川野幸彦の山日記3年生時代
(3年生時代)1979年4月〜1980年3月
メンバー
@ 6年:納富
A 5年:川口 豆田
B 4年:要 住友 薮内
C 3年:今井 川野 山本
D 2年:青木 大勝 西岡 ラルフ=プチャルスキー
E 1年:八木 柿ノ木
(1年生の紹介)
八木
この年唯一の1年生(もう一人数日間在籍した者が居た様な気もするが、はっきり覚えていない。)で結構色んな所に行った。旭高校時代から山岳部だったので飲み込みは早かった。無口であったが、たまに自ら幽霊の話などをしたらリアルで全員ビビッた。当時、お父さんは朝日新聞に勤務され昭和56年の事故の時は世話になった。また、お姉さんは“ミス○○”で美人であった。
柿ノ木
女子マネージャー。当初、ワンゲルに所属していたらしいが詳しい事は忘れてしまった。典型的なお嬢さん。半年位で辞めたと思う。
◎4月7日(土)曇り 土日山行 蓬莱峡 甲南大学山岳部
山本のクルマで蓬莱峡へ向う。予想していたより人は少なく川野・西岡パーティと山本・大勝パーティに分れて登る。最初ビブラムで登り、しばらくしてからアイゼンで登る。久しぶりなので非常に疲れる。4時頃、山本と西岡は帰り、我々は明日も登る予定だったが、雨が明日は激しくなるというので夕食後帰ることに決めた。宝塚までスカイラインの兄ちゃんに乗せてもらった。
◎4月10日(火)晴れ 岡本バットレス 甲南大学山岳部
薮内さん・山本・関・西岡・青木・別所の6人でバットレスに行く。別所と小ハングと右のブッシュルートを行く。久しぶりなので緊張した所が幾つかあった。
◎4月14〜15日 土日山行 蓬莱峡 甲南大学山岳部
14日(土)晴れ
新1年生も交えて蓬莱峡に行く。2年生は団装の多さに不服そうだ。今日は1年生の八木と登る。なかなか上手い。夜、焚き火を囲んで二人だけの山岳同人“遊峰(ゆうほう)”の人としゃべる。
(回想)
この“遊峰”のおっさんは結構色んな所を登っていたようで参考になった。この5月合宿に行く、黒部別山の事もよく知っていた。このおっさんとはその後も何回か蓬莱峡であった。我々が朝早くから夕方まで余り休まずに岩登りをしているのを見て、非常に感心していた。
15日(日)晴れ
7:00頃より登りだす。1年生の確保訓練。日の当たる坂道の登降などをやる。10:00頃より人が増え始め、もう岩場は人で一杯だ。昼前、関学がやってきた。また、昼過ぎには松下さん・渋谷さん・松本さんが来た。松本さんは宝塚で財布を落としたそうだ。帰りは超満員のバスで宝塚へ行き、眠眠でラーメンを食べて学校に戻る。久しぶりにハードに登ったので指とか足がとても痛い。
◎4月21〜22日 土日山行 ロックガーデン 甲南大学山岳部
21日(土)晴れ一時雨
本日、創立記念日のため休校。学校からバットレス経由で雨ヶ峠までボッカ訓練をする。今井は軟骨(背骨)が出てきて痛いのか休みである。雨ヶ峠手前で雨が降り出すが直ぐに止んで残念。風吹岩辺りでとても美しい虹を見て感激する。本日、芦屋の方へ降り砂防の上にテントを張る。たくさんの人がいる。夜中まで周りのテントが騒がしく眠れなかった。
22日(日)晴れ
9:00頃より動き出す。とてもだるい。月の墓場辺りを青木とさまよう。今井も始発でやってきた。3時頃ポケポケ学校に戻る。
◎4月27日〜5月6日 五月合宿 黒部内臓ノ助平定着 甲南大学山岳部
27日(金)離阪
実験が18:00まであるので、それが済んでから直接大阪駅に行く。家でメシを食えないのが残念だ。別所と大阪で食事をして22:20のちくま5号で離阪。西岡がお金と切符を落としたが幸い見つかった。電車は予想に反し空いている。
28日(土)晴れ 入山 黒四ダム⇒内蔵ノ助平
松本で普通に乗り換え、大町で下車。山々はガスのため見えない。嫌な日だ。ここよりマイクロバスで扇沢へ向う。4600円(1台)。ここから更にトロリーバスで黒四ダムに行く。15分ほどだ。しかしこの様なトンネルをよくも掘ったものだ。感心する。トンネルを出ると以外にも外は晴れていて、とても眩しい。ここから黒い大タテガビンがよく見える。すぐにトレースに従って黒部川に下りる。急な斜面だ。振り返るとダムが見えるが小さく感じる。2Pで内蔵ノ助谷出合に着く。ここまで河原沿いで別に問題ないが、出合付近で飛び石伝い川を渡る所があり、はまる者が続出する。しかし思っていたより楽に渡れて良かった。この後、水平道を少し行き内蔵ノ助谷の踏み跡に入る。丸山東壁がよく見える。ツルツルの非常に硬そうな壁で、5〜6人が取り付き付近にいる。しかし期待していたよりも小さく感じる。早川さんが盛んに説明している。出合より3Pで内蔵ノ助平に到着。黒部別山南尾根はブッシュだらけで雪は殆どない。しかし大キレットは凄い。内蔵ノ助平には東京岳人倶楽部やその他たくさんのパーティがいる。
(回想)
この合宿にはOBの早川さんも参加した。私が現役の頃は5月合宿にはよくOBが参加した。この時もヒマラヤ遠征隊と村上さん浪川さんが来られた。早川さんは現役時代に丸山東壁ダイレクトルートを登ったらしく壁のことに詳しかった。確か休憩毎に解説されていた。
29日(日)曇り
八ツ峰・丸山中央山稜アタック。僕は新人の八木と雪練に出る。風邪のため非常にしんどい。ハシゴ谷乗越直下で行うが雪がグサグサでダメ。歩行のみを行う。12:12の交信を終え下る。それまでツエルトを被り2人で昼寝を楽しむ。13:30頃、BCでポケッーとしていると遠征隊パーティが入ってきた。15:00頃、中央山稜隊帰幕。八ツ峰隊は、14:03にV峰。17:05にXYのコルにおり、ここでビバーグするとのこと。
(回想)
当部の定時交信は、9:09、12:12、17:05と3回/日と決まっていた。アタックに出たらこの時間に交信する事が義務付けられていた。従って、交信のために無理やり休憩したこともあった。ただ、シビアな登攀中は交信出来ない事も多々あった。こんな時はBCでは心配した。当時日本の登山界では、“沈黙時間”といってトランシーバーの交信をしてはならない時間帯があった。これは遭難者がSOSを出すために設けられたもので、トランシーバーを持っているものはオープンにしていた。日に数回“沈黙時間”があっと記憶している。この頃は、携帯電話は夢の様な代物でバカデカいトランシーバーを持って行った。大きさは900mlの牛乳パック位で重さは1kgほど。単三電池8本を装着した。なお、トランシーバーのことを、甲南は「トランシ」。関学は「シーバー」と呼んでいた。コールサインは、甲南が「甲南AC」。関学は「KGAC」だった。
30日(月)雨→雪 沈殿
昨夜から雨が降り続き、本日沈殿。朝食後、昼まで遠征隊も含めトランプに励む。9:09の交信で八ツ峰隊が真砂の関学のテントにいてお茶を飲んでいると聞く。八ツ峰隊は11:30頃帰幕。昨夜、XYのコルは雪だったそうだ。14:00頃、遠征隊は突然テントを撤収し真砂方面へ出て行った。明日、立山第3尾根へアタック。明後日は八ツ峰。残念だが別山南尾根は雪が非常に少ないため断念。16:00の天気図では日本上空に三つ低気圧がいて、西の方には高気圧。東に45kmで移動中。明日は晴れるだろう。
5月1日(火)曇り→雪→曇り 立山第3尾根 薮内・青木
5:00にBCを出て立山第3尾根に向う。昨日の中央山稜隊は「あの辺りの尾根はバカ尾根で大した事はない。」と言っていた。BCより丸山のコルを目指す。ここより中央山稜に入り2279mピークを越え次のコルまで行く。2279mピークより凍ってきたのでアイゼンを着ける。ここまで昨日の雪のため膝程度のラッセルがBCより続く。嫌になる。コルより3尾根目指してトラバースする。ラッセルも深くなり腰位までになる。嫌になるころ取り付きに到着。すぐ目の前の岩峰を面白そうなルンゼから登る。この岩峰は右から巻けるがそれでは余りにあっけない。ルンゼをアイゼンを利かして登り、左に回りこんでリッジに出る。リッジへの出口がボロボロで苦労する。この辺りかなりの急斜面だ。上部のリッジでカモシカを見つける。痩せたナイフリッジを少し行き小岩峰に出る。このテッペンから20m程下り大きいコルに出る。この辺りからガスがかかり雪も降ってきた。レーションを食べ、膝程度のラッセルで目の前の岩峰の基部に出る。この岩峰からは三つの急な岩稜が派生していて、左から二つ目のルンゼを登る。急で相変わらずラッセルが深く厳しい。かなり登るとリッジに出て、それの右側を忠実に進む。凍った雪壁をアイゼンを聞かして10m程登り、小岩峰のピークでザイルを出す。ここより80m×3Pナイフリッジを行き富士の折立直下に到着。このナイフリッジは、ガスで下が全く見えないのと急なので非常に緊張した。ピーク直下の広いコルで休憩後、5m程の岩峰を左から巻き富士の折立ピークに出た。ここではガスのため視界が20m足らず。誤って雷鳥平側に下り、再びガスの切れ間をぬって縦走路へ戻った。そしてコルからカールをシリコも交えヘトヘトになって降りBCへは19:30頃に戻った。
・ BC5:00⇒第3尾根取付9:40⇒富士の折立16:05⇒カール17:40⇒BC17:30
(回想)
この尾根は、特に問題となる箇所は無かった。よく覚えているは、取り付きでの雪質がグラニュー糖の様にサラサラであったことだ。何だか気持ちの悪い雪であった。昭和56年に雪崩に流され遭難騒ぎを起こしたが、この時の雪に似ていた。帰りはガスで迷った。知らぬ間に雷鳥沢に下っていた。完全に方向感が乱れていた。登り返すのに時間を喰いバテた。
2日(水)曇り 雪練
昨日非常に疲れたので夜はよく眠れた。中央山稜隊を見送ってから8:00過ぎに雪練に出る。スタカットを行う。9:09の交信で、壁尾根隊は取り付きを誤ってBCに戻ってくるとの事。11:00頃、BCに戻りボケッーとしていると、OBの村上さんと浪川さんが来られた。そしてたくさんの差し入れを戴いた。15:00過ぎに中央山稜隊帰幕。17:05の交信で壁尾根隊とつながらないので、薮内さんと山本がサポートに出る。壁尾根隊は21:30頃帰幕。明日、八ツ峰。
