胸一発で突破。ピンが所々にある。これを越えフェースを自由に登り小さいテラスでビレー。このピッチ以外と難しい。2P目は、A0でピンにシュリンゲを掛け突破。下部は浮石が多い。3P目はフェース登りで,時々A0がありリッジの出口まで。出口付近はバランスを要する。4P目はリッジを快適に登り、5P目はブッシュ混じりの岩でDフェースの頭へ。弁当を食べAフェースへ。
・取り付き10:00⇒終了12:55
・Aフェース中大ルート
山本・今井パーティの後に取り付く。1P目は40m一杯のA0でチムニ−の腕力登攀。1番最初に掛けたピンが何故か抜けていた。20m程バランスを交えたクラックとフェース。残り20mはA0の腕力登攀となる。途中アブミを1回出す。小さいスタンスでビレー。この時グリセードに失敗し、X・Yのコルから滑落する人を目撃する。恐ろしい!2P目はチムニーからフェースへ。出だしの部分がとても難しい。3P目はブッシュの階段で頭へ。この後グリセードでBCへ。BCでは立命館大の2年生が大ケガをして大騒ぎだ。ヘリが飛んで来て運んでいった。僕も手伝うつもりだったのに出遅れた。Aフェースが3級とはグレードが低すぎるように思えた。4級でもおかしくないと思う。
・取り付き15:00⇒終了16:40(17:10)⇒BC18:05
(回想)
Dフェースの富山大は出だしが難しい(かぶり気味)だけで快適であった。一方、Aフェースの中大は短いルートだが難しかった。初見でのリードは相当緊張した。ただピンはベタ打ちで、よく効いていて岩も硬かった。Aフェースではこの数年後、長野の社会人山岳会の友人二人と“中大ルート”隣の“魚津高ルート”を登攀中にセカンドが落石(人の頭よりやや大きいくらい)を受け(私はラストで前傾壁に守られ無事だった)脳挫傷のためヘリで搬出されたという嫌な思い出がある(幸い友人は後遺症もなく全快した)。落石は先行パーティによるものと思われた。文句を言ったが証拠不十分でどうにもならなかった。後に知ったが、このような場合、先行パーティの責任にはならないらしい。理由は“落石が頻繁に起こるような、危険な場所に承知の上で入っているから”だそうだ。ただ、そうだからといって石を落としてはいけない。
22日(土)曇り一時雨→晴れ
三ノ窓へ向かうが雨のため途中の三ノ窓谷出合の少し上でBCに帰る。天気図を書かねばならないため、一人走ってBCに戻る。汗と雨で全身ビショ濡れ。少し遅れて薮内さんのパーティと北方稜線隊が帰ってくる。昼から晴れて絶好の沈殿日となる。
23日(日)曇り→晴れ チンネ左下⇒左方カンテ 薮内
三ノ窓へ北方稜線隊より少し遅れて出発。ゆっくり歩き4Pで三ノ窓。しんどい。ガスっていたが昼前から晴れて、薮内さんと左下カンテから左方カンテへ行く。住友さんと今井は左稜線へ向う。三ノ窓に荷物を置き、東大スキー山岳部のあとにツエルトを2つ張る。支柱となる棒がなかなか見つからず苦労する。三ノ窓を少し下り、取り付き点を探すが判らない。“虎の巻”でやっと取り付き点を見つける。左方ルンゼを10m程登り左上に少しトラバースして取り付き点に着く。5m程バランスで登りA1の人工に移る。シュリンゲがピンに掛けてある。アブミの架け替えで垂壁を6〜7m登りフリーに移る。カンテを登り左のルンゼに出る。出口が悪い。2・3Pは易しいルンゼ登りであるが浮石だらけで落石頻繁。とても気を使う。どうもルートを間違えたらしい。正規のルートは右のカンテ沿いのようだ。4Pで中央バンドに出る。休憩後、左方カンテに取り付く。1P目10m程フリーで登りあとの30mは人工でアブミの架け替え。出口はハングに押さえられ左に逃げテラスに這い上がる。緊張する。その上の小さいスタンスでビレー。2P目は5mフリーで直上し、その後、小さいハングに押さえられて左に少しトラバース。人工になる。10m直上してフリーに移るが、ピンの間隔が遠いものがあり苦労する。この後15m程登り左稜線に合流する。この辺り高度感が凄い。これを10mたどりビレー。左稜線隊と合流する。ここで時間待ちを喰う。我々が先行して2Pでチンネの頭に到着。易しい岩稜だ。頭でアタック食を食べ左稜線隊と供に三ノ窓BSに下る。三ノ窓の夕焼けがとても美しい。
・BC6:05⇒三ノ窓10:05⇒取付12:55⇒終了16:15⇒三ノ窓BS17:15
(回想)
この左下⇒左方カンテはルートを間違ったことと、中央バンドから上の人工登攀が少し難しく高度感が凄かったぐらいしか覚えていない。ただ、上部は岩も硬く快適だった。人工の部分をゆっくり登っていたら、薮内さんから「早く登らなあかん。日が暮れるぞ。」と言われた。当時、私の人工登攀技術は未熟でお粗末であった。理由は練習不足である。岩登りはフリーを中心にやっていたせいもあるが、要するにアブミなどの道具の整理が悪く必要なものを取り出すのに時間を喰ったのだ。また、恐怖心からのランニングビレーの取り過ぎがあったのかも知れない。チンネのような短いルートであればこれでも良いが、丸山や奥鐘山の大岩壁の20Pもあるようなルートでは、1Pで5〜10分の遅れであってもそれが積み重なると、とんでもない時間のロスにつながる。岩場では敏速な行動が必要である。天候の急変。不測のビバーグなど。早く登るに越した事はない。最近はこの左方カンテをオールフリーで登るらしい。クラックなので登れるのかも知れないが。信じられない。
24日(月)晴れ時々ガス 池ノ谷右俣中央ルンゼ上半 薮内
三ノ窓BSより中央壁隊(住友・今井)と池ノ谷を石を落としながら下り、池ノ谷と剣尾根の間の雪渓の詰まった急なルンゼを登る。今日はチムニ−登りが多いということだったのでピッケル・アイゼンは持っていない。そのためとても緊張する。キックステップで登りR2の出口に飛び移る。このルンゼはガラガラで落石頻繁。底を忠実にたどる。上部は溝のようだ。突っ張って登り、剣尾根コルBに出る。途中、石の引っ掛かったチムニー登りに少し悩んだ。コルからαルンゼを下る。20m程クライミングダウンしてボルト2本を発見。ここからチムニー滝が二つ見えクライミングダウンでは下れないので40m懸垂して底に降り立つ。更に落石に気を付けながらクライミングダウン。中央壁下に着く。この辺りから見ると、ビルの壁のような中央壁に圧倒される。中央ルンゼへの出合へは更に40mの懸垂である。このαルンゼはかなり急で落石にはくれぐれも気を付けたい。出合からは最初の滝であるF4が奥の方に悪相で黒く見えている。休憩後、ドーム稜の取り付きへの踏み跡と思われるものを少し登りルンゼの底に降りる。ここでザイルを付け薮内さんトップで谷底を忠実にたどるとF4下に着く。テラスがありピンを1本打ちビレー。僕がトップで行く。このチムニー滝は出合付近からでも相当悪く見えるが、近くで見ると日が当らないため暗く、かつ湿っていて、奥には少し水が流れていて余計に悪く感じる。出口にはチョックストーンが二つ挟まっている。左岸にクラックが左上していて、それに沿ってピンが連打されているが全て錆びている。しかし良く効いている。まずフリーで3m程のクラック上のスタンスに飛び移り、そのクラックのピンに導かれて人工で6m登り左のバンドへ移る。湿っていて滑るので緊張する。フリーで3m程外傾した小さいテラス状バンドをトラバースして人工に移るが、少し登った所で急に残置ピンが無くなり次のピンまで届かないので細いリスに重ね打ちする。これにアブミを掛けるが次のピンまで届かないので“新兵器の針金”とフイフイを使い突破。「やった!」と思う。この辺からクラックも真直ぐになり滝の落ち口に続いている。右岸にも残置ピンがありルートがあるようだ。アブミの架け替えでドンドン登っていけるが湿りも増しズボンなどがかなり濡れる。間もなくチョックストーンに頭を押さえられる。この辺り必要以上にピンが打たれているが効いていないものもかなりある。迷った末、左岸を背にしてバックアンドニーで身体を持ち上げるが、湿っているのとザックが邪魔になるのとでとても緊張する。この後チョックストーンの右側のピンにアブミを掛け突破する。出口付近は本当に悪い。F5下のガレ場でビレー。時々、中央壁隊の声が聞こえる。11:30の交信で1年の西岡が頭を打ち、上市へ下山すると聞き二人とも驚く。レーションを済ませノーザイルでF5・F6をダイレクトに越える。左にかなり大きいルンゼを見る。ガレ場からコンテで少し登り薮内さんトップでF7の左岸を簡単に越える。更に行くとルンゼも狭くなってきて上部にチョックストーンが挟まっているチムニー滝F8にぶつかる。僕がトップで滝芯をチムニー登りで10m行き、チョックストーンの下をくぐり上のガレ場に出る。この上に巨石が挟まっていて右岸のピンでランニングビレーを取り度胸一発で飛び移る。落ちそうになる。少しガラ場を行くとF9に行く手を阻まれる。左が登り易そうなので取り付くがかぶっていて行けない。ここでハーケンを打ちビレーを取る。薮内さんトップで左岸のクラックを人工で10m右上してそこからフリーに移るが細かく厄介。バランスで切り抜け左にトラバースしてF10の滝頭に出る。右岸に外傾した大きいテラスを見る。この辺りからかなり明るさも増し広くなってくる。河原に出て明るいF11・F12を簡単に越え落石に気を付けてコルAに登る。ダラダラ登りだ。ここから踏み跡のある剣尾根を登り、長次郎の頭で中央壁隊と合流して三ノ窓BSへ。今日も夕焼けがとても美しい。明日、剣尾根。
・三ノ窓BS6:15⇒中央ルンゼ出合8:45⇒取り付き9:15⇒F4上11:20⇒コルA14:30⇒長次郎の頭14:50
(付)
中央ルンゼは予想通りF4・F9の突破が問題であった。F4は人工でアブミを架け替える出口がキ−ポイント。F9は人工よりもフリーがちょっとしたバランスを必要として難しい。このルンゼにいると何だか“毛勝谷”にいるような気がした。全体に岩はしっかりしているが、中には外傾したものがありフリクションで登るが湿っていて気を使う。周りからの落石もなく良かった。
(回想)
緊張したが、なかなか面白いルンゼあった。F4は全力で登った。この1Pに1時間くらいかかった。ビレーしていた薮内さんは暗いルンゼの中で寒くてイライラしたことだろう。途中でピンを打ち足したが、このピンは私の体重は支えたが、それより10kg以上重い薮内さんは支えきれず抜けたらしい。滝の出口のチョックストーンはずり落ちながら何とか登り切ったが怖かった。あと一歩という所で行き詰まり、どうするか迷っていたらチョックストーンと右の壁の間にピンが打ってあり、それを掴んでA0で抜けた。先人はどのような体勢でこのピンを打ったのか不思議に思った。あのピンが無かったら落ちていたかも知れない。このルンゼは内面登攀を楽しめるので、もっと登られても良いと思う。我々はビブラムで登ったが、現在のラバソールであれば快適であろう。ただ濡れると厄介であろう。特に雨天時は全てルートが流水溝になる。落石は中央壁とドーム稜から飛んでくると聞いていたが全く無かった。もし飛んできたらよける事が出来ないので注意が必要である。アプローチはR2までの雪渓の処理とその後の浮石だらけのαルンゼが問題である。雪渓はアイゼン・ピッケルがあれば問題ないがそれが無ければ怖い。かなり緊張した思い出がある。αルンゼは簡単に下れると思っていたが懸垂下降もあり急険であった。“虎の巻”には、そんな事はどこにも書いてなかった。
25日(火)晴れ→ガス 剣尾根 住友
三ノ窓BSより登攀具を着け、小黒部谷隊(薮内・今井)と別れて池ノ谷を下る。池ノ谷尾根末端まで石をガラガラ落として下り、そこから下は雪渓をアイゼンで下る。一ヶ所、雪渓が3m程口を開けていて右岸を巻く。ここで先日、チンネで一緒だった明石の二人連れと会う。慎重にクライミングダウンで下り、雪渓の底から巧く抜け出す。一度外したアイゼンを着け少し下るとR10の出合である。念のため偵察に下まで行く。R10には上部雪渓から溶けた水が流れていてとても美味い。このルンゼガラガラでかなり大きい石も浮いていて慎重に登る。15分程でコルEに出る。コルからはハイ松が主なブッシュ帯に踏み跡がありそれを辿る。傾斜もきつく、ひどく疲れる。コルDから目の前に20m程の壁が現れ、ザイルを着け登るが難なく通過する。この後ハイ松のブッシュ帯の急な踏み後を辿りリッジを行くとコルCに出る。ここで前方に先行パーティを見る。休憩後、核心部と言われている壁に取り付く。5m程ピンに導かれて人工で直上し右にトラバースして右上すればカンテ右のフェース下に出る。所々、ピンの間隔が長く苦労する。次のフェースはホールドが細かくピンが効いていないので緊張する。リッジ上のテラスでビレー。40mほぼ一杯である。この後、這松混じりの岩稜を登る。踏み後はしっかりしているが這松が邪魔だ。途中でレーションを摂り、R6のコルから左俣側のバンドを辿る。このバンドは岩が剥がれかかっていて気味が悪い。バンドの途中のクラックに取り付く。これは幅20~30cm。人工で簡単にバンド上に出る。左上している易しいバンドを辿るとコルに出てビレー。ここから20m程易しい緩い傾斜の岩を登り、更にガラガラのルンゼを行くとドーム手前のコルに出る。岩稜を少し行くとドームのピークである。休憩後、急な下りを経てコルBへ。コルからは脆い岩の登りで踏み後が出てくる。所々に残置ピンがある。一ヶ所、チムニー登りがあり、出るのに苦労する。この後は特に問題なく浮石に気を付けながら岩稜を辿ると剣尾根の頭へ。長次郎の頭を経て三ノ窓BSへ下る。荷物を回収して、ガスの三ノ窓谷をBCへ。剣尾根は予想より数段易しく思えた。
・BS6:30⇒R10出合8:10⇒コルE8:35⇒コルC10:00⇒ドームP13:30⇒コルB14:00⇒
長次郎の頭⇒15:00⇒三ノ窓15:30(16:05)⇒二俣17:00⇒BC18:30
(回想)
この尾根は長いだけで特に問題なかった。無雪期には少し岩を登った程度の技術があれば登れると思う。ただし、アプローチの雪渓処理など本チャン独特の悪さはある。これは池ノ谷全体に言える事だが・・・。印象に残っているのはコルCからの岩登りである。人工からフリーに移る一歩が難しく落ちそうになった。話変わって、5〜6年前の2月頃、諏訪湖畔のビジネスホテルで“朝風呂(温泉)”を楽しんでいたところ(仕事で出張時)、人懐っこいおじさんが話し掛けてきた。この人(年齢50歳位)2〜3年後の冬に単独で剣尾根を登ると言う。今回もその為のトレーニングとして八ヶ岳に登ってきた。これには驚きだった。大体、剣尾根は取り付くまでが長く危険である。時期は2月の厳冬期。どうせやるなら最も厳しい時に登りたいらしい。この人は小窓尾根経由で三ノ窓に入り池ノ谷を下り剣尾根末端から登るそうである。デポは三ノ窓に置くらしいが、可能ならノンデポを目指している。これは私にとっても夢のような計画である。反面こんな“アホでクレイジーな山行”はない。自殺行為である。成功には実力だけでなく“強運”も必要であろう。「暖冬の少雪」であれば完登出来るかも知れないが、「酷寒の豪雪」であれば三ノ窓へも届かないであろう。敗退するにしても相当な困難が予想される。そこで幾つか質問してみた。@小窓尾根は完登出来るのか? Q:ここで敗退したら剣尾根登攀は論外である。正月前後であればトレースもあるだろうが2月は猛烈なラッセルだろう。1週間で三ノ窓まで到達出来るのだろうか。私には何日かかるのか想像できない。A三ノ窓から池ノ谷の下りは? Q:早朝一気に下る。デブリでそんなに潜らないかも知れない。B池ノ谷には剣尾根を越えるぐらいの大雪崩が出ると聞いているが? Q:雪崩に巻き込まれるのは剣尾根下部である。ここを素早く通過すれば問題ない。C今まで何回、剣尾根に登ったことがあるか? Q:5月も含め3回。こんなやり取りをしたが多分不可能だろう。
26日(水)快晴→ガス 東大谷G3 住友
雲ひとつない快晴。要さんと山本の三ノ窓隊を見送ってからG3へ向う。平蔵谷を2Pで登り、平蔵のコルで朝食を済ませG3・G4のルンゼを探すが、なかなか見つからずうろつく。今日は天気が良いせいかハイカーがとても多い。ルート図と照らし合わせて、やっとの事で降り口のルンゼを見つける。浮石に気を付けながら慎重に下る。ガレ場に足を置くと足元からドッと崩れとても気味が悪い。最初の涸滝の落ち口まで降りピンを1本打ち懸垂下降する。住友さんが最初に降りたが、落石でザイルが切れ1、5m程短くなる。テラスに這い上がりビレーを取り、僕がトップで登り出す。1P目。全く残置ピンがなく幅のあるクラックの右を20m程登り、フェースを少し行き這松のバンドに着く。これを右にトラバースすると沢山のピンを見つける。このバンドでビレー。2P目。住友さんトップで15m人工とフリーで登り、上部バンドへはボルトの頭に乗っての不安定なフリーとなる。バンドへ出て浮石に気を付け登れば、踏み跡が微かに現れドームの頭に到着。3P目は岩稜歩き40mで最初の下降点に着く。休憩後、東大谷中尾根偵察を兼ねて別山尾根を下り剣山山荘を経てBCへ。G3はスケールが小さく浮石が多いが人間臭さのしないバットレスである。G3の頭からは東大谷がよく見える。登攀中は尾根道(一般道)から離れているため人為落石は全くなかった。明日、雪練。
・BC7:10⇒平蔵のコル10:10⇒取り付き12:45⇒終了14:15
(回想)
東大谷G3は小さい岩場である。わざわざアプローチに多大な労力を使って登るような所ではない。本峰に行くついでに登れば良いだろう。この岩場は殆ど登攀者がいないように思えた。ゴミはゼロだしピンも古かった。G3・G4間のルンゼを下降する時に打ったピンはまだあるのだろうか?チャンスがあれば確かめに行きたい。
27日(木)快晴→雷雨 長次郎谷で雪練
大阪を出て17日目。もういい加減嫌になる。疲れも溜まってきたようだ。しんどいが長次郎谷へ雪練に出る。ストッピングで1年生のケガ人が続出。12:00過ぎに切り上げ、BCに戻り昼寝を楽しむ。15:00頃より夕立がやってきて急いでフライを張り直す。夕方、ドーム稜隊(要・山本)帰幕。要さんがボルトが抜け落ちたそうだ。小黒部隊帰らず。大阪教育大は明日撤収。余った食料を沢山貰う。
28日(金)快晴→曇り 小黒部隊サポート
東大谷中尾根ロングランを中止して小黒部隊(薮内・今井)のサポートに出る。BCより二俣まで走って行く。我々より速いパーティは遂に現れず。仙人への登り2Pの所で合流。二俣まで降り、僕は9:10の天気図を書くためそこに1人残る。天気が良く気持がいい。台風8号の動きが気になる。ポケーッとブラブラBCに帰る。途中、四ノ沢からの雪渓の風がとても気持いい。昼前に1年生がCフェースに出る。明日で長かった定着合宿も終わりだ。昼から関学とトランプを楽しむ。関学も台風を気にしている。
29日(土)快晴→曇り 仙人池散歩 住友 森田 西岡
ロングランが中止になり仙人池へ散歩に出る。5時に朝食を食べ、もう一寝入りして8時過ぎに出発。4人で小さいザック一つ。ピッチ毎に交替する。二俣まで軽快に走り、二俣で休んでいると女性二人からビスケットを貰う。美味い。話をすると僕らと同じ所へ行くそうなので、その人達のザックを担ぎ仙人池へ向う。途中、早川さんと出会いビックリする。仙人池で女性にビールを御馳走になり写真を撮ってもらう。八ツ峰がきれいだ。昼寝を楽しみ、その人達と別れBCへ走って帰る。16:00の天気図では、台風は大陸へ去るようだ。夕方、関学と合同で口上をやり、幕営中の人や山荘に泊まっているハイカーさん達に大いに受け差し入れを沢山もらう。1年生の裸踊りが良かったようだ。1年生の未知の側面を見た様な気がした。この後、関学とコンパをやり1年が吐きテント中に悪臭が漂う。夜中暑くて眠れないので2・3年でジュースを飲む。今夜は天の川を中心に星がとても美しい。明日晴れますように!