3日(木)晴れ→快晴 八ツ峰 BC⇒Z・[のコル 青木
昨夜、壁尾根隊の帰幕が遅く、就寝時間が短くとてもえらい。しかし青木と八ツ峰に出る。ハシゴ谷乗越まで雄山隊と一緒に行く。ここからハシゴ谷をシリコも交え走って降る。剣沢をスノーブリッジで渡りポケポケ行く。真砂沢小屋は完全に埋まりどこにあるのか全く分からない。長次郎谷出合で交信しT・Uのルンゼを目指す。出合から1Pでルンゼの取付。八ツ峰上にはもう何人かの人が見える。トレースに従って登ると稜線から半分位の所で小さい雪崩をくらう。雪の小さい塊が当って痛い。どうも稜線付近から出ているらしい。稜線に這い上がり、小ピークで雪面をならしレーションとする。先行パーティはかなりいる。それにしても凄いナイフリッジだ。美しいが怖い。ここでアイゼンを着けコンテで行く。少し行くとU峰に着き20mの懸垂でコルに降り、次の小岩峰も20mの懸垂。更にナイフリッジを少し行きV峰でまた20mの懸垂。ここよりナイフリッジを行くとX峰に着く。ここでX・Yのコルへ降りるために時間待ち。前に4パーティもいて1時間半程待つ。快晴でとても気持ちが良い。Y峰の各フェースにはたくさんの人が取り付いている。大阪市大の後に、50m急な雪壁をスタカットでクライミングダウンして、その後、2本の残置ピンで40mの懸垂。そしてX・Yのコルへトラバースする。本日ここまでの予定だが、まだ16:00で日も高いので先に進む。直ぐに急な雪壁を登りナイフリッジを行くとDフェースの頭直下より20mの懸垂。そしてコルへ登り返す。ここは頭より稜線沿いにトレースがあり、こちらの方が早かったようだ。この後、直ぐ次のピークでまたしても20mの懸垂。そしてZ峰の頭に着く。ここよりスタカットでナイフリッジを40m降り、このコルでビバーグ。斜面に棚を作りツエルトを被る。とても快適なビバーグサイトだ。本日、無風快晴でとても素晴らしい一日だった。このコルからは長次郎谷へも簡単に降りられる。
・ BC6:35⇒ハシゴ谷乗越7:30⇒U峰11:15⇒V峰13:00⇒X峰13:30⇒X・Yのコル15:40⇒Y峰16:55⇒Z・[のコル17:35
(回想)
八ツ峰は素晴らしいナイフリッジの雪稜だった。この時はトレースが付いていて助かったが、無かったら大変だったと思う。好天と先行パーティに感謝。そうでなければ、こんな短時間では登れなかっただろう。いつかは冬に登りたいと思っていたが、実力と天気に恵まれないと相当厳しいであろう。2005年の5月に長次郎谷から本峰を目指した。その時、久しぶりに八ツ峰を見た。美しかった。機会があればまた登ってみたい。
4日(金)快晴 BS⇒剣岳⇒BC
快晴の朝だ。昨夜は寒くもなく濡れもせず非常に快適な夜だった。朝食後パッケして、直ぐ目の前の急な雪壁の登りにかかる。直ぐにピークに着きナイフリッジを少し行き下り八ツ峰の頭の手前のコルに降り立つ。頭を往復しコルから池の谷のコルへ40〜50mトラバースする。BSより20分程だ。ここにはテントの跡や雪洞がたくさんある。時間が予想より早いので剣岳まで足を伸ばすことにする。よく踏まれ溝のようなトレースを辿り長次郎のコルに出てザックをここにデポして剣岳ピークを往復する。ピークにはたくさんの人がいた。無風快晴で素晴らしい眺めだ。コルからはシリコで長次郎谷を快適に降り、30分で出合に着いた。交信後ポケポケ歩き、ハシゴ谷乗越を喘ぎながら登りBCへ戻る。BCでは濡れたものを乾かし日なたぼっこを楽しむ。
・ BS6:40⇒八ツ峰の頭6:55⇒池の谷のコル7:05⇒剣岳7:50⇒長次郎のコル8:30⇒ハシゴ谷乗越11:15⇒BC11:40
(回想)
2005年5月。長次郎谷から本峰を目指したが、長次郎のコルで敗退した。コルからは雪壁がありザイルなしでは難しく思えた。大学時代は何とも思わなかったのであろう。記録にはこの辺りの記述がない。
5日(土)快晴
本日雪練。薮内さんと山本は大タテガビンスラブ状ルンゼへ。今日は雲ひとつない快晴であり昼から日なたぼっこを楽しむ。ルンゼ隊は昼過ぎに帰って来た。顔が焼けていくのがよく分かる。明日は下山なので、夜大エッセン大会。そしてトランプを楽しむ。
6日(日)快晴
四日連続の快晴。本日下山。アタックも消化した。BCより2Pで内蔵ノ助谷出合。更に1P半で黒4ダムに着いた。ダムを見学して関学と一緒に大町へ下山。
・ 5月合宿を終えて
初めてのリーダーとなっての山行で、いささか緊張したが無事終わったことに満足している。2年生もかなり上達しうれしい。しかし、1年が一人というのは問題がありそうだ。
◎5月12日(土)晴れ 岡本バットレス 甲南大学山岳部
実は、今日と明日、泉尾の後輩と一緒に岩湧山へ行くつもりだったが急に中止になり、青木とバットレスに行く。対学習院との開会式があり13時頃に部室を出た。本日、新ルートを拓いてやろうと思いボルトやハーケンをたくさん持っていく。まず、いつもの小ハングルートを登り、次に右側のハングルートを登った。ここは、ピンの間隔が遠いのもがあり突破には非常に苦労した。このあと東稜に行き、4mのスラブにルートを拓いてやろうと思ったが、そこには既にボルトが1本打たれてあり、その上に1本打ち足す。結局3本登って帰った。バットレスも“山と渓谷”に紹介されてから、すっかり有名になりピンもそこら中に打ち込まれている。初めて来た時とえらい違いだ
◎5月19日(土)晴れ 岡本バットレス 甲南大学山岳部
本日、新歓コンパ。僕と八木はバットレスに行くことになり、他の者は用意にまわる。大森さんも交え3人パーティで登る。神戸商船大パーティもやって来た。正面フェース2本と東稜1本登る。夕方、薮内さん、住友さんもやって来て一緒に正面フェース1本登る。また、早川さんと2本。大勝とも1本。運動靴で快適に登る
◎5月20日(日)晴れ 岡本バットレス 甲南大学山岳部
昨夜の悪夢の様な新歓コンパが終わり皆ぐったり。6時頃、山本と西岡と3人で正面を3本登るがしんどくなって帰る。
◎5月26日(土)曇り→雨 大月地獄谷遡行 甲南大学山岳部
ラルフ、八木の3人で大月地獄谷へ行く。六甲ケーブル駅で今井パーティと合流予定。F3を越えた所で雨がひどくなり来た道を戻る。F1では、ヒョウが降り一時ヒヤッとする。
◎5月28日(月)晴れ 岡本バットレス 甲南大学山岳部
昼過ぎ、WVの連中とバットレスに行く。吉田と4本登る。暑くて嫌になる。しかし、WVは意外と上手く登り我が部の下手な者よりずっといい。
◎6月1日〜6日 六月個人山行 硫黄尾根⇒槍ヶ岳 八木・ラルフ=プチャルスキー
1日(金)離阪
実験を終え、平生会に出てから出発。大阪駅では関大山岳部の人や、そのOBの山地さん、それに近大の高塚さんに会う。22:20発のちくま5号で離阪。クラブの連中が励ましてくれる。列車は予想に反して込んでいる。
(回想)
ラルフ、八木との3人パーティでなかなか楽しい山行となった。槍ヶ岳硫黄尾根には、この冬に登る予定で、今回は偵察も兼ねていた。事前に色々と調べたが資料が少なくて困った。1年の夏の縦走時に西鎌尾根から眺めた時は、赤茶けて脆そうなに見えた。実際、ザレたボロボロの岩稜であった。しかし雪が付けば素晴らしい雪稜になった。
2日(土)晴れ→雨 葛温泉⇒湯俣
松本で乗り換え大町へ。ここより葛温泉までタクシーで入る。登山カードを届けいよいよ出発。ここより舗装された立派な道路が続きポケポケ行く。石垣を積んだ様なダムがふたつあり、こんなのは初めてなので感激。長いのやら短いのやら幾つものトンネルを抜け、やっとのことで湯俣に到着。しかし、だるい林道だ。足の裏がとても痛い。それに雷雨も湯俣の手前で始まりうっとうしい。湯俣でザックを置き、八木と硫黄尾根の取付まで偵察に出る。戻って、小屋の中にテントを張る。タクシーが同じだったおっちゃんとだべり快適な夜となる。
(回想)
葛温泉から湯俣までが遠かった。まだダムの工事が続いていて砂埃の舞う工事用道路を辿った。今は立派な舗装路が出来ていて、高瀬ダムの上までタクシーで行くことが出来る。数時間の時間短縮になる。湯俣には露天風呂があり湯気が出ていた。入りたかったが掃除をしてなくて汚く止めた。
3日(日)晴れ→雨 湯俣⇒小次郎のコル
湯俣の晴嵐荘より直ぐ目の前の吊橋を渡る。水を補給。更に水俣川の吊橋を渡り10分程で硫黄尾根の取付の着く。赤布がたくさん付けてあり迷うこともない。取付より赤布に導かれて踏み跡を辿り尾根に出る。ここより更に踏み跡を辿り忠実に尾根を進んで行く。樹林帯の中、テントサイトに良い所が幾つもあった。硫黄岳前衛峰までは問題なく快適だが部分的に猛烈な藪漕ぎがある。T峰は難なく直登。U峰は直登後、5m降りブッシュの残置シュリンゲで20mの懸垂。そこよりトラバースしてV・Wのコルに出る。このトラバースには残置フィックスとハーケンがある。W峰、X峰も直登し、X・Yのコルで昼食。Y峰へは急登でピークに立つ。ここはテント1〜2張れる。ピークより尾根は右へ曲がり、這松のトンネル小道が小次郎のコルまで続いている。かなり急な下りでブッシュを掴んで降りる。途中、アイスハンマーを拾う。コルの直前でヒョウを伴った雨が降ってきてコルの雪の上にテントを張る。小次郎のコルは大きい樹木が茂り痩せ尾根となっている。
(回想)
硫黄岳前衛岩峰群はブッシュ混じりの岩稜であった。後半の赤岳前衛岩峰群と赤岳岩峰群に比べて、それ程、ザレていなかった様な記憶がある。小次郎のコルヘの降りで、シモンのアイスハンマーを拾った。這い松の中で少し錆びていて数年埋もれていた様な気がした。このハンマーはこれ以後の山行に役立った。卒業にあたり3年下の東に引き継いだ。しかしその5年後の冬に東は薮内さんに貸したそうだ。薮内さんはこれを持って鹿島槍に消えた。
4日(月)晴れ→小雨 小次郎のコル⇒赤岳前衛V峰
本日、西鎌尾根目指して出発。直ぐに猛烈な藪漕ぎで嫌になる。コルから硫黄岳までは痩せ尾根でかつ急登であり必死である。一ヶ所、ラルフが岩場でビビリ、ザイルを出す。この岩場から痩せ尾根を、踏み跡を辿り、雪壁を登って稜線に出る。ここから再び痩せ尾根を雪庇に気を付けて行くと硫黄岳のピークである。ピークは広く這松と雪田である。ピークからは這松の猛烈な藪漕ぎの後、雪田を下り硫黄台地へと続く痩せ尾根を行く。雪庇は千丈沢側に出ている。台地からは雷鳥ルンゼの下りにかかる。まずザイルを80mつなぎ、60m急な雪壁を下降。そこからガラガラのルンゼを80m下り、尾根に向かい20mトラバースして小ピーク(岩峰)に登る。そこから残置シュリンゲを使ってルンゼを20mの懸垂。この間、ボロボロで落石だらけ。この下降で非常に時間を喰い、1時間30分もかかった。ここより目の前のピーク(南峰)に立ち昼食とする。急なガラ場を、石を落としながら踏跡通りに降りコルに出る。ここより赤岳前衛峰に差しかかる。小岩峰のT峰は難なく直登し通過。U峰は稜線伝いでは傾斜がきつく直登出来ないので、湯俣川側へトラバース気味に降りU峰から出ているリッジに這い上がる。ここよりU・Vのコル目指して、このリッジを15m登り、コルへ砂混じりのガラ場をトラバースする。嫌な所だ。一歩踏み出すと足場が崩れ非常に気味が悪い。V峰のブッシュ(這松)ピークは、下から見るとかなり悪そうだったが実際は易しい。本日、雨も降り始めたのでV峰ピークより少し下った、狭い整地跡にテントを張る。TSからは前方に幾つもの岩峰が見える。
(回想)
小次郎のコルから硫黄岳に向う途中で、ラルフがビビッた岩場は“凹状岩壁”と呼ばれる所だった。15〜20mのV級程度の岩登りであった。冬もここはフィックスした。雷鳥ルンゼは、この時、ルートと難易度が分からずにザイルを出した。相当ザレていた思い出がある。
5日(火)快晴→曇り TS⇒岳樺台地
朝起きると雲ひとつ無い快晴。素晴らしい。平坦な北鎌尾根がよく見える。TSより直ぐ目の前の岩峰(W峰)の登りにかかる。難しそうだが見た目よりは易しい。四つんばになってピークに這い上がり、残置シュリンゲを使って20m2回の懸垂で八峰キレット(鹿島槍)の様な所に降り立つ。X峰は千丈沢側をトラバース気味に通過して稜線に戻り、Y峰は忠実に稜線を行く。Z峰に登りガラガラのルンゼを60mほど、石を落として降りZ・[のコルに出た。コルにはテントを張った跡がある。[峰はザイルを出し稜線沿いに15m登りハーケンを打ってビレー。1ヶ所とても悪い所がある。この後、ボロボロのルンゼを、石を落として登り稜線に戻る。ここを30m登り、更に千丈沢側からルンゼを60m登って、ボロボロフェースをバンドに沿って30mでピークへ。ここから残置ピン3本で20m懸垂。ボロボロルンゼを20m下って雪渓をトラバースして中山沢のコルへ。コルでカラビナを拾った。コルから水の流れている極度にボロボロのルンゼを10m上がりボロボロバンドをジグザグに登りリッジへ。雪渓のトラバースに移り10m登りインゼルでザイルを出す。40m一杯で赤岳岩峰T峰へ。ピークから20m降り、テラスからスタカットで雪壁を15mクライミングダウン。そこから20m痩せ尾根を辿りT・Uのコルに立つ。ここでザイルを80mつなぎ千丈沢側の雪田を40mトラバースして、更に40mで直登してU峰ピークに出た。ここより稜線を忠実に辿り、V峰にかかるU・Vのコルでザイルを出し湯俣側を40mルンゼに沿って登る。ピークでピンを2本打ってビレー。ここからガレ場を50m降り、痩せ尾根を少し行くとコルに出て、40mほど岩のナイフリッジの下をトラバースしてピンを打ちビレー。20mルンゼを強引に登り這い松のリッジへ。これを忠実に200m行くと岳樺台地に出る。この痩せ尾根は非常に緊張した。本日ここをTSとする。
(回想)
中山沢のコルから赤岳ピークまでは複雑なルートだが、弱点を抜って行くと自然とこの様になる。ただ、ザイルを出すか出さないか微妙な所が続き緊張した記憶がある。取り付きから岳樺台地までは遠かった。ボリュームは北鎌の倍はある。また難易度も高い。北鎌には、一昨年の夏に訪れた(北鎌沢右俣経由)がザイルは不要であった。硫黄は違った。懸垂は頻繁に出てくるし踏み跡もはっきりしなかった。そして何よりも脆い。赤茶けて植物は少ない。アメリカの砂漠の様であった。
6日(水)晴れ→曇り 岳樺台地TS⇒上高地
今日こそは下山しようと気合を入れて出発。昨夜、就寝時間が遅く、本日7:00に出発。直ぐ目の前の痩せ尾根の急登にかかる。このナイフリッジは西鎌尾根直下まで続き全く気抜けない。約1時間で待望の西鎌に出た。ここより4Pで槍ノ肩に着いた。西鎌尾根はほとんど夏道が出ている。この尾根は1年の夏山縦走で通ったが、その時とかなり違った感じがした。肩の直下のガラ場はガラガラで雪の上を進んだ方が正解である。肩の小屋で昼食を摂り、槍のピークアタック。北鎌にはトレースがある。直ぐ戻り荷物をまとめて槍沢をシリコで下る。気持ちが良い。しかしズブ濡れ。槍沢小屋、横尾を経て徳沢まで走るように下る。横尾では屏風岩がチラッと見え、とても大きいと感じた。徳沢でTELをしてタクシーを予約。そしてポケポケと上高地へ。靴ずれのため足が痛む。まともに歩けない。ここより松本へ下山。タクシー代7660円。
(後記)
硫黄尾根は全体に非常にもろい。特に赤岳岩峰群と赤岳前衛峰群は最悪だ。そのためか全く草木は見当たらない。硫黄岳前衛峰群はU・V・W峰がもろく悪い。このために各岩峰の下部は上から落ちた砂や岩が溜まったためにトラバースでは非常に緊張させられる。また、この岩峰の中ではテントサイトがほとんど見つからない。そして、岩峰群ではルートファインディングに悩まされる。ピトンはリスが広いのでボンボンやアングルが最適でボルトは必要なし。6月であれば所々に残雪が見られ水には不自由しない。しかし不味い。
(回想)
この時は、湯俣から西鎌まで5日かかったが、冬は4日で抜けた。ルートが分かっていたこともあるが歩き易かった。ボロボロの岩稜は素晴らしい雪稜となった。また訪れてみたい。この時に打ったハーケンはまだ残っているだろうか
◎6月9〜10日 土日山行 蓬莱峡 甲南大学山岳部
9日(土)晴れ
夜、AAVKのコンパがあるので蓬莱峡へ行く。テントをはり直ぐに八木と関学の樋上君と3人でS字クラック・正面・小ハングを登る。
10日(日)晴れ
昨夜の酒のため皆元気がなく死んだ様に寝ている。しかし登りに行く。本日、非常に人が多い。青木と3〜4本登り、ボケッーとしているとお昼。昼から松下さんと3本登り終わり。松下さんは非常にスピーディに登る。
◎6月17日(日) ロックガーデン 甲南大学山岳部
昨日が雨のため、今日はロックガーデンに行く。恐ろしく暑く汗が滝のように出てくる。上半身裸で行く。昼過ぎキャッスルロックに到着。大勝と2本登る。しかし人が多い。人が多いのでそのザイルをくぐって登るのでルートが限られ嫌になる。うんざりして4時頃、芦屋川駅へ下り学校に戻る。
◎6月19日(火) 岡本バットレス 甲南大学山岳部
昼過ぎ大勝と二人でバットレスに行く。とても暑い日だ。汗が吹き出てくる。まず、大勝トップでフェースの左を行く。先日は難なく越せたこのハング。今日は4回トライしてやっと越えた。2本目は左のハングを行く。2回目なので15分で頭へ出た。前回苦労したハングの突破もスムーズにいった。この後、トレがあるので学校に戻る。
◎6月23〜24日 土日山行 蓬莱峡 甲南大学山岳部
23日(土)曇り→小雨
八木と蓬莱峡へ行く。他の4人は保塁岩へ。到着後、即テントを張る。この頃より小雨がパラツキ始めるが10本程登る。
24日(日)晴れ
昨夜は暑くて余り眠れなかった。そのため身体が非常にだるい。八木をトップに立たせる回数を多くして、午前・午後合わせて30本以上登る。本日、非常に暑く汗が滝のように出た。
◎7月1日(日) 曇り一時小雨 ボッカ訓練 甲南大学山岳部
昨日大雨で本日ボッカ訓練。学校から砂をつめ、魚屋道との分岐まで行き、そこよりバック。久しぶりで疲れた。
◎7月7日(土)晴れ 仁川 甲南大学山岳部
人工登攀の練習に仁川へ出掛ける。今日で2回目だ。三段岩で右端のフリーを1本と中央のかぶり気味の壁の人工を1本。フリーも人工も難しかった。特に人工ルートでかぶり気味の壁を強引にフリーで乗り越す時緊張した。パール岩も2本人工で登った。1本抜けかけのハーケンがあり重ね打ちした。
◎7月10日〜8月2日 夏山合宿 剣岳真砂沢定着/黒薙川北又谷 甲南大学山岳部
10日(火)離阪
23:20発、立山5号で離阪。平井さん夫婦・川口さん・薮内さん・ラルフ・青木・柿ノ木・中辻さん・村岸さんなどの見送りを受け出発。電車は空いている。
11日(水)ガス→雨強し→曇り 室堂⇒真砂沢TS(入山)
室堂ではガスと小雨のため視界10m程度。みくりヶ池に分散合宿用の一斗缶をデポする。ガスの中、嫌だが雨具を着け出発。雷鳥沢のジグザグの登りで土砂降り。道が川の様である。全身ビショ濡れで剣御前小屋になだれ込む。中には仏教大と久留米大パーティがいる。レーションを食べ雨が止むのをしばらく待ち出発。相変わらずガスと風はきついが雨は止んだ。フラフラで剣沢を下り3Pで真砂に到着。仏教大と久留米大は剣沢にテントを張ったようだ。真砂は雪が少なくほとんど土が出ていて去年とかなり異なる。我々が今シーズン一番乗りで他に誰もいない。小屋に出向きテント代2400円也。夕方、テントが水浸しで回りに溝を掘る。
(回想)
辛い入山だった。全身ビショ濡れ。まだ梅雨は完全に明けてなかった。今ならこんな時期には絶対に入らない。梅雨明けを待つ。当時は元気一杯だった。
12日(木)雨降ったり止んだり
沈殿。昨夜から断続的に雨が降り朝まで残る。一日中、トランプを楽しむ。昼、近大・関学・阪大が入山。
13日(金)晴れ→曇り
雪練のため長次郎谷へ。V峰直下で行う。少し遅れて関学がやってきて一緒にやる。昼過ぎBCに戻りトランプを楽しむ。夕方、ガスってくる。
14日(土)小雨→曇り