(回想)
定着合宿の最終日は毎年必ず“撤収コンパ”を行った。薄暗くなった夕方6時頃、1年生は真砂沢山荘の石垣に登り、テント場に向け、カラの一斗缶をバンバン鳴らして幕営中の方を外に出させた。200人以上が見守る中、大声で、「真砂沢に幕営中のみなさーん!我が甲南大学山岳部は7月11日からの定着合宿を終え、明日から後立縦走と柳又に参ります。今夜は少し遅くまで騒ぎますがお許し下さい。」のような事を告げ、その後、1年生がひとりずつ“芸”を行った。この芸が結構面白くて受けた。ただ声が小さかったり、つまらない芸だと容赦なく野次が飛んで来た。また、この野次が場を盛り上げた。結局最後は、全員裸になってテントの間を走り回り酒等の差し入れをもらった。社会人のパーティは物資が豊富で、気前もよくハム等の高価なものをくれた。こんな光景を上級生は遠くから腕を組みながら静かに見ていたのだが・・・。私の2年上の女性部員の村岸さんは、1年のこの時に“赤い鳥小鳥〜なぜなぜ赤い?赤い実を食べた〜。”と歌い、大受けしたらしい。伝説である。
30日(日)快晴→曇り 定着合宿終了 真砂⇒室堂⇒富山
いよいよBCを引き払う。昨夜の出来事がウソのようだ。関学が先に出て行った。今井トップで快調に進む。要さんは捻挫のために遅れ気味だ。剣沢小屋で弁当を食べ、薮内さんと今井は剣山荘に挨拶に行く。要さんは診療所で捻挫を診てもらう。御前の下りで突然1年の西岡が頭痛を訴え下山させる事にする。早川さん一行とまたも出会う。西岡を連れて帰ってくれるそうだ。雷鳥沢で1年は雷鳥沢キャンプ場へ。我々2年3人はみくりヶ池へ向かう。デポを回収して室堂へ行くが物凄い人の群れにビックリする。バスとケーブルでとても長い時間待たされる。富山で風呂に入り、飯を食べ天国!天国!家へTEL。
31日(月)晴れ 分散合宿 黒部川黒薙川柳又谷 富山⇒二股 住友・今井・山本
駅でよく眠る。モーニングサービスを当てに喫茶店に行くが早過ぎてダメ。食堂“竜(りゅう)”で飯を思い切り食べる。余った荷物を送り返し、要さんは捻挫のため帰阪。我々は11:30の電車で宇奈月へ。そこからトロッコ電車で黒薙へ向う。間一髪で飛び乗る。ここで神奈川歯科大の人と会う。台風7号のため柳又谷遡行を諦め下山するのだそうだ。我々は暑い中出発する。直ぐ左のトンネルに入るが、50m程行くと前から電車がやって来て我を忘れて慌てて避難。この後、黒薙温泉へのトンネルがありそれを下り谷床に降りる。“ヤケドに注意”と所々岩に書いてある。温泉のためだ。川原を行くと軌道を辿るのが正解と判り、ガラガラのルンゼを登り軌道に戻る。おばちゃんがツルを切っていた。トンネルを幾つも抜けると突然、軌道が終わり林道に変わる。トラックやブルがちょいちょい出てくる。この林道もいつしか終わり小道となる。冬用トンネルを幾つもヘッドランを点けて抜ける。途中、天気図を取る。間もなく二俣である。途中、単車に乗った人が来る。どうも台風7号が来そうだ。夕方、発電所へ行くが水量は例年と同じ位とのこと。
・黒薙13:45⇒二俣16:40
8月1日(火)快晴 下山 TS⇒黒薙⇒宇奈月
8:00頃より動き出す。川原を少し行き、岩壁を慎重にへつる。更に川原を行くと、岩に阻まれ木を持って徒渉する。深さが腰位はある。対岸に渡り進むがまたも岩壁に阻まれ、へつろうとしたが住友さんが落ちる。ここで9:10の天気図を書く。どうも台風7号が来そうな感じなので下山と決定。来た道を戻り、二俣でレーションを摂り、黒薙目指して進む。とても暑い。トロッコ電車に飛び乗り宇奈月で解散。長い夏山は遂に終わった。
・BS8:30⇒BS10:30〜11:35⇒発電所12:30⇒黒薙13:00
(回想)
柳又谷は徒渉3回で敗退した。見た瞬間に圧倒的な水量に“ビビッた”のを覚えている。2年後に再び訪れたがこの時も敗退した。ただ初めての時の方が水量はかなり少なかった。この時行っとけばよかったのかも知れない。なお、台風は太平洋高気圧に頭を押さえられ日本に上陸する事はなかった。
〔夏山合宿を終えて〕
今回は1ヶ月と長い合宿であり、且つ、アタックメンバーであったため、難しい所に行く事になっていた。そのため合宿前からかなり不安はあった。出発前に平井さんから「2年生は中心メンバーだ。頑張ってこい!」と言われ出来る限りこの言葉を支えに頑張った。しかし長次郎のコルを間違え捻挫と指を怪我した事は反省すべきである。自分が行った所で嫌らしかったのは毛勝谷であり非常に怖かった。そのため要さんにはかなりの迷惑を掛けてしまった。反省している。以後これを活かして今後の山行へのステップとしていきたい。
(回想)
長い合宿だった。天気も良く、休みのない連日行動で非常に疲れた。また怪我人も多かった。私は右人差し指を傷めた。傷跡は今でも残っている。怪我は1年生にも続出した。反面、色んな所に行った。池ノ谷・毛勝谷・チンネなど。特に池ノ谷中央ルンゼと毛勝谷が印象に残っている。いずれも核心部は陰湿な滝であった。岩は困難で滑りやすく怖かった。当時は“怖いもの知らず”だったのだろう。
◎10月4日(水)晴れ 保塁岩 薮内・山本 甲南大学山岳部
今週の土曜日から穂高へ行くので、トレーニングをやりに保塁に行く。山本のクルマで快適だ。3本登る。落ちそうになることもしばしば。不安のみを残し帰る。帰りは六甲山をドライブ。
(回想)
当時、クルマもしくはバイクを持っていたのは、大森さん(サニー)・薮内さん(バイク)・山本(バイク)・大勝(スターレット)・森田(Z)だった。私は免許すらなくて羨ましかった(4年の時に取得)。甲南にはクルマで通う者も結構いたが・・・。山本のクルマでよく山に行った。電車より楽で便利ある。そして何よりも今と違って“自分が運転をしなくてよい。”点が良かった。今はマイカーで山に行くが帰りの辛いこと。足がつるのと眠気には参る。
◎10月7〜11日 10月個人山行 前穂高岳奥又白 薮内・今井・山本 甲南大学山岳部
7日(土)離阪
試験も終わり、人の一杯いる大阪駅から、ちくま5号で出発。迷った末にピッケルは持っていく。車内ではワンゲルの連中と楽しく過ごす。
8日(日)晴れ 上高地⇒奥又白池
塩尻で八ヶ岳へ行くWVパーティに別れを告げ松本で下車。とても寒くて駅前の表示板に“4℃”と出ている。タクシーで上高地まで入る予定であったが、行ってくれないので超満員の松本電鉄で新島々へ。更にバスで上高地に向う。補助席に座りとても疲れる。上高地で畳岩に向う薮内さん・山本と別れ今井と奥又白池を目指す。今日は天気が良く眺めは抜群だ。それにしても人が多い。明神を過ぎ徳沢までは広くて林道のような道。とてもだるい。徳沢は初めて訪れたが眺めの素晴らしい所だ。昼寝をしたくなる。新村橋を足元に気を付けて渡り赤布に導かれて奥又白谷へ入る。初めは樹林帯で間もなく川原に変わる。ここで昼食を摂り、更に踏み跡を伝って行く。奥又池と涸沢の分岐点まで遭難碑が幾つかあった。分岐点で道が判らず、屏風から下山するというおっさんに教えてもらう。ここから正面に松高ルンゼがよく見え何人かの人が登っている。おっさんは中畑新道の方が良いと教えてくれそれを辿る。最初から物凄い急登でバテバテ。何度も休みながらのんびり行く。おっさんは3時間程だと言っていたが実際は2時間で池に着いた。湖畔には沢山のテントが張ってあり場所がなく、結局、石や草を抜いて整地してテント地を作る。カマボコ型テントを張る要領が悪く時間を喰う。簡単な夕食を終え寝る。
・上高地9:00⇒奥又白池15:00
9日(月)晴れ→曇り→雨
朝早く起き日の出を見る。素晴らしい。朝食を終え、再び寝ていると畳岩隊がやって来て起こされる。本日、アタックの予定だが沈となる。14:00頃、薮内さんと岩場の偵察に出る。あえぎながら尾根を登って行くと、よく岩壁群が見えるピークに立つ。ここで、おっさんに下降路を聞く。このおっさんは、今日、北条・新村ルートに6:00に行ったそうだが、前に20パーティ位いて、結局、北壁Aを登って戻ってきたそうだ。この間に手に落石を2発喰らったそうだ。ここから見ても15時だというのに5〜6人が北条・新村に取り付いていた。我々は明朝早く発つことにしてTSに戻る。落石は頻繁だ。夕食を終える頃から雨が降り出し一晩中続く。
10日(火)雨→曇り 下山
一晩中雨で睡眠不足だ。テント内は水浸し。8時頃昼食を摂り下山にかかる。急な中畑新道を下り徳沢に向う。新村橋手前の樹林帯で迷い苦労する。新村橋を揺らしながら渡ると徳沢である。昼食を摂り、薮内さんは横尾へ。山本は少し遅れ上高地で会うことにして今井と先に下る。飛ばして上高地着。今日はガスで全く景色はダメ。上高地で山本と合流後、神戸女子大WVの人とタクシーで松本へ。女の運ちゃんだ。ちくま4号で帰阪。
・TS10:00⇒上高地14:30
(後記)
今回は、羽毛シュラフ・羽毛服・羽毛シューズなどを持っていき有効であった。快晴の夜は日没と共に急に冷え込みとても寒かった。3季シュラフでも可能なようであったが、やはり夜を快適に過ごすには4季シュラフの方が良いようだ。パッチも行きは穿いていたが、日中は気温も高く不快であった。ヤッケは必要な感じだがオーバーズボンは要らないようだ。
(回想)