3時起床だが小雨がパラツキ5時に変更。本日、沈殿かと思っていたが10時頃より曇りとなり長次郎谷へ雪練に出る。出合より直ぐの右のルンゼでストッピングを中心に行う。関学も遅れてやって来たので一緒に行う。弁当を食べ少ししてから小雨が降り出しBCへ戻る。BCでは関学のテントで仏大も交えトランプを楽しむ。明日、八ツ峰6峰へ。
15日(日)雨降ったり止んだり
4時頃より小雨が降りだし6時まで待機。しかしダメで10時まで待機。その後、全員でY峰へアタックする予定だったが雨が降り始め中止。長次郎谷へ雪練。12時頃より雨が強く降ってきてBCへ戻る。西岡が紅茶を作っている最中に火傷するが軽くて良かった。ラジオでは早月尾根での遭難を報じている。関学・仏大とトランプを楽しむ。16時頃、社会人が長次郎谷で滑落したと聞いた。阪大・金沢大が救助に向かった。
16日(月)ガス→晴れ
Y峰A・Dフェースにアタックに出る。西岡と組む。ガスがひどくAフェースのみを登って帰る予定だったが、魚津高ルートの取り付きから10m付近でトップの西岡の足場が崩れ3m転落。足を打ち登攀を諦めてBCへ戻る。BCではオホーツク海高気圧が強いから晴れているのだと聞く。昼過ぎ、関学・仏大と談話。真砂は人が増えてきた。明日、八木と源次郎尾根U峰と本峰北壁に向かう。
(回想)
Y峰Aフェースは相性が悪い。この数年後で長野の社会人山岳会に入っている時もここで事故を起こした。3人で登っていたが、先行パーティの落石がセカンドに当たって脳挫傷。幸い私は、三番目でかぶり気味の岩に守られて事無きを得たが・・・。怪我人はヘリで搬出された。
17日(火)晴れ→ガス 源次郎尾根U峰ABフェース・Bフェース 八木
八木と快晴の下、源次郎尾根U峰へ向う。スピードアップのため長次郎谷をアイゼンを利かして登る。更にU峰の懸垂下降点を目指して急なルンゼを喘ぎながら登りコルに出る。コルに僕のザックと不要品をデポして取り付きに向う急な雪渓を下る。まず手始めにABフェースを登ることにする。取り付きでアイゼンを外し八木トップで緩斜面を直上して凹角内でビレー。2P目は更に直上して這い松帯へ入ろうとしたが、コンタクトラインが悪く左へトラバースしてテラスでビレー。3P目。ブッシュの階段をU峰の懸垂点へ。アタック食を摂った後、再び取り付きへ。Bフェースカンテルートを登る。踏み跡より3〜40m登り、カンテが始まるテラスでビレーしザイルを出す。僕がトップで、1P目かぶり気味のチムニーを強引に乗り越しブッシュの階段を5m直上。ここよりフェースに出る。ここから所々かぶったり外傾したフェースを腕力とフリクションでこなし40m一杯でテラス。このピッチ、意外と難しい。ここより凹角状を5m直上して動きが取れなくなり、右上の岩角にシュリンゲを掛けそれを足場にして乗り越す。緊張する。この時、浮石を落としたら平蔵谷へ消えていった。ここからも所々かぶったり外傾した凹角フェースを弱点をぬって登るが難しく緊張する。40m一杯でブッシュ帯へ。ここでハーケン2本を打ちビレー。3P目。八木にトップを交替し10mでピークへ。U峰Bフェースは予想していたより難しく時間を喰った。しかし岩は硬い。ここは、登山靴より運動靴の方が良さそうだ。コルへ戻り弁当を食べ剣岳のピークへ向う。本峰北壁は諦めガレ場の様な道を長次郎のコルヘ下る。ここからグリセードでBCへ。途中、池ノ谷のコルから滑落する西岡を目撃。しかしケガもなく良かった。
・ ABフェース取付8:15⇒終了9:50。Bフェース取付11:15⇒終了12:50
(回想)
源次郎U峰フェースは、残置ピンも殆ど無く余り登られていない様だった。この規模の岩場なら剣岳周辺に沢山あるので、あえて登る必要はないのかも知れない。ただ、源次郎尾根を縦走したら、ついでに登れば良いと思う。3P程度の岩登りが気軽に楽しめる。Bフェースは意外と手強かった。多分、ルート間違いだと思われた。
18日(水)晴れ→ガス→晴れ 剣岳北方稜線 BC⇒白萩川 大勝・八木
大勝・八木と北方稜線へ出発。三ノ窓直下でガスのため迷い約2時間のロス。チンネの方まで行ってしまった。ザイルを出しアイゼンを着けBCへ戻ろうとするが、ガスが切れ三ノ窓へ向う。三ノ窓ではカラビナをひとつ拾った。交信後、池ノ谷へ下る。BCを出る時は今にも泣き出しそうな天気であったが、下は晴れているようだ。池ノ谷の雪渓は小窓ノ王直下まで発達している。アイゼンを着け急な雪渓を1Pで小窓尾根の乗り越しの取り付きへ。池ノ谷は雪渓の上に落石がたくさん乗っている。二俣には大阪府大が幕営していた。乗り越しの手前では雪渓が崩落し大勝が落ち一同“ドキッ!”幸いケガもなく良かった。踏み跡の急登を20分程で小窓尾根上に出て更に40分下り白萩川へ。川を遡り50m進んだ所で右岸に徒渉。更に30分行った所でビバーグ。
・ BC6:20⇒三ノ窓11:50⇒白萩川出合15:00⇒BS16:15
(回想)
池ノ谷の降りで大勝が雪渓を踏み抜いた。確か、3人で横に並び喋りながら下っていた。突然の落とし穴に私と八木は大勝の事は構わずに逃げた。悪い事をした。反省!
19日(木)晴れ時々ガス BS⇒池ノ平⇒BC
快晴の下、4:30に出発。20分程進み徒渉点を探していると関学に追い付かれる。巨石を跳び徒渉。この後、巨石のゴロゴロした川原を1P進み雪渓が出始める。二俣から大窓へ真っ直ぐに延びるガラガラルンゼを2Pで大窓へ。しんどい。大窓でデポ回収のため白ハゲまで行くが残念ながら発見出来なかった。この間に関学は先に行った。大窓でレーションの後、喘ぎながら大窓の頭に登り、池ノ平山まで幾つもの小ピークを越えて行く。M岩峰は左から踏み後を拾って巻いた。1ヶ所、U級程度の岩場がある。更に痩せ尾根を行き、小窓の池ノ平への分岐点に立つ。この直下のルンゼがガラガラで悪かった。ここまで時間を喰い、池ノ平小屋へひたすら下る。小屋より約4PでBCへ戻る。 ・ BS4:45⇒大窓8:50〜10:30⇒大窓の頭11:45⇒池ノ平小屋15:30〜55⇒BC18:15
(回想)
このデポは、前年の北方稜線隊が使わなかったものだ(天気が良く回収しなかった)。白ハゲの辺りを探し回ったが見つけられなかった。今思えばもっと北の方に置かれていたのかも知れない。今井によると「運動会の万国旗の様に赤布を付けたので、見つからないのはおかしい。」と言われた。なお、このデポの未回収は、今後の食料事情に影響した。皆の期待が大きかっただけに悪い事をした。反省!この合宿も飢えに苦しんだ。
20日(金)晴れ
沈殿。昨日の疲れがまだ残っている。関学とトランプをする。
21日(土)晴れ→曇り チンネ中央チムニーgcd 八木
八木とチンネに行く。アイゼンを着けゆっくり登る。中央チムニーでは時間待ち1時間。この間、キジに行くが上から幾つか石が降ってくる。まず僕がトップでチムニー右のリッジを20m登りテラスへ。テラス直下が細かくて且つ湿っていて難しい。2P目。チムニーの中を登り10mでテラス。この辺りから濡れていて悪い。更にピッケルをザックの左上に刺したため、これが引っ掛かり厄介。途中で方向を変える。40mで中央バンド直下のガリー。更に10mで中央バンドへ。ここからaバンドbクラックは込んでいるので、gチムニー→cクラック→dクラックに行くことにする。gチムニー内を突っ張って登り40mでcクラック出口のテラス。ここより八木が急なdクラックをリードして、途中bバンドへトラバースしてチンネの頭へ。ここで昼食を食べ池ノ谷のコルから急な長次郎谷を下りBCへ戻る。
・ 取付9:00⇒中央バンド11:30⇒終了13:10
(回想)
チンネは何回か登ったが、中央チムニーが最も落石が多い。中央バンドから発生していてチムニーに集中すると思われた。ジェット機の様な音を出し、振動しながら落ちてきた。恐怖であった。
22日(日)曇り時々晴れ 東大谷G2⇒G4 西岡
西岡と東大谷Gバットレスに向う。平蔵谷をアイゼンを着けて登りBCより3Pで平蔵のコル。ここからG4へ取り付くためにG3・G4間のルンゼを浮石に気を付けながら下る。G4の壁に沿って取り付きへ。ハンマーを忘れ石でハーケンを打つ。1P目。西岡トップで登り始めるがザイル回収の際に石が落ち僕の背中に当たる。痛い!そのため登攀を断念しルンゼを縦走路へ戻る。平蔵の避難小屋でガスのために待機し毛勝谷隊と交信。左尾根直下1Pの所にいると聞く。今日中には帰れるだろう。12時の交信までにはまだ時間が十分あるので空身でピークを往復する。交信後、剣山荘経由でBCへ戻ろうとするが、急にガスが切れたのでG2を登ることにする。G2・G3間のルンゼを落石に気を付けて下りG2に取り付く。外傾バンドで登攀具を着け弱点をぬって登ることにする。右のルンゼ状チムニーが良さそうだ。これを10m登り、右のリッジへ。浮石が多く緊張する。少しリッジを登りチムニーに戻り更にかぶり気味の壁を強引に越え、ガラガラルンゼ10mでG2の頭直下のテラスへ出た。石でハーケンを打ちビレー。ここより10mで頭へ。この後、剣山荘経由でBCへ戻る。
・ G2取付12:40⇒終了13:20
(回想)
この東大谷Gバットレス群も数ピッチの小さな岩場である。縦走路から直ぐなので、縦走のついでに登られても良いと思う。残置ピンも殆どなく“人の臭い”がしなかった。現在はもっと登られていないのだろう。
23日(月)晴れたり曇ったり
沈殿。明日チンネ。金沢大学医学部の矢作さんは下山して行った。夕方、大勝と丸山隊のサポート。
24日(火)晴れ→曇り BC⇒三ノ窓
明日、池ノ谷ドーム稜に行くため独り三ノ窓へ上がる。アイゼンを着け3時間半で三ノ窓へ。昼寝を楽しむ。夕方、パラパラと小雨が降りだす。
25日(水)雨 三ノ窓⇒BC
昨夜から雨が降り続きシュラフを始め全てビショ濡れ。嫌になる。12:12分の交信でBCへ引き上げることにする。ガスの三ノ窓雪渓をアイゼンを着けて下る。2時間でBC。ああーしんどー!夜、沈殿食のホットケーキを食べる。美味い!