この時は前穂高岳W峰正面壁を登りに行った。ボロボロの岩場であった。これまで本チャンは剣岳の岩場しか登った事が無かったので穂高のボロボロの岩にはビビッた。遠くからでも落石が見えた。かなり大きな岩が頻繁に落ちていた。これを見た時点でヤル気が失せていた。剣のチンネ・八ヶ峰Y峰の岩は硬い。そして落石も小さい。なお、この前穂W峰は冬に大先輩の柏さんが完登(パートナー不明)。3月に松下さん・大森さんが途中まで登っている。大したものである。
◎10月22日 10月個人山行 比良山系貫井谷左俣 要・森田 甲南大学山岳部
22日(日)晴れ
京阪関目を5:10発の始発で6:20京都三条着。バス停にはまだ人は少ない。7:09発のバスで梅ノ木へ向う。発車直前に要さんと森田が現れる。満員のバスに揺られ梅ノ木着。バスの進行方向へ10分ほど行くと貫井谷出合である。貫井谷はルート図によると二俣まで左岸に道が付いているらしかったが、それらしきものは見当たらず沢通しに行くことにする。地下足袋を履き、更に二俣の手前の滝の下でわらじを着ける。出合では女性を含めた5人パーティと会う。出合から二俣までは、砂防ダムと10m程の滝があるくらいで簡単に行ける。これらも巻き道があり簡単に越せる。二俣からは、左右共にゴルジュ帯に変わり奥まではっきり見えない。左俣を取る。直ぐに左岸から乾いた岩を登り滝頭に出て、この後は殆どの滝が滝芯をフリーで登れる。ザイルは2回出したが登攀具を出すに至らず。ましてピンを打つことなど全く無し。予想では滝には苔などが付着していて登り難いと思っていたが、水流でそれらは全て取り除かれていて快適そのもの。ピンは1ヶ所だけありシュリンゲが掛けてあった。ここがおそらく“ゴルジュ最悪の滝”とルート図に書かれてあるものだったのだろう。水流は少なく奥ノ深谷の半分以下だ。所々、伏流となっている。この沢は比良山系で最も難しいと聞いていたが、奥ノ深谷や口ノ深谷の方が難しいと感じた。しかし殆どの滝が滝芯をフリーで登れるのがとても素晴らしい。谷は水流が途絶える辺りから滝も無くなり、ルンゼを落石に気を付けながら登り、更に笹の中の踏み跡を辿ると武奈ヶ岳頂上だ。ここには沢山の人がいて紅葉と快晴の下、琵琶湖が美しい。ピークからは八雲ヶ原・大山口を経て国鉄比良駅へ。今日はヤクルトが日本シリーズで初優勝。
(回想)
比良の谷は幾つか登ったが“ルンゼ”はここだけである。 これ以外の谷は適当な間隔で独立した滝が出てくるがここは“岩溝”である。岩登りの要素が強い。難度もザイルを出すか出さないかである。ただ、落ちたらダメージは大きい。“比良で一番難しい”と言われるのはこの様な事が理由かも知れない。
◎11月3日(金)晴れたり曇ったり一時雨 六甲ロックガーデン 甲南大学山岳部
朝7:00に部室集合。とても寒い。アイゼンワークのためにロックガーデンに行く。午前中2時間。午後から4時間ほど“月の墓場”辺りを歩く。好きな時に休んで楽勝。パーティは今井・山本である。
◎11月12〜18日 秋山合宿 雷鳥沢定着 雪上訓練・スキー 甲南大学山岳部
【参加者】( )は学年
・ 縦走/荷上げ隊:薮内(3)・今井(2)・山本(2)
・ 定着隊:豆田(4)・要(3)・川野(2)・青木(1)・西岡(1)・大勝(1)・森田(2)
【計画】
・ 縦走荷上げ隊:赤谷尾根⇔大窓(デポ)*冬山合宿に備えデポ
・ 定着隊:室堂⇒雷鳥沢 *剣岳アタック
12日(日)
朝から小雨が続く嫌な天気だ。体育大会も中止になる。今日から11月合宿だ。少ない見送りの中(住友さんのみ)23:20発「立山5号」で離阪。夜になり雨は更にひどくなる。
(回想)
住友さんはバイクで転倒(川口さんの家の近所だったと記憶している)し頭を強打。数週間入院された。よって今回は参加しなかった。
13日(月)雨 入山 室堂⇒雷鳥沢
心配していた高原バスは室堂まで入る。しかし雨が止まずにうんざりする。雷鳥沢まで1時間程。全員ずぶ濡れだ。この先が思いやられる。午後から予定していた雪練は中止となる。寒い!
14日(火)快晴 雪上訓練
3:30起床。午前中は雪練。午後からスキー。1年生はアイゼンの着脱が遅く盛んに尻を叩かれていた。この後、急な斜面で歩行練習を行い、コンテに移った。青木と悪い氷壁に挑みとても緊張する。この後、スタカットに移る。堕ちる役をやりとても疲れた。快晴の下、距離スキーを見ながらレーション。昼からスキー。歩行と直下降を行うが全員悪戦苦闘。今日は本当に快晴の良い天気だった。
15日(水)曇り→吹雪 雪上訓練
3:30起床。午前中雪練。アイゼン着脱・ストッピング・ザイルワークを中心に行う。1年生は夏に比べて非常に上手くなっている。起床時は曇っていて今にも降り出しそうな天気であったが予想通り8:00頃より吹雪となる。それにも負けず11:00頃まで雪練を行う。ガスの中BCに戻るが、視界が30m程度でとても困ったが何とか帰幕。昨日の快晴がウソのようだ。午後からはガスが和らいだが雪は一層ひどくなる。しかし強風のため余り積もらない。午後からのスキーは中止。今日、以前から調子の悪かったラジオが遂に音が出なくなった。そのため16時の天気図が書けない。不安だ。夕食後、小便に出るが風が強く泣きたい気分。吹雪は夜になり更に強くなりそうだ。西風のため西高東低の冬型のような気がする。この雪でバスが止まらないことを祈り寝る。明日、剣岳アタックの予定。
16日(木)快晴 BC⇔御前⇔前剣
昨日とうって変わって快晴。まだ真っ暗な中5:00に出発。出発直前になり豆田さんと調子の悪い西岡の二人が残ることになる。BCより直ぐ目の前の今は橋の取り除かれた雷鳥沢を渡る。ここから御前への夏道が判らず、記憶と勘と動物の足跡を頼りに何とか夏道を探し当てる。積雪は40cm程。振り返るとオリオン座とお月さんが薄明の中美しい。ラッセルは膝下20cm程。2Pで御前に到着。御前の直下はクラストしていて快適。御前小屋は既に閉鎖していて中へは入れない。ここで夜明けをむかえ黒百合のコルへのトラバースに移る。途中何箇所も雪崩そうな所が次々と現れ気味が悪い。そのためコルまで駆け抜けとても疲れる。1Pでコルに着く。この辺りで寒さのためか非常に頭が痛くなり歩行困難になってくる。しかも急な前剣を越え“門”辺りの鎖場で前進が不可能となり引き返す。この頃、頭痛は最高潮。1年生が身体を擦ってくれる。3Pザイルをフィックスして前剣を慎重に下り黒百合のコルに着く。いぜんとして東大谷の吹き上げ風が激しい。コルからは来た道を喘ぎながら戻る。バテバテでトラバースを終え御前に到着。ここから一気に雷鳥沢を走り降りBCに戻る。足が棒になりしんどいアタックだった。
(回想)
しんどいアタックだった。この時期(11月中旬)に雷鳥沢から1日で剣岳本峰を往復するのは難しいのかも知れない。トレースは皆無・岩場の不安定な雪の処理などで時間がかかり、この時も前剣で引き返している。実際にこの先は鎖場にフワフワ雪が乗り悪そうな箇所があった。全てのピッチでフィックスが必要となるだろう。秋は雪と岩が馴染んでなくてアイゼンの利きも悪く怖い思いをした(翌年秋の硫黄尾根でも同様な状態で苦労した)。この時は頭痛で困った。寒さのためだろう。私にだけに起こった。この理由は分からないが・・・。頭を冷やさないことが第一で、これ以後は“目出帽+高所帽”の組み合わせがベストであった。これで強風から顔面も守ることができた。
17日(金)小雪→ガス 雪上訓練
昨日のアタック疲れで、昨夜はよく眠れた。4:00起床。雪練に出る。ストッピング・ザイルワークを10:00頃まで行いこの後はスキーをやる。主に斜滑降キックターン。昼食時に1年生の足を診ると何と青木・大勝の足が凍傷になり一同ビックリ。このためストッピングをした時に怪我をした森田も休ませ、午後からは要さん・西岡の3人でスキーを行う。何故か豆田さんも沈だった。ガスの中、一昨日のスキー練習場に行き直下降などを行う。西岡が上達しうれしい。明日、1年生の怪我等で下山となる。夜、撤収コンパをする。
(回想)
青木と大勝の凍傷はU度だった。当初は足の紫色は“汚れ”だと思ったが良く見ると“皮膚が変色したもの”だった。凍傷を初めて見たのでこれにはビビッた。これが元で両君は冬山に参加出来なかった。原因は入山日に雪面が崩れ“小さい流れ(溝)”に落ち、靴が濡れた事による。私も落ちたが靴に水が染み込まず助かった。私は登山靴を夏用と冬用に分けていた。夏用を冬に使うと皮革が劣化し濡れ(染み)易くなる。それが夜間の低温等で凍りそのまま足を入れると凍傷になる。冬山で靴に限らず、濡らしてしまうと、まず乾かない。濡れに対しては細心の注意が必要である。両君は夏用の靴を冬でも使っていた。また厳冬期ならオーバーシューズを履くが、この時はロングスパッツだけだったと思う。
18日(土)快晴 下山
今日は下山。天気は1日毎に変わるようだ。室堂まで1P。室堂で村岸さんのお父さんにお会いして肉マンを差し入れしてもらう。上手い。ここからバスで下り、富山から14:25発の「白鳥」で大阪18:45着。
(回想)
村岸さんのお父さんが、なぜ室堂にいらしたのか?出張だったと思うが謎である。
◎11月25〜26日 土日山行 蓬莱峡 甲南大学山岳部
25日(土)晴れ
学校に行くと、本日、3年3人・2年2人・1年1人という6人の小パーティの土日山行と知る。人数が少ないのは風邪や凍傷のためだ。3限目の化学演習のため皆より遅れて出発。17:00頃到着。急いで住友さんと大屏風を2本駆け登る。暗くてとても恐ろしい。
26日(日)小雨