26日(木)晴れ 八ッ峰Y峰DフェースAフェースCフェース
久しぶりに晴天である。西岡とY峰へ行く。小窓尾根隊と途中まで一緒に行く。しかし人が多いのには驚いた。Dフェース富山大ルートから取り付く。久留米大ルートを行くはずであったが雪渓の状態が芳しくないので止めた。1P目。僕がトップで登り始めるが、手こずり手が攣りそうになる。6PでDフェースの頭へ。途中、真新しいシュリンゲがたくさん残置してあり全て回収した。3P目でルートを少し間違えたがA0を1回使っただけで我ながら上出来。Aフェースは魚津高ルートを登る。先日、西岡が滑落したので少し緊張したが別に大したことはなかった。ただ2P目は傾斜が強く少し難しかった。Aフェースの頭で弁当を食べCフェースへ向う。剣稜会ルートを登る。快適だが時間待ちを喰らう。途中、岩に血が付いていた。核心部のリッジは快適で非常に楽しい。Cフェース登攀後はグリセードも交えBCへ。中央壁隊は18:00頃に帰幕。明日、源次郎尾根T峰へ。山本少年下山。
・ Dフェース取付7:25⇒終了9:35。Aフェース取付10:20⇒終了11:30。Cフェース 取付12:35⇒終了13:50
(回想)
この日、ACDと登った。いずれの壁も、過去に登った事がありプレッシャーが少なかったから出来たのだと思う。「Bも登れば良かった。」と少し残念。
27日(金)曇り
大勝と今にも泣き出しそうな中を源次郎T峰中央ルンゼ⇒名古屋大ルートへ向う。しかし、中央ルンゼは水量が非常に多く、また雪渓からルンゼへ取り付けないので断念。先行していた関学も断念した。中谷ルートには1パーティ取り付いていたが落石が頻繁で下を通るのが恐ろしい。夕方、撤収祭を派手にやる。大いに受け楽しかったが食べ過ぎで腹の具合が悪く、また風邪のために頭が痛い。
28日(土)雨 下山
昨日より腹具合が悪く、下山だというのに力が出ない。出発の少し前より雨がポツリ。何時しか土砂降りとなり全員ビショ濡れ。長次郎谷は走って下りてくる人で一杯だ。剣沢小屋で待機する。関学もいる。随分たってから嫌だが思い切って出発。御前へは左へ大きくそれ苦労してガスと雨の中、小屋へたどり着く。中は剣沢小屋同様に人で一杯である。ここでヒゲパンを食べ雷鳥沢を下る。また雨が激しくなってきて本当に嫌になる。室堂に一旦荷物を置き、再び震えながら、みくりヶ池にデポを取りに行った。熱い紅茶を戴いた。この後、ガスの中、富山へ向った。本日トイレに8回も行った。
◎7月29日〜8月2日 分散合宿 黒薙川北又谷 薮内・大勝・西岡 甲南大学山岳部
29日(日)曇り→雨 富山⇒北又小屋
富山で朝食を済ませ不要品を送り返して11:53発の直江津行きの普通で泊に向う。12:58に泊着。13:30発の小川元湯行のバスに乗り14:00過ぎに小川温泉へ到着。ここで計画書を出し出発。今にも泣き出しそうな天気だ。北又小屋までトラックに乗れると聞いていたが生憎出たあと。アア!残念!仕方なく歩き出す。途中で遂に雨が降り出しうっとうしい。1P目の途中で温泉へ向うトラックとすれ違ったが、おっさんは「ダメ!」と言って乗せてくれない。しかし、「北又小屋前でテントを張るのなら一人150円置いていけ。」と何故か金のことだけはきっちりしていて余計に頭にきた。3P少しで北又小屋へ。雨でビショ濡れ。本日、北又小屋前のビニールシートを張った下でビバーグ。小屋番はいない。北又谷の水量は早稲田大の人の話によると平日の3倍とのこと。近づくがとても渡る気になれない。アーア!
・ 小川温泉13:50⇒北又小屋17:00
(回想)
この前年は、同じ黒薙川柳叉谷で敗退した。圧倒的な水量に正直なところビビッた。北又谷の水量は柳叉に比べると半分位。しかしビビッた。また、遡行に数日を要する大きな谷でプレッシャーが凄かった。数年前に遡行した関学からも苦労話を聞かされていたので余計ビビッていた。北又小屋のトラックは無許可だったらしい。この何年か後に事故を起こし怪我人が出ていた。新聞で知った。
30日(月)晴れたり曇ったり 北又小屋⇒恵振谷出合
4時起床時には小雨がパラついていたが、5時前より晴れ出し出発する。水量は昨日よりかなり少なく何とか行けそうだ。柳又谷に比べると半分以下だろうか?直ぐに吊橋を渡り1回目の徒渉だ。早大が先行している。ここから長瀞まで7回徒渉した。4回目の徒渉はワイヤーが張ってあり、それにカラビナを掛け必死で渡った。5回目で大勝が流されザイルで引っ張った。へつりも3回あり、1回目は崖を懸垂で降りた。2回目は赤のザイルがフィックスしてあり、それを掴んで強引に突破。北又小屋から長瀞までは資料では1時間と書いてあったが実際は3倍近くかかった。長瀞の手前には瀞があり左岸をへつり、途中から懸垂で降りた。長瀞は深くて直接通過出来ず、左岸の木や泥の詰った岩溝を登って高巻いた。その後、下降点が分からず草木にぶら下がりながら、小谷を3〜4ツ越えてガマ平まで行く。所々獣道があるがブッシュがきつい。恵振谷出合へは、まず小尾根の踏み跡を拾って下り、更に岩場を懸垂するが、目標とする又右衛門の滝と思っていたのが、裏定倉谷より本流へ落ちる滝であった。このため崖の上へ出て行き詰まり戻った。約100m登り返して40〜50m恵振谷上流へトラバース。そこよりブッシュにぶら下がりながら出合より50m上に出て20mの懸垂で谷底へ降り立った。本日、恵振谷の出合でビバーグ。又右衛門の滝は落差4m程で直径30mはあろうかと思われる滝壺をもっていて非常に神秘的だ。滝壺の出口にはワイヤーの残骸があり、左岸の高巻き踏み跡の取り付きには赤布が付けてある。それから恵振谷もかなり水量があり、直ぐ向うで左へ曲がっている。19:00頃、早大が降りてきたが上でビバーグしたようだ。本日、北陸地方が梅雨明けしたと聞く。
・ 北又小屋6:10⇒長瀞9:50⇒ガマ平13:10⇒恵振谷出合16:00
(回想)
当時は小川温泉経由の北又小屋から遡行を開始したが、現在は苦労して徒渉をした所にダムが出来ているらしい。従って、峠から尾根を降り、長瀞の辺りから始めるらしい。長瀞から恵振谷出合までは高巻いたが、長瀞は水量が少なければ泳いで突破出来るらしい。最近その様な記録を読んだ。秋の減水期では可能かも知れない。この北又谷には、我々の訪れる10年ほど前に塩崎さん達が遡行していた。我々は“地下足袋+ワラジ”で臨んだが、塩崎さんは“登山靴”であったと聞いた。大したものである。
31日(火)晴れ→曇り BS⇒白金ノ滝手前
BSより恵振谷を徒渉して左岸の小尾根の踏跡を辿る。取り付きに古いワイヤーがぶら下がっている。かなりの急登で暫くすると熊ノ平へ出る。ここから踏跡を拾ってトラバースするが下降路が判然とせず、痩せ尾根の踏跡をひたすら登り、地図で二つあるコブのコルから40mの懸垂も交え、急で狭いルンゼを本流目指して下降する。本流へは滝となって落ちている。落ち口にはハーケン1本とシュリンゲが残置してある。ブッシュを支点に谷底へは30mの懸垂である。トップの薮内さんが降りた後、ザイルが本流の木に絡み解くのに時間を喰った。この懸垂は最後の10mが完全な空中懸垂となり、流れの真ん中に降り立つ。右岸を少しへつり岩のテラスでレーション。ここから直ぐに谷は右折し、その角に水流が当たり、へつるのが難しそうだ。先の下降点より更に60m上流から懸垂すれば良かった。薮内さんトップでハーケン6枚を打ちアブミを使って突破。このピッチは本遡行中で最も難しく緊張した。このわずか10mに1時間を費やした。この後は、幾分か谷は広くなり徒渉やへつりを繰り返す。へつりの途中に1回だけ高巻いて懸垂した。中瀞の手前の釜では5m程泳ぎ右岸に這い上がる。少し行くと中瀞である。長さは150〜200m位。入口は浅いが10m程進んだ所で左岸に泳ぎバンドに這い上がる。右岸は垂直もしくはかぶり気味で、瀞の中間地点には10mの滝が落ちていた。約20mトラバースするがヌルヌルで悪い。この後、ザイルを出し40mで終了。ここからは主に左岸をへつり、かなり水量のある白金谷を左に見て、この谷と白金ノ滝の中間地点にてビバーグ。白金ノ滝まで薮内さんと偵察に出た。白金ノ滝は落差5mで落ち口は幅が1m位。迫力がある。釜は二つありそれぞれ直径10m位。明日はこの滝の少し手前の右岸から巻くことにする。
・ BS6:00⇒熊ノ平6:40⇒中瀞14:20⇒白金谷出合15:40⇒BS16:00
(回想)
朝一番の高巻きから本流への懸垂は完全な空中懸垂であった。流れの中に降りるので緊張した。この後のへつりも悪かった。まず、泳いで進もうと私が飛び込んだが簡単に押し戻された。怖かった。結局、アブミトラバースで突破した。中瀞は神秘的だった。真ん中辺りで本流に落ちる細い滝は美しかった。
8月1日(水)快晴→ガス BS⇒黒岩平
昨夜は寒く余り眠れなかった。出発間際に胸の辺りが痛いので見てみると、変な虫が吸い付いて血を吸っていた。虫除けをかけ、やっとのことで外し石でたたいて殺した。非常に気持ち悪い。深山には変な虫がいるものだ。昨日の偵察から白金ノ滝までへつりと徒渉を繰り返して行く。滝手前の右岸の小滝の右から、悪い草付を20m登り右にトラバース。15分程進んだ所で本流へ30mの懸垂。白金ノ滝の直ぐ上の漏斗谷出合へ出る。この谷は本流と同じ位の水量があり、巨石がゴロゴロして直ぐ先で左へ曲がっている。奥はどうなっているのか分からない。出合から少し行くと瀞になり10m程泳ぎ、瀞に引っ掛かっている大木に乗り右岸をへつる。そして、瀞の真ん中の大石に跳び移り激流を右岸に戻る。その後、右岸をへつる。1ヶ所ツルツルのへつりがあり西岡が2度転落。水は非常に冷たい。瀞を終え少し行くと長持渕である。3段の滝を有し、いずれも大きな釜を持ち水量も豊富だ。左岸を高巻き岩溝に降り、これを少し登り小尾根を乗り越し、更にルンゼを20mの懸垂で本流へ戻る。直ぐに徒渉し右岸を泳ぎも交えてへつる。この辺りは谷も広く明るい。更に行くと三段ノ滝にぶつかる。下段4mの滝は直登出来ないので左岸より草付を登り、ルンゼを30mの懸垂で下降。中段と上段の滝の間に降り立つ。徒渉し右岸に移り岩を登り、上段ノ滝を越えると、直ぐに黒岩谷出合である。レーションの後、念のため偵察を出し黒岩谷に入る。出合付近が10mの瀞となっているが、この後は広くなり巨石がゴロゴロしている。平凡な谷ではあるが水量はまだかなり多い。1P半で中岩に着く。これは“おにぎりせんべい”の様な形で高さ20mはあるだろう。真っ直ぐに立っていてボルト連打でなければ登れないだろう。この辺り水量はまだかなりある。登り続けると黒岩平に飛び出す。残念ながらガスで何も分からない。適当な台地があり、ここでビバーグ。夜、ガスと風が出てきたが、明日の晴天を期待して濡れたツエルトを被った。