昨夜から幾度となくテントを叩く雨音で目が覚めた。朝は生憎の雨。9:00から動き始める。アイゼンを着け薮内さんと大屏風と小屏風を何本も登る。昼食後も薮内さんとロウソク岩の辺りをさまよい、その後、また大屏風と小屏風を何本も登る。今日は雨でうっとうしいが調子はまずまず。宝塚駅ではあの長岡さんと会う。社会人山岳会に入っているようだ。
(回想)
長岡さんとは小学校からの同級生(女性)である。中学時代は同じクラスになったこともあるし、水泳部でも同じであった。高校は違ったが同じ山岳スキー部であった。高1の冬の試合(距離スキー)では、コース内で応援していた私の目の前で転倒しスキー板が折れた。その時、私の板を貸した。現在は四児の母で“ただのおばちゃん”である。数年前に同窓会で会った。
◎12月3日(日)快晴 蓬莱峡 甲南大学山岳部
土日山行の予定であったが冬山の件で色々あり、土曜日が中止となり日曜日のみの山行となる。8:00に宝塚集合。9:30より登り出す。午前中は今井とロウソク岩の辺りをさまよう。昼からはアイゼンで大・小屏風を登る。快晴の下、とても気持ちが良い。しかし人が多い。帰りはバスのつもりであったが一足違いで乗り遅れ生瀬まで歩き国鉄で帰る。
(回想)
前日の平生会では冬山の計画(北方稜線)でOBともめた。OBから大反対が出た。最悪の天気で豪雪の冬ならば最悪の結果になったかも知れない。今の私でも反対するだろう。
◎12月7日(木)快晴 雨ヶ峠 ボッカ訓練 甲南大学山岳部
13:00に学校発。納富さん・今井・森田の4人だ。バットレス直下の砂防で砂を詰め1年50kg・2年55kg・5年30kgを担いで3Pで雨ヶ峠(17:00)。18:30に学校に戻る。
◎12月19〜27日 冬山合宿 剣岳早月尾根 甲南大学山岳部
【参加者】( )は学年
・ 北方稜線隊:納富(5)・薮内(3)・今井(2)・山本(2)
・ 早月尾根隊:要(3)・住友(3)・川野(2)・西岡(1)・森田(2)
【計画】
・
北方稜線隊:片貝山荘⇒毛勝北西尾根⇒北方稜線⇒剣岳⇒早月尾根
・ 早月尾根隊:早月尾根⇔剣岳(縦走隊のサポート)
19日(火)離阪
縦走隊より4日遅れで出発。WVの人や残留の後輩に見送られて急行「きたぐに」で離阪。
20日(水)曇り→晴れ→小雪 伊折⇒早月尾根・松尾の奥ノ平
富山4:16着。ここで地鉄に乗り換え上市には6:00頃に着く。ここで予約したタクシーの運ちゃんが待っていて「昨夜からの雪のため馬場島はむろん、伊折までも入れない。」と言う。バスなら行けるとの事で7:30発に乗り込む。バスは小雪のちらつく中、雪を踏みしめ伊折まで入る。伊折からはダンプやジープが何台も行き過ぎる。しかし全く乗せてくれない。馬場島で黙祷をして登山届を出す。現在、西南学院大が2600m付近にいるそうだ。レーションを食べ出発。夏道通りに進む。ラッセルは膝下だがとても軽い雪で快適。松尾平への登りも夏道通り進みゆっくり行く。早月尾根の取り付きから2Pで松尾の奥ノ平に着く。ここにザックを置き1900mピークの取り付きまでトレースを付けに行く。古いトレースが僅かに残っている。戻ってテントを張る。テントを張っている間に天気図を書くが小雪と低温のため目茶苦茶になる。17:05の交信で感度なし。
・伊折8:30⇒馬場島12:10⇒松尾の奥ノ平15:10
21日(木)曇り一時小雪 TS⇒1900m
TSより平らな所を少し進み1900mピークの登りにかかる。ラッセルは膝位で軽い雪だが全装備を担いでなのでとてもしんどい。夏道通り古いトレースが付いている。5Pを越えるころから皆バテ始め、結局、避難小屋まで行くのを止め7Pで到着した1900mピークにテントを張る。本当にしんどい1日であった。テントを張り終えるともう真っ暗であった。夕方の交信で縦走隊が毛勝岳北峰にいると知る。
・TS6:30⇒1900mピーク16:15
22日(金)快晴 TS⇒伝蔵小屋BC
全装備担いで出発。昨日、住友さんがラッセルしたので避難小屋まで40分で着く。小屋は煙突しか出ていない。そこから膝位のラッセル4Pで伝蔵小屋に到着。ここにザックを置き1年生2人と3人でラッセルに出る。戻ってレーション。12:12の交信で感度なし。この後ここにBCを設けることにしてテントを張る。この間に住友さんが2400m付近まで偵察に出る。夕方、縦走隊がブナクラのコルにいると知る。
・TS7:40⇒伝蔵小屋11:35
23日(土)曇り→小雪+強風 剣岳アタック TS⇔2900m付近
5:00頃ヘッドランを点けてBCを出る。2400mまで昨日のトレースが残っていて問題なし。2400mからは1年生とコンテで行く。殆ど稜線通しに進む。所々赤旗が残っている。2900mまで雪壁や岩やナイフリッジが出てきて厄介だ。11:30。2900mの岩峰より引き返す。状態が非常に悪く殆どフィックス。非常に時間を喰った。2500mで日没となる。BCにはヘッドランを点け19:00に戻る。嫌になる。TSには学習院大が入っていて伝蔵小屋にも人がいた。
・TS5:10⇒2400m6:20⇒2900m(断念)11:30⇒BC19:00
(回想)
この日はラッセルがきつかった。さらに新雪が降り積もり稜線を忠実に進んだので余計に時間を喰った。合宿前にポチさんから「早月の上部は悪いから気をつけや。」と言われていたがその通りであった。結局、頂上までは届かずに引き返したが、悪天と日没でえらい目に遭った。途中でビバーグも覚悟した。縦走隊も相当心配したらしい。
24日(日)小雪
6:20起床。雪のため沈となる。午前に1パーティ。午後にもう1パーティ来た。12:12の交信で縦走隊とよく喋った。17:05の交信で「メリークリスマス!」と言うメッセージを聞く。本日、テントラッセル朝夕1回。
25日(月)快晴 剣岳アタック 住友
昨夜は余り眠れずしんどいがアタックに出る。今日は何が何でもピークに立つ!快晴の下とてもいい気持ち。2600mまで要さんと1年生にラッセルサポートしてもらう。膝位だ。この辺で夜明けを迎える。無風快晴で絶好のアタックとなるだろう。2600mより先は住友さんと交代でラッセル。巻けるコブは出来る限り巻くようにする。2800m辺りで後方に2パーティを見るがなかなか我々に近づこうとしない。2900m付近で交信中に学習院大が追い付き、先に行ってもらうが、先日、引き返した少し手前で抜き返し先行する。懸垂で20m降り小岩峰を池ノ谷側から巻き、氷ったルンゼをふたつ登り本峰に11:00到着。360°の大パノラマ。八ツ峰・富士山・後立・槍穂など全て見える。そしてヘリもやって来た。本当に気持ち良い。完全に埋った祠の上で記念撮影と黙祷後下る。ピーク直下の岩峰でフィックス工作のため手間取ったが、あとは順調に進み14:30にBC。帰りは完全に“溝”でラッセルもなく快適。夕方、生まれて初めてブロッケンの妖怪を見る。
・BC5:15⇒2600m7:30⇒剣岳11:00〜11:20⇒2600m14:00⇒BC14:30
(回想)
前回1年生を連れてのアタックで時間を喰ったので、今度は上級生のみで行くことにした。とにかく二人でのラッセルはきつかった。記憶にあるのは、後続パーティがなかなか追い付かないことであった。“ラッセル泥棒”とはこのことかと思った。まあ今では考えられないくらい元気であったが。最近はこっちがラッセル泥棒である。
26日(火)快晴 剣岳アタック
今日は1年生を連れて全員でアタック。真っ暗な中ヘッドランを点け出発。昨日同様素晴らしい天気だ。BCよりピークまで完全にトレースガあり8:30に本峰着。素晴らしい眺めだ。帰りは本峰直下でザイルを出した以外は全て順調にいき、12:05にBC着。縦走隊、本日、本峰で幕営。
・TS5:10⇒2900m7:15⇒剣岳8:30⇒BC12:05
(回想)
トレースがあればこんなに早いものなのか。“馬場島から剣岳まで1日で往復したパーティがある”と聞いたことがあるが好条件が揃えば可能であろう。この時もアイゼンを利かして飛ばしに飛ばした。
27日(水)快晴 縦走隊サポート
6:00頃、要さんとサポートに出る。2900m付近で合流。フィックスを回収しているところであった。そのままBCに下り、11:00に下山開始。14:00頃、馬場島に到着。完全にトレースが付いていて夏よりも下り易い。松尾平付近では雪も消えまるで6月のようだ。馬場島でタクシーを呼び上市へ下る。富山で解散。僕はヒュッテに向う。
(冬山合宿を終えて)
今回の冬山は天気にも非常に恵まれ、かつ積雪も少なく簡単に終わってしまった。縦走隊も無事に北方稜線をトレース出来、リーダー会も満足しているようだ。けれども1年生にはとても緊張させられた。特に1回目のアタックの時は何度も恐ろしい思いをした。来年は土日山行も増やしてもっとトレーニングに励むべきだ。自分にも反省すべき点が多かった。まず夜に十分睡眠が取れず翌日の行動に差し支え、とても疲れた。ラッセルも十分に出来なかった。今後、自主的にビバーグのトレーニングなどをして克服したい。
(回想)
地球温暖化の影響か?この頃より暖冬が増えてきたような気がする。この冬も悪天は長くは続かず楽勝であった。薮内さんからは北方稜線も「5月より簡単だった。」と聞いた。その翌年も暖冬で2年後に豪雪(56豪雪)となった。
◎1979年1月4日(木)快晴 蓬莱峡 単独
部内では禁止されているのだが、独りで蓬莱峡に岩登りに行く。初詣参りの人が多く阪急電車は一杯だ。宝塚でバスを一足違いで逃し1時間近く待たされる。蓬莱峡には冬山シーズンのためか僕と、もうひとり兄ちゃんがいるだけであった。この兄ちゃんは大屏風中央のツルツルのフェースにボルトを打っていた。これを横目で見ながらヘルメットを被りシュリンゲ1本を首に下げ登る。パーティで登るよりも早く沢山登れる。帰りはボルトの兄ちゃんのクルマで宝塚まで送ってもらう。
◎1月27日(日)晴れ 蓬莱峡 甲南大学山岳部
新しく入ったアメリカ人のラルフを連れ岩登りに行く。当初、納富さん・渋谷さんが行く予定が急に変わり、僕と青木が代わりに行く。重量挙げ部の金井さんのクルマで要さんをリーダーとして出発。今日は暖かく、まず小屏風2本。大屏風4本登る。僕・青木・金井パーティ。要・ラルフパーティ。
◎3月4日(日)晴れ時々小雪 ロックガーデン 甲南大学山岳部
昨夜のコンパのため身体はだるいがアイゼンワークに行く。月の墓場を1年生2人とさまよい17時頃に部室へ戻る。今日は時々小雪が舞い嫌な天気だった。
◎ 3月7〜20日 春山合宿 鹿島槍ヶ岳(北壁)天狗の鼻BC 甲南大学山岳部
【参加者】( )は学年
・ 要(3)・住友(3)・薮内(3)・今井(2)・山本(2)・青木(1)・ 西岡(1)・大勝(1)・森田(2)・ラルフ=プチャルスキー(留学生)
【計画】
・ アタック対象:北壁(主稜・ピークリッジ)・荒沢奥壁(南稜/北稜)・荒沢尾根
7日(水)離阪
急行「ちくま5号」22:20で離阪。いよいよ春山合宿の始まりだ。沢山のOBや友人そして本日「ちくま3号」で合宿に行く泉尾高の後輩に見送られる。松下さんが北壁主稜について詳しく教えて下さる。3P目の滝が悪いと言うことである。新しく買ったインターアルプのピッケルは、皆とても短いと言う。不安だ。しかし気にしない。
8日(木)曇り→小雪 大谷原⇒天狗尾根1600m付近⇔1800mデポ
松本で乗り換え大町下車。電車の中でラルフは山本・今井・僕に盛んに「あれは何という山ですか?」質問する。僕は全く分からず当惑した。大町からは2台のタクシーに分かれて大谷原に向う。6人と重たい荷物のため「車がつぶれる。」と運転手さんはぼやいていた。
途中、鹿島山荘へ今回の計画書を提出した。今年は予想通り雪が非常に少なく大谷原では所々土が出ている。ここからトレースに従って河原を荒沢出合に向かって進む。2Pで出合。とてもえらい。トレーニング不足が悔やまれる。荒沢はOBから聞いていたとおりで、とても貧弱な谷で暗い。ここでレーションを取る。通常、天狗尾根は荒沢を2〜300mつめて側稜から取り付くが、偵察の結果、荒沢の状態が悪くトレース通りに末端の急登から行く。偵察の際、荒沢尾根隊の2人がチラッと見える。変な着き方をしている雪に苦戦しているようだ。取り付きから2Pで幕営。この2Pは嫌になるほどの急登とブッシュで閉口した。テント設営後、薮内さん・山本・青木・僕の4人で一部を荷上げする。それにしても重たい荷物だった。本日バテバテ。しかしラルフは予想に反して平気だ。
・大谷原9:10⇒荒沢出合12:00⇒TS15:00 荷上げ後帰幕17:00
(回想)
ラルフには45kg位の荷物を背負わせていたが元気一杯であった。今井は「流石、肉食人種や。パワーが違う。」と言っていた。確かにパワーはあった。ただ、足も長くラッセル時の日本人の歩幅が合わずステップを崩すのには参った。注意したら「ニホンジンノ、ホハバハ、セマイ。」と言っていた。
9日(金)快晴 1600mTS⇒天狗の鼻
TSから登りにかかる。急だが直ぐに平らな尾根になり1Pでデポ地に到着。ここからは昨日の小雪のためかトレースは消えている。1P強で第1クロアール直下に着く。今日、天気は良いがとてもしんどくて泣きたい。第1クロアールは40m程だが断続的に小さい雪崩が起きている。これを過ぎマガリ沢側に発達した雪庇の痩せ尾根を少し行くと第2クラアールである。ここは第1より倍くらい大きく、左の大木のある稜に80mフィックス。第1・2クロアールはフィックスのため時間を喰う。第2クロアールの上は痩せ尾根から雪壁に変わりバテバテで天狗の鼻に到着。途中、荒沢尾根隊とコールを交わす。
TS6:30⇒第1クロアール9:25⇒第2クロアール11:40⇒天狗ノ鼻13:45
(回想)
天狗ノ鼻から見た鹿島の北壁は圧倒的で正直ビビッた。何しろ傾斜が急で“壁”である。スケールも想像していたよりも大きく、主稜もリッジではなく“壁”に見えた。真ん中を黒ずんだ中央ルンゼが斧で割ったように走り恐怖心を煽った。皆で「凄い所や!」と変に感心したのを覚えている。
10日(土)曇り→吹雪 デポ回収
一昨日のデポを取りに全員で下る。第1・2クロアールは、それぞれ80mと40mフィックスした。第1クロアール直下では、上がってくる西南大の3人パーティと出会った。デポを回収してバテバテでBCに戻った。途中、登攀中の荒沢尾根隊の姿が見えた。苦労しているようだ。午後から雪も激しくなりテントラッセルに出る。16:00の天気図では日本海付近に4つも低気圧があり明日も荒天となるだろう。夕食後再びテントラッセルに出る。
・BC6:25⇒デポ地8:00⇒BC11:00
11日(日)ガス強風→快晴 沈殿
とても寒く風が強い。夕方、ガスが晴れとても景色が良い。夕方の交信で今井が5m程落ちたと聞き心配する。明日、荒沢隊のサポートに出る。
12日(月)快晴→小雪 荒沢隊のサポート
素晴らしい雲海の朝だ。ラルフは盛んに写真を撮り感激している。鹿島槍アタック隊と一緒に出発。荒沢の頭で荒沢尾根隊をサポート。かなり疲れていてフラフラである。アタック隊は鹿島のピークへ。今日は本当に素晴らしい天気だ。明日、北壁主稜へ。
13日(火)晴れ→雪 鹿島槍ヶ岳北壁主稜(断念) 住友
住友さんと主稜へ向かう。一方、薮内さんと山本は荒沢奥壁南稜へ。南稜隊と最低コルの手前で別れる。コルで登攀の準備をしてトラバースに移る。P3(ピークリッジV稜)の下まで2〜300mはノーザイルで膝程度のラッセル。ここからはザイルを出しスタカットで行く。P3から直下から雪が降り始める。3Pトラバースして、4P目蝶型岩壁の手前のラビネーツンクを降り、小さく細いブッシュとピッケルで住友さんをビレーしていると周りから一斉に雪崩が起こり、ラビネーツンク内の住友さんもやられるが流されずに済んだ。もし流されていたらおそらく僕は止められなかったであろう。このためBCに戻る。至る所から雪崩ていて走るようにして戻った。そのため非常に疲れた。南稜隊は登攀中でガスの切れ間からその姿がチラッと見えた。
・BC5:30⇒最低コル5:50〜6:05⇒断念8:00⇒最低コル10:00⇒BC10:30
(回想)
降雪と同時に一斉に雪崩とシャワーが起こった。ラビネーツンクは雪の通り道となった。怖かった。先程までウロウロしていた所を雪崩が落ち、生きた心地がしなかった。北壁は恐ろしい所である。
14日(水)快晴→雪 鹿島槍ヶ岳北壁主稜 住友
快晴の下、再び主稜アタック。BCより最低コルに向う。コルで登攀具を着け用意していると京大の人(2名)と出会い、彼らも主稜なので一緒に行くことにする。交替でラッセルを繰り返し、昨日引き返えした所を過ぎ蝶型岩壁の下をトラバースして主稜末端に着く。正面ルンゼを少し登りコルに出る。ここから雪壁を60m程登る。左のルンゼからシャワーが頻繁だ。この後、京大の人と住友さんがザイルを出し主稜上に出ようとするが悪くてなかなか前へ進まない。やっとのことで強引な木登りと急な雪壁を越えて岩峰の上のコルに出る。このピッチで非常に時間を喰い、ビバーグの用意を持っていない京大パーティは登攀を断念し帰っていった。カラビナとシュリンゲを少々借りた。コルからは右の稜を忠実に辿ろうとしたが、急な上に脆い岩なので左に凍った滝を見ながら広いルンゼを登る。初めは傾斜も緩く易しい雪田であるが、滝の落ち口に登るにしたがって急になり、遂にはかぶり気味となり左にトラバースする。この辺りの雪質は、表面は凍っていて固いが中は砂の様な雪であり悪い。10mトラバースすると残置ピンを発見しステップを切ってビレーする。しかし急斜面でトップを交替出来ず次のピッチも僕が行く。左に青く凍った滝を目指して更に10m左にトラバース気味に登る。直登は垂直の雪壁のため不可能である。この後、今度は右へトラバースして20m程登り滝の頭に出た。この右へのトラバースは雪壁を崩しながら進んだのでとても時間がかかった。滝の上部は、下から見ると傾斜も落ち易しそうに見えたが、実際はバンバンに凍っていてブッシュにランニングビレーを取り、思い切ってダブルアックスで8m登り壁の下でビレー。この8mのダブルアックスはアイゼンのツァッケが1cm位しか入らず緊張する。次にすぐ上に伸びている垂直に近い凍ったルンゼを登ろうとするが登攀不可能。そのためトップの住友さんが右へ8mトラバースして垂直の脆い壁をブッシュを頼って登るが5m登った所で腕力尽きビレー点に戻り僕と交替。この壁を僕は、草付を“だましだまし”且つ強引に、そしてシュリンゲをアブミ代わりにして15m登る。あと少しで傾斜も落ちるので、這松を?み強引に登ると突然足場が崩れ10m転落。幸い怪我はなかった。この転落のため上へ上がることを断念し下降する。この頃よりシャワーが頻繁に起こるようになる。40m×3回の懸垂でコルに降り半雪洞を掘りビバーク。最後の懸垂でザイルが抜けず戻って解く。夜中に何回もこの上を雪崩が落ちる。
・BC5:50⇒取付8:30⇒断念16:00⇒ビバーグサイト17:10