・ BS6:00⇒漏斗谷出合6:45⇒黒岩谷出合11:35⇒黒岩平15:30
(回想)
この変な虫は“ヤマダニ”である。この時は一匹しか見つからなかったが、蓮華温泉の露天風呂でもう一匹見つけた。ダニが出るということは相当な深山のようである。都市近郊では殆ど見かけないと聞いた。黒岩谷の中岩の事は良く覚えている。巨大なお化け岩だ。おにぎりの様な形だった。黒岩平のビバーク地は直ぐ近くに湧き水が出ていた。西岡が感激していた。美味しい天然水であった。
2日(木)曇り→晴れ BS⇒蓮華温泉
待ちに待った下山だ。黒岩平は小さい池が点在し、花が美しい素晴らしい所だ。30分程で登山道に合流し、ガスの中、蓮華温泉を目指す。アヤメ平、長栂山を経て蓮華温泉との分岐点には3時間弱で到着。朝日岳へ向う予定だったがガスのため中止し蓮華温泉へひたすら下る。蓮華温泉の手前での籠渡しは初めてで珍しかった。蓮華温泉では全員露天風呂に飛び込み解散となる。
・ BS5:15⇒蓮華温泉12:30
(回想)
蓮華温泉は蒸し暑かった。これまで水との戯れで余計暑く感じたのであろう。正直、「やっと終わった。」と思った。北又は緊張の連続であった。また、薮内さんの力がなければ敗退しかも知れない。思い出深い山行であった。
◎8月11日(土)晴れ 蓬莱峡 単独
独りぶらりと蓬莱峡へ岩登りに行く。僕以外は二人がいるだけだ。S字クラック、正面、小ハングなどを暑い中登る。15時頃、帰ろうと思ったら、先日、剣山荘で見掛けた人に会い声を掛けた。前田さんという人だ。この人とトラバースの練習をして一緒に帰った。
◎9月15日(土)曇り 蓬莱峡 川村
ワンゲルの川村君と蓬莱峡に出掛ける。予想より人は少なく10本程登り指が痛くなる。トレーニング不足か?彼はなかなかバランスも良く、第一熱心であり頼もしい。
◎9月24日(土)曇り 仁川 甲南大学山岳部
山本、別所、大勝、西岡と5人で人工の練習を行うために仁川へ行く。連休のためか人は少ない。三段3本。パール2本を登った。別所はなかなか上手い。
◎10月10日(水)晴れ 岡本バットレス 甲南大学山岳部
昼過ぎ、大勝と二人でバットレスに行く。本日、体育の日で休日。そのためか4人も取り付いている。フリー2本。人工3本登る。単独のおっちゃんと友達になった。
◎10月13日(土)晴れ 岡本バットレス 別所
別所と昼過ぎにバットレスに行き3本登る。単独でどこかのおっちゃんが登っていた。
◎10月個人山行 穂高 屏風岩1ルンゼ 山本・大勝
20日(土)離阪
超大型台風20号も去り、一日遅れで出発。少ない見送りの中「ちくま3号」にて離阪。
21日(日)晴れ→曇り→雨
タクシーで上高地へ。一人2000円也。紅葉が美しい。人も予想より沢山いる。横尾へは素晴らしい風景を楽しみながら2時間半で到着。直ぐにテントを張り1ルンゼを登りに行く。空を見上げると凄い速さで雲が湧いてきて曇ってくる。登山道を岩小屋まで行き、直ぐ対岸の1ルンゼ押し出しを目指す。横尾谷には太い丸太が掛かっている。押し出しは思ったより狭く幅10m程であった。ここから40分程でT4尾根直下の大石のテラスに着く。この辺りで雨が降り始め偵察のみで帰る。1ルンゼ押し出しには、切れたシュリンゲやザイル。潰れた水筒などが岩の間に見られ何となく気持ち悪い。一方ここから見上げる壁は余り大きくはなく、それ程威圧感もない。しかし青白ハング帯は凄い。壁には東壁ルンゼと1ルンゼにそれぞれ1パーティ取り付いている。そしてT4尾根には単独と思われるおっさんがいた。BCに戻ってからも雨は止まず明日が心配だ。
・上高地7:00⇒横尾9:30⇒偵察出発10:30⇒T4取付11:45⇒横尾12:30
22日(月)快晴 屏風岩1ルンゼ
快晴の朝。素晴らしい。その代わり寒さも相当だ。横尾谷を渡る丸太にも霜が降り、またがって行く。また1ルンゼ押し出しの登りも岩が滑って困った。T4尾根直下より易しそうな岩場を選んで4〜50m登りチムニー滝の下にてザイルを出す。T4尾根から横断バンドをトラバースして1ルンゼに取り付くという3人パーティのリーダーが盛んに話し掛けてくる。そこには女性もいる。我がパーティは、僕・大勝・山本の順でザイルを結び、僕と少年がつるべ式でトップをいくというスタイルだ。1P目。僕がトップでルンゼ中央のクラックに向ってバンドをトラバースし、クラックをA0で直上。その後フェースをフリーで、ボルトの2本埋めてあるテラスにてビレー。2P目。少年トップで細かいフェースを10m直上し緩斜面に出る。3P目。左のフェース(ルンゼ状)を20m登りカンテを回り込み本流へトラバース。このトラバースピンが全く無いので緊張した。4P目はチムニー滝。突っ張りで6m直上。その後、滑り台の様な所をA0で越す。少し難しい。トップの少年は苦労した様だが、僕は大勝が残置したアブミで楽をさせてもらった。このあとコンテで40mほど登り、横断バンドより少し上に出る。5P目。岩溝の小さいテラスでビレーして、僕がトップで登り出す。3m程登るとチムニー滝となる。左側は被っている。また湿っていてさらに凍っていて悪い。ビレー点より2m登り握っていた残置ピンが抜け滑落。大勝の足の上に落ちた。幸い怪我もなくダメージもないので再び挑戦。右のハングに打たれたハーケンまで必死に登り、それにアブミを掛け右に回り込む。この辺り、岩が濡れているのと細かいのとで思い切りがつかなかったが、何とかチムニーに身体を押し込み、非常に不細工な格好で10m直上しテラスに出た。この後、チェックストーンを突っ張りで強引に登り残置ピンにてビレー。この辺は狭くて落石がきたら終わりだ。6P目。少年トップでチムニー滝をじりじり10m登り、その後、濡れているが易しいクラックを20m。ハング下でビレー。この辺り岩が脆い。7P目。僕がトップでハング下まで登り、右のリッペに移る。この1m余りのトラバース。湿った岩と細かいので緊張した。ここよりA0も交えクラックを10m程登り、チェックストーンをやっとこさ乗り越して左の草付を10mでテラス。ここでビレー。このピッチ、手が攣りそうになり苦しかった。8P目。表面が凍った草付を10m。9P目。本流へトラバースして40mで緩斜面帯へ出た。この後、コンテで60m左の壁に沿って上がる。10P目。凍ったスラブを40m。11P目も左の壁に沿って凍ったスラブを40m。12P目。スラブを右上すること40m。13P目。草付よりルンゼを40mでテラス。14P目。ルンゼを40mで岩峰下のテラス。15P目。バンドの踏跡を辿り40mトラバース。16P目。バンドよりブッシュルンゼを30m直上。17P目。ルンゼを20mで稜線へ。登攀終了。終了点で遅い昼食の後、屏風の頭まで踏跡を辿る。雪が2〜3cm積もっている。本日バテバテで屏風の頭にてビバーグ。先行パーティは下ったようだ。頭からの眺めは非常に素晴らしい。
・ 横尾5:40⇒1ルンゼ取付6:50⇒登攀開始7:10⇒終了16:45⇒屏風の頭17:45
(回想)
17ピッチの登攀。時期が悪かったのか岩が凍っていて苦労した。この前年に薮内さんと今井が登っていたが、この時の話と違っていた。夏の岩の乾いた時期なら快適だったろうに。この屏風の1ルンゼは十数年前に起きた岩雪崩で遭難者が出てからは夏期の登攀が禁止されている。ボロボロで危険らしい。カチコチに凍る冬期は登ってもよいらしいが・・・。1ルンゼの初登はかなり以前だが、この時は1本のピンも打たずに登られたと聞く。これには驚きである。核心部をノーピンでランナアウトの中で登るのは相当な勇気がいったと思います。登攀技術も優れていたのでしょう。我々は、A0/A1を駆使して登った。我が部では大勢の皆さんがここを登っている。その中でも際立つのが、渋谷さんと納富さんによる3月の登攀であろう。途中、納富さんがスリップしたらしいが完登している。大したものである。この日のビバーグは寒かった。大勝は羽毛服を着ていたが私と山本は着の身着のまま。朝が待ち遠しかった。
23日(火)快晴
快晴で素晴らしい眺めだ。その代わり昨夜は非常に冷え込みシュラフを持参しなかったので一晩中震えてろくに眠れなかった。BSより耳を越え、最低コルに着く。ここより踏跡を辿り横尾谷目指してひたすら下降。30分で登山道に合流しBCへ戻る。途中、屏風岩が見え改めてその大きさに驚く。BCで腹一杯食べ横尾を後にした。
・ BS7:25⇒最低コル7:50⇒横尾9:50
(1ルンゼ登攀を終えて)
これまで1ルンゼを登った人によると「快適で易しい。」と言われていたが、実際に登ってみると、凍っていて岩は滑るし、石は落ちてくる。また濡れているなどして悪かった。条件としては日の長い9月前後が最も良いのではないか。6月だと岩が緩んで落石の危険大。また11月だと凍るなど。我々が登った時期はアブミをはじめボルト・マイクロハーケンなどを持参した方が良いだろう。ツルツルに磨かれ凍ったスラブはフリクションのみではダメだ。また退却のためにも必要である。ルンゼ上部のスラブ帯は、一面雪で覆われ思わぬ所で時間を喰った。それに先行パーティの落石が加わって恐怖のみ。上部は岩峰間の“井戸ルンゼ”が正規のルートだが、右のバンドをトラバースした。この方が易しく時間的にも早い。屏風の頭でのビバーグは非常に寒くとても眠れたものではなかった。やはりシュラフカバーは持参すべきだった。
◎10月27〜28日 土日山行及び月見コンパ 甲南大学山岳部
27日(土)晴れ
高座の滝上の砂防ダムにて月見コンパ。コンパまで時間があるのでゲートロックとホワイトロックに行くが暗いので眺めるのみ。夜コンパ。
28日(日)晴れ→曇り
昨夜は、イノシシの出現や他のテントがうるさいのとでよく眠れなかったが、11時頃よ少年・青木・大勝の4人で登りに行く。青木と組みゲートロック1本。ホワイトロック2本をノ登る。どちらも上部が脆く悪い。先日バットレスで会ったおっちゃんの友達がせんべいをくれた。
◎11月3〜4日 土日山行 蓬莱峡 甲南大学山岳部
3日(土)晴れ
山本のクルマで蓬莱峡へ。ここで稜友山岳会の前田さんに会い、一緒に小ハング直上・正面X級ルートなどを登る。流石、僕よりずっと上手い。久しぶりのビブラムは怖い。
4日(日)曇り→雨
午前中、大勝とアイゼンを着け登る。午後から泥山に行く予定だったが小雨が降り始め帰る。
◎11月9日(金) 岡本バットレス 単独
本日実験が休講。昼からバットレスに独りでボケーッとしに行く。ノーマルルート1本のみ。
◎11月11日(日) ロックガーデン 甲南大学山岳部
昨日からの予定だったが生憎の雨。10:00に部室集合。4人だけで月の墓場に行きそこら辺をさ迷う。帰りに近道をしようと脇道に入ったが、猛烈なブッシュ漕ぎのみでうんざり。
◎11月冬山偵察・荷上げ合宿 槍ヶ岳硫黄尾根 甲南大学山岳部 薮内・大勝・西岡
11月16日(金)離阪
実験を終え慌しく出発。見送りは、納富さん・日比野さん・要さん・今井・山本・青木・八木・関学の芦田君。少し寂しい。ちくま5号にて離阪。
17日(土)晴れ→曇り 葛温泉⇒硫黄尾根末端台地
葛温泉より舗装された立派なアスファルト道路を行く。第5発電所まで石垣を積み上げた様なダムを二つとトンネルを幾つも抜けた。車は乗せてくれない。やっとこさ湯俣に到着。雪は全く無くて嬉しいやら淋しいやら。ここでまだ時間があったので硫黄尾根に取り付いた。登り切った所でテントを張る。取付からここまで沢山赤布を付けた。夕方より小雨がパラツキ出す。
・葛温泉8:10⇒湯俣14:25⇒硫黄尾根末端TS15:15
18日(日)雨 沈殿
昨日の雨が止まず沈殿。それにしてもよく降る。夜には雨からみぞれに変わった。雨水を飲み水として使った。
19日(月)小雪→曇り TS⇒硫黄岳前衛岩峰群W・X峰のコル
TSより昨日降り積もった雪を踏みしめながら進む。小雪がパラツイている。4時間程で硫黄岳前衛T峰に差し掛かる。この手前でヤッケ・オーバーズボン・登攀具を着けた。ここまで雪は膝程度。積雪30〜50cm。T峰は直登するが、ピーク直下はスタンスが遠いので僕のザックを足場にして登った。ピークから40m程行くとT・U峰のコル。T峰は直登の他に水俣川側の雪田をトラバースもでき、そちらの方が易しそうだ。U峰へはT・Uのコルから水俣川側の雪田をトラバースしてリッジに這い上がり、それを慎重にラッセルで登るとピークである。ピークよりブッシュを支点に30mの懸垂で右上バンドのテラスに出る。この懸垂は雪が不安定で悪かった。更に、ここからブッシュを支点にして20mの懸垂でU・V峰間のルンゼに降り立ち、U・Vのコルヘ上ろうとしたが、このルンゼは非常に不安定な雪で登れず、ラストの薮内さんがU・Vのコル直下へ斜めにトラバースしてザイルをフィックス。僕らはゴボウで登った。コルから痩せ尾根へ80mフィックスしてW峰ピークへ。ここから慎重にクライミングダウンしてコルに降り立つ。本日、このコルにて幕営。ここまで、フワッとした雪のため時間を喰った。緊張の連続。夕方、北鎌尾根隊が“おろく”の様なものの20m手前で幕営していると伝えてきた。
・TS7:45⇒硫黄岳前衛T峰12:10⇒V峰13:10⇒W・XのコルTS16:30
(回想)
この山行は厳しかった。11月はまだ“冬山”ではなく、昼間は気温が高く、雨/ミゾレ/雪と濡れっ放しであった。一方、夜間は冷え込み、濡れたものがバリバリに凍った。ザイルは針金。テントはベニヤ板になり参った。また、雪と岩が馴染んでなくてアイゼンが聞かず苦労した。ちょっとした斜面でもシビアでザイルを出したので時間を喰った。この時は、6日かけて抜けたが、冬は条件が良くて4日であった。秋山は怖い。
20日(火)快晴 TS⇒硫黄岳ピーク
素晴らしい天気だ。雲ひとつない。しかし昨夜はぐんと冷え込みテントの中は真っ白。TSより痩せ尾根を行きX峰へ。この降りは20m程懸垂した。この後更に這い松混じりの痩せ尾根が続き、X・Yのコルから少し進んだ急登に30mフィックス。やはり、昨日と同様に雪が非常に不安定で悪い。更に痩せ尾根を慎重に行くとY峰の登りである。ここはリッジに60mフィックスした。ピークからは硫黄岳の登路である痩せ尾根、及び北東面がよく見える。雪が着きとても美しいが、不安定そうな雪に不安になった。Y峰ピーク殻のルートは、10m程尾根を降り、そこから赤布に導かれて右へほぼ直角に折れる。この後、這い松のトンネルを雪まみれになって強引に下ると小次郎のコルである。嫌になる。コルからは、鋸の痕や赤布に導かれて最低部に到着。ここでレーション。ここまでも、これから先も痩せ尾根を忠実に進むと間違いない。この辺りから膝程度のラッセルが硫黄岳ピークまで続く。コル最低部から熊笹や這い松に足を取られながら雪稜を1時間程行くと、目の前には、見上げると岩峰の様なものが現れて、これを左の急なルンゼから登る。6月にラルフがビビッてザイルを出した所だ。僕が空身で40mフィックス。悪い。セカンド以降は、上から垂らしたザイルをザックに結び持ち上げながら、フィックスをゴボウで登った。この後もゴボゴボもぐる熊笹と這い松の雪稜が続く。やがてコルに出る。ここからは尾根沿いに行かず、左の雪田に入りブッシュを掴み強引に登る。急であるのとボソボソもぐるのとでバテバテ。これを抜け尾根は左に折れ、易しい雪稜を40分程進むと、今度は右に折れ、急な痩せ尾根を登ると硫黄岳ピークである。最後の急登で日は完全に落ちバテバテでとても苦しかった。今日は雪の状態が非常に良くて、昨日とえらい違いだ。北鎌隊は独標基部にて幕営。
・TS7:15⇒Y峰9:30⇒硫黄岳ピーク18:15
(回想)
凹状岩壁は悪かった。これは小次郎のコルと硫黄岳間の核心部である。しかし、この辺りの事は、色々な記録を読んでも出てこない。他のパーティは異なるルートを選んでいるのか?
21日(水)快晴→雪 TS⇒硫黄岳南峰
TSより広いピークを少し進み硫黄台地を目指す。ピークから這い松の広い斜面を降りるのだが、這い松の上に軽く雪が乗っているだけでボソボソはまり悪戦苦闘の連続。この為ロンスパが片方つぶれオーバーゲーターに履き替える。今日も昨日同様素晴らしい天気だが物凄いスピードで槍の辺りがガスってきている。天気は下り坂だ。這い松帯を何とか抜け、なだらかな尾根に出る。膝程度のラッセルでポケポケ行くとやがて硫黄台地。とても広い所だ。少し行くと雷鳥ルンゼである。ここは先ず赤布に従って主尾根(岩稜)より少し右の這い松帯に入り、それを掘り出し掴みながら降る。100m程降り主尾根基部に戻り、ここから80mフィックスしてピナクルの間をぬって降って行く。やがて小さなコルに出て岩溝を5mほど登り、岩を支点に20m懸垂する。更に下降点より10mフィックスして、バンドを上から見て左にトラバース。残置ピンから15mルンゼを懸垂。この後、岩峰基部に沿って30mフィックスしてバンドをトラバースすると主尾根に出た。ここから痩せ尾根が続き三つ目のピークでレーション。ここでアイゼンを今合宿初めて着け南峰へ。デポ缶は南峰とその手前のピークの木の上に置いた。雷鳥ルンゼを終える頃より雪が舞い始めテントを張る頃には更に激しくなった。ここでは微かながら風が硫黄の臭いを運んでくる。明日からは荷も軽くなり、行動もよりスムーズになるだろう。
・TS⇒硫黄台地10:35⇒硫黄岳南峰15:15
(回想)
雷鳥ルンゼはルートも分かっていたのでスムーズに通過した記憶がある。6月の偵察が活かせた。
22日(木)雨→曇り 沈殿
朝からずっと雨でPM3時頃に止んだ。北鎌隊も沈殿。夜から風雨共に強くなりテントは潰れそうだ。不安!
23日(金)霧雨 TS⇒中山沢のコル
4:30起床だがガスと雨のため待機となり、またシュラフに潜り込む。しかし7時過ぎに視界が利き始め行動開始。小雨がパラツイている。TSより直ぐに石のゴロゴロしたガラ場を、這い松と石に足を取られながら2〜300m降り赤岳前衛岩峰群に差し掛かる。T峰は基部を湯俣川側から巻きU峰にかかる。U峰はピークから湯俣川側に出ている岩稜のコルに登り、そこからリッジを10m辿りU・Vのコルに向ってトラバースする。ノーザイルで雪の下の岩が不安定なので緊張する。コルからブッシュピークのV峰へはチムニー状の易しい岩登り10m。岩はボロボロだ。その後、左へバンドを5mトラバースし這い松帯の踏跡をV峰ピークまで登る。這い松の痩せ尾根を慎重に行くと目の前にW峰が現れたV・Wのコルの少しV峰寄りのテラスに大勝と西岡を残し、薮内さんとW峰の雪壁にフィックスに向った。6月は丸腰で駆け上った所だが、今は雪がべっとり付いて悪そうだ。僕がトップで壁の左側を、弱点を縫いながら50mでW峰ピークへ。この壁には途中に何本か残置ピンがあり傾斜も45度位で、雪も締まっていて空身であれば問題なし。フィックス後、全員ゴボウで登った。ピークから5〜6m岩溝にフィックスして降り、小ピナクルの残置シュリリンゲを使って、30m岩溝を懸垂して次の支点へ。更に小ピナクルから15mの懸垂で幅5〜60cmの狭いW・Xのコルに降り立つ。ここより水俣川側をバンドに沿って回り込み雪田を60m位登って稜線へ戻る。Y峰を越えZ峰へは岩のナイフリッジに雪が付き非常に悪かった。また高度感も加わって緊張した。ピーク手前から20mフィックスし、その後20mの懸垂でZ・[のコルヘ。6月はここから非常に難しい10mの岩登りをして、その後、リッジを辿って[峰ピークに立ったが、今回はベラグラが張っていて岩は登れない。また水俣川側のルンゼより回り込んでリッジに出ようとしたが、こちらも雪の状態が悪くてダメだった。結局、コルから水俣川側のルンゼを3〜400m大きく降り、[峰ピークからひとつ手前の小岩峰より派生している岩稜の末端まで行き、これを回り込んで中山沢のコルヘ雪田を喘ぎながら登った。このZ・[のルンゼはボソボソ潜り悪戦苦闘。ただ、今日は雪の状態が良く雪崩の心配は無かったが、降雪後で雪が不安定の時などは危険である。Z・[のコルから中山沢のコルまで1時間程で、コルにテントを張る。テント設営時より小雨が何時しか雪に変わり全ての物が凍ってしまった。コルには鵬翔山岳会関西の小さいデポが小岩峰にくくり付けてある。今日は朝から緊張の連続で参った。
・TS8:30⇒赤岳前衛V・W峰のコル9:40⇒中山沢のコル14:40
(回想)
寒い中の厳しい登攀。この日は緊張の連続であった。特にZ・[のルンゼ下降は、胸位まで潜り参った。もがきまくった・
24日(土)快晴→ガス TS⇒槍平冬期小屋