* 装備:使用ハーケン(ロック5枚:残置 アイス1本:回収)・ツエルト(1)・ザイル9mm40m(2)・アイスハンマー(2)・アックス(2)・メタ(2箱)・食料(ジフィーズ8袋・レーション3袋)・シュラフ・羽毛シューズ 等
(回想)
緊張の連続のアタックだった。生きて帰れるのか不安だった。私は転落し追い込まれてはいたが不思議と上に登る事しか考えていなかった。あと少しで緩斜面に出られそうだったからかも知れないが。登攀は殆ど“素手”で行った。手袋を着けたら登れなかった。とにかく必死で使えるものはあぶみなど何でも使った。でも結局は落ちてしまった。あの真新しい残置ハーケンがなかったらどうなっていたことか。基部まで数百m落ちていただろう。住友さんを巻き込んであの世だったかも知れない。
15日(木)雪 BS⇒インゼルBS
雪洞を拡げるために掘り返していると2発雪崩を喰らう。2発目で僕のザックとザイル1本流されて唖然。このザックに食料が入っていたのと、ここは非常に危険と判断し降る。雪崩はそこら中で起こっていて、いつやられるかも知れない。インゼルの下まで腰から胸までのラッセルで降っていると幸運にもザックを発見。流された所から300m程下部だ。ザックを回収しインゼル末端のハングした岩の下に雪洞を掘りビバーグ。身体中びしょ濡れでとても寒いビバーグとなるが交信で皆が励ましてくれ嬉しかった。夜に何度も頭上をシャワーが通り過ぎる。
・BS8:00⇒インゼル末端のBS8:40
(回想)
撤退も大変だった。生きた心地がしなかった。隣の正面ルンゼでは大きな雪崩と供に石も落ちていた。分かってはいたが、降雪中のルンゼは雪崩の巣で、あんな所にいたら、まず助からないだろう。なおビバーグは快適だった。インゼルの末端は前傾壁でラッキーだった。この年の北壁は状態が悪かったようだ。その後、幾つかの記録を読んだが、簡単に抜けているパーティは好条件の下、1日で抜けている。しかも3人で!運もなかったが実力不足である。
16日(金)快晴 BS⇒BC
BSよりBCを目指す。デブリのカクネ里を降りBC直下の尾根を登る。胸位のラッセルでとてもえらい。ツボ足では辛くワッパを持ってくれば良かったと思う。サポート隊を見た時は本当にホッとした。今日から74wは5人になりとても窮屈だ。
BS7:00⇒BC10:30
(後記)
松下さんも言っていたようにコルからのルンゼの登りがとても悪かった。残置ピンは3本あったが、岩が脆くリスがとても甘く打っても効かない。このルンゼ上部からのシャワーとルンゼ一杯に拡がってくる雪崩がとても怖かった。
17日(土)曇り→雪 沈殿
今日は鹿島槍ヶ岳アタック隊のラッセルサポートのつもりであったが状態が悪く沈。ラーメンが美味い。昨夜は先のビバーグで濡らしたシュラフがとても冷たく余り眠れなかった。
18日(日)吹雪 沈殿
ピークリッジアタックの予定だが昨夜からの雨のため中止。朝食後テントラッセル。昼過ぎの沈殿食の甘酒。非常に甘くて全て飲めなかった。
19日(月)快晴 北壁P2(ピークリッジ2) 住友
BCより鹿島槍アタック隊の後ろに付いて行く。昨夜の雨のためラッセルが深い。最低コルからピーク隊と別れピークリッジ下部へ向けてトラバースする。膝程度のラッセルだがとてもえらい。ピークリッジ末端の尾根上で休憩後、P1とP2間のルンゼ目指して登る。急な雪壁で雪崩そうで嫌だ。50m程登り下部の岩に到着。ザイルを出す。1P目。小さいルンゼへ小さい稜から雪を崩して回り込むが悪くてなかなか前へ進まない。ルンゼは氷っていてダブルアックスで6m直上して稜に戻り木々の間をぬって稜を登る。2P目。木々の間をぬって登る。雪が緩んできて非常に登り難い。3P目。右の稜線目指して右斜め上へ登る。急な雪壁だが雪が締っていて快適だ。4P目。稜線目指して小さいルンゼを登るがよくもぐる。この辺りシャワーを何回も浴びる。稜線への出口が急な上にハイマツが厄介でトップは苦労したようだ。5・6Pは急なリッジで深雪のため時間を喰う。この後は三角岩壁下まで緩い稜をコンテで60m進み三角岩壁のトラバースに移る。100m程のトラバース(天狗尾根側)だが、急な上にラッセルがきつい。稜を二つ越え、二つ目のルンゼまでトラバースして、そこから稜線目指して約150mラッセルを交え急な雪壁を喘ぎながら登る。稜線直下の30mは表面だけクラストした雪のラッセルのためとてもきつい。稜線からはザイルを外し易しい稜を辿る。この後、天狗尾根まで急な雪壁をラッセルして尾根上へ出る。この後、鹿島北峰へ向うつもりだったが時間も遅いのでBCへ戻ることにする。終了点からBCまで1時間もかからないと予想していたが、天狗尾根第二岩峰でビギナーのおっさん3人のために時間を喰い、BC到着が非常に遅れた。夜、大エッセン大会。
・BC6:00⇒取付7:45⇒終了16:45⇒BC20:00
(後記)
納富さんの話しによると「木登りに終始する。」と聞いていたが、ボソボソともぐる雪と下部の1P目とリッジへの出口の4P目はかなり難しかった。しかし、ラッセルラッセルで非常に疲れた。5月ならもっと楽に早く登れるだろう。結局我々はP1とP2間の小さいルンゼから取り付いてP2に出たようだ。三角岩壁は下から見るとひとつと思っていたが、実際は上と下にひとつずつあり直登も可能であったが左から回り込んだ。
(回想)
記録にはないが、この日の1年生の鹿島槍のアタックで「南峰で遺体を見た。」と聞いた。夜、バテバテでBCに戻ったら、この日に限り皆元気がなかった。特に1年生にはショックで口数が少なかった。亡くなったのは山口大学の方で、二人パーティのお一人が滑落し行方不明。残りの方が南峰でビバーグ中に亡くなったそうである。ツエルトはめくれ疲労凍死だったそうである。昨日と一昨日の悪天に捕まったのであろう。主稜の事を思うと他人事ではなかった。一方、ビギナーのおっさん3人は“小屋岩”と呼ばれる所で立ち往生していた。まず二人を、ザイルを使って先に下ろしたまでは良かったが、自分が降りることができなくて困っていた。そこにたまたま我々が通りかった(実はこのパーティをピークリッジの終了点付近で見かけていた。完全なよちよち歩きであった。)。このおっさんは私に「俺はどうしたらいいのか?」と聞いてきた。「ここは懸垂下降だ。」と答えると「俺を降ろしてくれ。」と言う。仕方なしにブッシュを支点に懸垂をさせたが、この後も危なっかしく、BCまで手取り足取りであった。こんな人が遭難するのだと思った。なお、このおっさんはお礼として袋一杯(20Lのゴミ袋位の大きさだった。)の“イカのするめ”をくれた。このパーティは赤岩尾根から鹿島をピストンの予定であったが、天狗尾根に人が見え“降れそうに見えた”ので下ったという。困ったものである。
20日(火)晴れ時々曇り 下山
昨日のビギナー3人を含め下山にかかる。例によって第1・2クロアールにフィックス。あとはトレースを忠実に辿って荒沢出合へ。ここから1Pで大谷原。ここで縦走に向う5人以外はタクシーで下山。僕も帰りたい。荷物を整理した後に皆で鹿島山荘へ夕食を食べに行く。腹一杯久しぶりの食べ満足!満足!料金700円也。21:00頃テントに戻り寝る。明日から縦走。
(春山合宿を終えて)
結局、北壁主稜は失敗に終ってしまったが自分なりに精一杯やった。北壁主稜は自分には余りに大き過ぎたようだ。しかし雪崩やビバーグ。色々経験出来た。もうすぐリーダー会。頑張っていきたい。
◎ 3月個人山行 赤岩尾根⇒八方尾根 薮内・青木・大勝・西岡 甲南大学山岳部
21日(水)曇り 大谷原→赤岩尾根→冷池山荘
今日から1年生3人を含め唐松岳まで縦走に出る。合宿のようであるが、本当は個人山行である。大谷原TS7:45発。工事用道路に沿って1P少しで西俣出合に到着。ここより高千穂平まで急な登りの続く赤岩尾根を登る。トレースはしっかりしているが凍っていて急登だ。アイゼンを着け、ゆっくりゆっくり登ると間もなく高千穂平に到着。高千穂平はテント場としては最適であり全く平である。天狗の鼻によく似ている。本日ここまでの予定であったが時間も早く疲れてもいないので先に進む。この辺りから風が出てきてヤッケを着ける。高千穂平から約2Pで冷池山荘に着く。1年生はかなり疲れているようだ。小屋の前にテントを張る。山口大学はトランシーバー交信を忙しくやっている。今日は本当にしんどい1日だった。
・大谷原7:45⇒西俣出合9:15⇒高千穂平12:40⇒冷池小屋TS15:15
(回想)
この、後立縦走は1年生のトレーニングも兼ねていた。この年は1年生の怪我が多く、大勝と青木は秋の合宿での凍傷が完治せず、冬山へは行ってない。そこで、この個人山行が組まれた。気軽に考えていたが結構シビアであった。赤岩尾根は急登でしんどかった。また稜線直下は雪崩そうで悪かった。なお、山口大学の方は行方不明者を探していたのかも知れない。声は掛けていない。
22日(木)曇り→吹雪+強風 TS→鹿島槍ヶ岳南峰直下
風は強いが視界が良いので出発。山口大の人々は軽装で十数人先に出て行った。TSからは布引岳直下までよく踏まれた樹林帯のトレースを辿り、その後、吹きさらしの稜線上の白い夏道を行くが、黒部側の激しい吹き上げのため目も開けていられない。このため鹿島槍南峰直下にテントを張る。設営がまた大変で非常に寒く皆必死であった。昼過ぎより一段と風は強くなり雪も混じってきた。本日、僅か2Pの行動であったがとてもえらかった。昨日の強行のためだろうか?
・TS6:20⇒鹿島槍ヶ岳南峰直下TS8:05
(回想)
昨年5月に鹿島槍に登ったが、頂上直下に数箇所テントが張れそうなスペースがあった。多分、そこで幕営したのであろう。薮内さんも22年前の冬にこの辺りで幕営し、その後行方不明になった。それを思うと胸が熱くなった。
23日(金)快晴 TS→八峰キレット小屋
昨日から一日中強風が続いていて、昨夜はとても寒さが厳しく余り眠れなかった。強風は朝になりやや収まったが依然として強い。このため30分待機して7:20に出発。鹿島槍南峰の登りは緩いが黒部側の強風のため行きもまともに出来ず苦しい。南峰直下でさらに風は強くなった。南峰には“遺体がある”と聞いていたがなくて本当にホッとした。南峰からの下りは急で気を付けたい。南・北峰のコルからは八峰キレットを目指してひたすら下る。夏道通りにトレースは続いているようだ。ここも急なトラバースが幾つかあり注意したい。間もなくキレットである。ここは薮内さんがザイルをフィックスした。キレットはやはり噂通り悪く、鎖や針金・梯子が要所に付けてある。キレットの底は幅1m足らずでありカクネ里側から回り込み上に出る。ここは空身でこなして、荷をザイルで引っ張り上げた。キレットの底で待っていると日が当たらないために、とても寒くて困った。キレット小屋までは鎖や針金が連なっていてそれを掴んで慎重に行く。本日、小屋前に幕営。ここから快晴の下、剣岳が非常に美しい。今日、定着中から痛かった足先が再び痛み出した。軽い凍傷のようだ。顔面も昨日と今日の強風のためにやられアザが出来た。明日は五竜岳を越え唐松岳まで行きたい。ここには我々以外に2パーティテントを張っている。
・TS7:20⇒鹿島槍南峰7:55⇒吊尾根最低コル8:10⇒キレット最低部10:50⇒キレット小屋13:00
(回想)
最低コルから八峰キレットへのトラバース。ここで22年前の冬、薮内さんが遭難された。雪崩だろうか。私はこの時を含め3月に2回通過しているが、八峰キレットの印象が強くトラバースの記憶は殆どない。記録によると結構急峻のようである。2006年5月に鹿島槍に登った時、南峰から、ガスのかかった東谷を眺めたら22年前の冬が思い出された。
24日(土)曇り→強風+小雪 TS→五竜山荘
曇り空の中出発。剣岳方面はもう黒い雲に包まれていてよく見えない。直ぐに登りにかかる。五竜岳は遥か彼方だ。ルートは夏道通りで黒部側である。五竜直下より黒部側からの吹き上げが激しくなり直下のコルから五竜のピークまでは何回かぶっ飛ばされそうになり這って行く。ピークでガスと強風の中での小休止後に這って下る。強風に嫌になる。1年生は何度も風でふらついている。下降路が分かりにくかったが先行パーティに従って下る。ピーク直下の雪壁のクライミングダウンで西岡がスリップして一同ヒヤリ!!五竜山荘まで全く視界が利かず薮内さんの勘のみで無事到着。ここに着いたとたんホッとして急に疲れが出た。小屋のすぐ横にテントを張る。今日は強風に加え湿雪のため本当に嫌になった。しかし明日晴れると下山できる。16:00の天気図では発達中の低気圧が日本海と南岸にいる。
・TS6:25⇒五竜岳10:35⇒五竜小屋12:05
25日(日)強風+吹雪 沈殿
昨夜23:30にテントラッセルを行う。テントは完全に埋まっていて非常に狭くなっている。吹き溜まりに張ってしまったらしい。僕が何とか外へ出る。外は凄い悪天だ。皆でラッセルするが直ぐに埋められて結局テントに戻る。中に入るとフレームは折れ、ポールは曲がりとても狭い。このため小屋に非難しようと脱出を試みるが、なかなか外に出られない。靴を履き薮内さんがテント内に雪を入れトンネルを掘って何とか脱出。続いて僕・1年生。非常パックとレーションを詰めたザックを何とか出す。僕と薮内さんとで冬期小屋の入り口を探そうとするが、物凄い風と雪のため諦め、小屋横の風の比較的当たらない所に全員集まってツエルトを被る。ラジオをつけ寝ないように努める。皆、足の感覚が無いと言う。5:00過ぎ、空が明るくなってきたので、薮内さんと冬期小屋の入り口を探しに行く。相変わらず物凄い風だ。やっと薮内さんが見つけ出し中に入ると、金沢大学医学部山岳部の単独の人と昨日遠見尾根から下山したと思っていた鵬翔山岳会の人がいた。この時は本当にホッとした。1年生を連れてきて、この後、薮内さんとテントに戻り荷物を運んだ。不思議なことにテントは半分以上出ていて、全ての荷を小屋へ収容した。小屋の中は冷蔵庫の様で中に内張りを張り一段落する。金沢大学の人が非常に親切にして下さってうれしかった。この人は独りで槍まで行くそうだ。昼過ぎ鵬翔の人は出て行った。冬期小屋は暗くそして寒く時間の感覚が狂ってくる。
(回想)
吹き溜まりにテントを張り完全に埋められてしまった。参った。遭難するかと思った。しかし、荷物を取りに戻った時にはテントは半分以上出ていた。これは風向きが変わったためだろう。金沢大の方は医学部の矢作さんで、夏山でもお世話になった。後日ご本人から聞いた話ではあるが、この後、槍ヶ岳目指したが、八峰キレットでカクネ里に転落したとのこと。奇跡的に怪我はなく、一旦下山し再び槍を目指し完登したそうである。矢作さんには、我々の余ったガソリンを上げたが、これで助かったとおっしゃっていた。
26日(月)曇り TS⇒唐松岳⇒大町
昨日の風も収まりテントを回収して出発。金沢大の人は僕らより一足早く鹿島槍目指して出て行った。今日は何としても下山する。白岳を越え大黒岳の登りにかかる。この登り、非常に急でとても堪える。所々に鎖や針金がある。唐松山荘まで2時間少しであった。山荘前にザックを置き最後のピーク唐松岳を目指す。20分程でピークに着く。高曇りであったが剣岳始め鹿島・五竜・白馬が見える。ザックを担ぎ八方尾根の下りにかかる。これはアホ尾根で緩く快適。のんびり下る。しかしガスったら大変であろう。リフトとケーブルを乗り継ぎ大町へ下る。やっと春山は終わった。
TS8:30⇒唐松山荘10:55⇒唐松岳11:30⇒八方尾根最終リフト13:50
(後記)
この縦走は1年生には厳し過ぎた様だ。僕自身これを行うにあたり、全くルート研究などしていなかった。鹿島主稜の事ばかりが頭に残り、それどころではなかった。ルートのポイントはキレットとガスの中での五竜の下りであった。キレットでは通過に3時間程費やした。五竜の下りではガスで全く何も見えず困った。それから大黒岳の登りは所々に鎖や針金があった。雪庇は大きい。風は鹿島南峰・五竜付近は恐ろしく強い。これで鹿島では顔を凍傷でやられ、五竜では突風のため何度も吹っ飛ばされそうになった。
(回想)
この春山合宿も長かった。そしてシビアであった。ひとつ間違えば命を落としていたかも知れない。冬の壁は実力不足だった。小手先の技術と雪山2年の経験ではどうすることも出来ない。そんなことを考えさせる合宿だった。ただ、この年は印象深い山行が多かった。メンバーに恵まれていた。
個人山行の、最低コルから八峰キレットへのトラバース。ここは薮内さんの事故現場である。この時は、1年生3人を含むパーティでもザイルを出すこともなく難なく通過した。一方、八峰キレットは荷上げやフィックス工作と苦労したので、薮内さんは、キレットの通過に気を取られていたのかも知れない。私の記憶でもキレットの通過が記憶に残っている。この年は鎖や針金が出ていて難なく通過したが、翌年は大半が雪に埋まっていた。多分、薮内さんの事故の時は大量の雪で最悪の状態と思われた。また、トラバースから八峰キレット間はテントを張るスペースはない。キレット通過に数時間かかるので先を急いでいたのかも知れない。
戻る ホ−ムペ−ジに戻る