雲ひとつ無い素晴らしい天気だ。そのため昨夜は冷え込み全てのものが凍ってしまった。ザックは板金。ザイルは針金となる。TSよりアイゼンを着け、岩稜を行かずにクラストした湯俣川側の斜面をアイゼンを利かして登り、どん詰まりから左の雪の詰った狭いルンゼを20m登り左上バンドに出る。これを20m辿り、雪の良く締まった雪壁に入る。これを慎重に5〜60m登るとリッジに出た。ここから更にルンゼを登り、小岩峰を左に巻き、広いルンゼをやっとこさ登ると赤岳岩峰群T峰である。ここまで氷っている所もあり緊張した。ピークで北鎌隊と9:00の交信をしていると、北穂から滝谷へ転落者が出たと熊本大から緊急連絡を受けた。そして「北鎌隊が連絡に下る。」という伝言を受けた。我々も気を引き締め進むことにする。T峰から雪稜を降り、雪田をトラバースしてT・Uのコルへ向う。コルからU峰へは水俣川側の雪田を40mトラバースし、その後30m直上しピークへ。ここから岩稜を行き、V峰は湯俣川側の雪田をトラバースして巻いた。岩稜を更に進むとW峰にかかる。水俣川側から雪田を登りリッジに出てピークへ。更にリッジを進みX峰を越え、最後の岩稜を湯俣川側から回り込み、這い松の痩せ尾根に這い上がる。これを100m程行くと岳樺台地である。ここまで雪は良く締まっていたが、不安定の時のトラバースは難しくなるだろう。ボソボソ潜る雪に嫌になりながら台地の末端まで進みレーションとする。12:00の交信で、今度は大天井岳で単独の人の遭難があり、連絡の依頼を登稜山岳会より受けた。1日で2度の遭難に驚くと共に、今日中に槍平まで下ることに決めスピードを上げた。台地から恐竜の背の様な痩せ尾根を登り、やっとこさ西鎌尾根に出た。この辺りからガスが懸かってきて、それに風も加わり苦しい。しかし悪場も終わり全員ホッとしている。ここからピッチが上がらず、千丈沢乗越にバテバテで到着。槍平へ下る。トレースを辿り、途中から中崎尾根に入った。日も完全に落ちバテバテで槍平へ到着。途中何度も転んだ。やっと着いた槍平山荘には、小屋番はいなくて遭難の連絡は出来なかった。しかし、冬期小屋にいた社会人山岳会の人に「別の連絡員が中房温泉に下山したと伝える。」と言うと、遭難の事は、もう警察は知っているだろうと言ってくれた。本日ここに泊まる。
・TS7:35⇒赤岳T峰9:00⇒岳樺台地11:30⇒槍平冬期小屋20:15
(回想)
しんどい一日だった。12時間行動で疲れはピークに達していた。フラフラで槍平に着いた。
25日(日)曇り 槍平⇒新穂高温泉
昨夜は23時就寝。そして今朝は5:00に起床。昨日の事が気になって睡眠不足も何のその。新穂高までは、よく整備された登山道を4P弱。遭難の事は、そこにいた静岡の人によると、「もう既に新聞に載っていた。」とのこと。警察への連絡はしなくてよいと判断し、高山へ下山した。
・TS6:30⇒新穂高温泉10:20
(11月合宿を終えて)
今年は去年に比べて天気が悪く、そして時期も遅くて新雪や雨に悩まされた。硫黄岳前衛岩峰群の通過は特に悪くて緊張した。デポは、中山沢のコルに置くつもりだったが硫黄岳南峰に変更した。これで良かったと思う。技術的には難しかったが、冬もこれと余り変わらないと思われる。何とか登れるだろう。しかし荷が重ければ苦しく、極力軽量化を図るべきだ。ザイルは低温に強いエバードライを使用すべきである。さもないと“針金”の様になる。シュラフは今回初めてダグロン製を使ったが、これはかさばるが水に強く乾くのが非常に早く正解であった。
(回想)
非常にシビアな山行であった。冬は楽勝だったが。
◎12月2日(日) 蓬莱峡 甲南大学山岳部
山本と二人で蓬莱峡へ行く。人がたくさんいる。10本ばかり寒さに震えながらアイゼンで登った。
◎12月8・9日 土日山行 蓬莱峡 甲南大学山岳部
8日(土)晴れ
ポカポカと暖かく春の様だ。Tシャツ1枚で要さんとアイゼンで登る。恐ろしい。
9日(日)晴れ
午前中、“日の当たる坂道”と泥山にてアイゼンワーク。午後からはアイゼンで岩登り。非常にしんどい。
◎冬山合宿 槍ヶ岳硫黄尾根⇒中崎尾根下降 甲南大学山岳部 薮内・要・大勝
21日(金)離阪
松本さん、大森さん、村岸さん、中辻さん、及び青木・西岡・八木の見送りを受け出発。電車は空いている。
(回想)
この冬山は1年の八木が参加しなかった。夏の事故が原因だった。よって上級生のみの合宿となり、北鎌尾根と硫黄尾根を2パーティでトレースすることになった。硫黄尾根隊は、北鎌隊より1日早く発った。硫黄は北鎌より倍のスケールがあり時間がかかると思われたからである。
22日(土)小雨→曇り 七倉⇒硫黄尾根末端台地
大町では生憎の雨。タクシーで七倉へ向う。秋には七倉まで入れなかったが今回は大いに気を良くした。七倉山荘の軒下で1時間程雨宿り。そうしている間に小型バンが来て第5発電所下まで乗せてもらった。ここからトンネルを二つ抜け高瀬ダムの下で休んでいると、今度はジープが来て荷物のみワサビ沢トンネル出口まで運んでもらう。ラッキー。ここより3Pで湯俣。ここまで殆ど雪はない。しかし滝は氷瀑となっている。水を補給して時間も早いので尾根へ上がることにする。湯俣から30分位で尾根取付。更に15分程で尾根上へ出る。本日、硫黄尾根末端台地で幕営。天気は回復に向っている。
・七倉8:00⇒湯俣15:00⇒硫黄岳末端台地15:40
(回想)
ヒッチハイクで時間を稼げた。また、6月や11月よりも体力を温存出来た。
23日(日)曇り時々小雨 TS⇒硫黄岳ピーク
TSより全く雪の無い踏み後を行く。荷も軽くどんどん高度が稼げる。1800m付近から所々雪が出始め、その上に古いトレースがある。先行パーティがいるようだ。硫黄岳前衛T峰の手前から雪稜となり先行パーティの幕営後を見つけた。少し行くと尾根は左に大きく曲がり、最後の樹林帯で登攀具を着けた。T・U峰は痩せた雪稜をトレース通りに難なく直登。U峰からの下降は11月の残置シュリンゲを使って岩溝を30m懸垂してテラスへ。11月はフワフワの雪で気味が悪かったが今回は問題なし。テラスからはU・Vのコルヘバンドをトラバースする。残置フィックスがあるが念のために自分たちのザイルを使った。30mでコルヘ。この後、忠実に雪混じりの岩稜を行く。トレースもあり、おまけに雪も締まっていて11月の苦労がウソの様だ。W峰まで難なく進む。ここから硫黄岳ピークを目指す先行パーティが見えた。ラッセルに苦しんでいる様であった。ピークからは這い松の雪がよく締まった溝を小次郎のコルまでアイゼンを利かして下る。コルからは雪稜を快適に登り、凹状雪壁の登りにかかる。ここは40mフィックスしたがツァッケを蹴り込んで問題なく通過。更に雪稜を必死で登ると硫黄岳ピーク。広々とした台地でここにテントを張る。
・TS6:45⇒硫黄岳前衛U峰10:15⇒小次郎のコル13:15⇒硫黄岳ピーク17:10
(回想)
先行していたのは上智大である。このトレースのおかげで助かった。上智大は苦労したと思う。上智大は翌日に抜いたが、ルートを知らない様でこれ以後は我々の前に出ることは無かった。なお上智大は西穂まで行くと言っていた。大したものである。
24日(土)快晴→曇り TS⇒中山沢のコル
TSより広々とした台地を少し行き、這い松の広い斜面を、アイゼンを利かして駆け下る。所々ボコボコ潜る。硫黄台地との間のコルに降る所は這い松が完全に出ていて木渡りしながら慎重に進む。コルにはこれまで先行していた上智大の3人パーティが幕営していた。昨日までのラッセルの礼を言い、先を急ぐ。硫黄台地までは易しい雪稜が続き主に千丈沢側を進む。所々、膝位まで戻る。難関の雷鳥ルンゼは適度にクラストしていて懸垂下降点までアイゼンを利かして駆け下る。岩峰の基部を回り込み、岩溝を、岩を支点に20m懸垂し、下降点より左(上から見て)に10mトラバース。更に雪の詰ったルンゼを残置ピンより15m懸垂して主尾根にトラバースする。予想よりもスムーズで、今日中に中山沢のコルまで行けそうだ。快晴の下、易しい雪稜をラッセルでひたすら登ると硫黄岳南峰である。雪庇は千丈沢側に僅かに出ていた。デポは回収せずに通過。南峰からは凍結した広いガラ場を2〜300m駆け下り、赤岳前衛岩峰群に差し掛かる。T・U峰は湯俣川側より岩稜を二つトラバースで越え、三つ目の岩稜の小さいコルから10m登り、U・Vのコルヘ向ってトラバースする。コルからV峰へは雪の詰ったチムニー状の岩稜を20m登り千丈沢側に回り込んで、ブッシュを掴んで強引に登ると細長いピークに出る。ブッシュの稜を少し行くとV・Wのコルのテラスに出た。W峰は、南峰から眺めると雪がべっとりと付き悪そうだったが、取り付いてみると50mの快適な氷雪壁で問題なくピークへ。ここはフィックスした。ここからは残置ピンを使って20m岩溝を懸垂し、更に終了点より小ピナクルを支点に斜めに雪の詰った岩溝を20m懸垂。この辺り千丈沢側がスパッと切れていて高度感が凄い。終了点より10mクライミングダウンして、ピナクルより15m懸垂するとW・Xのコルに降り立つ。コルで昼食後、雪田を突っ切りX峰に登り、X・Yのコルから中山沢の広いルンゼをアイゼンを団子にして一気に降り、Y・Z・[峰から延びている岩稜の下を回り込んでキックステップで喘ぎながら登ると中山沢のコルである。時間は早いがコルにて幕営。今日は快晴で冬とは思えない。隣には後続の上智大がツエルトを張った。15:00頃より天気が崩れ始め風雪共に強くなる。
・TS6:55⇒硫黄台地7:30⇒硫黄岳南峰9:10⇒中山沢のコル13:25
(回想)
11月の苦労がウソのようであった。良い天気に締まった雪。順調にいった。
25日(日)曇り→吹雪 TS⇒岳樺台地
昨夜から雪が舞いテントの周りには2〜30cm積もった。起床時は星が見えていたが、出発の頃には風が出始めた。TSよりデポを横目で見ながら雪稜を少し登り、湯俣川側からクラストした広い斜面をトラバース気味に登る。どん詰まりの雪の詰った氷ったルンゼを10m程登り左上バンドに出る。ここを慎重に30m辿ると雪壁に入る。所々氷っているが50m位登るとリッジに出る。更に氷ったルンゼを40m位登ると小さなテラスに出た。この後、雪壁を左に20mトラバースして目の前の岩稜末端を回り込み、広いルンゼに出てこれを辿りリッジに戻る。この後50m程岩の間を抜ってクラストした雪壁を登ると赤岳T峰に出る。ピークでは雪煙が激しく嫌になる。ピークからは主稜線をジグザグに千丈沢側から降り、リッジに戻りこれを忠実に進むとT・Uのコルである。ここからは稜線を直接行けないので千丈沢側から雪壁を30m斜上して更に40m直上するとU・Vのコルである。岩稜を進むと目の前のV峰に差し掛かる。これは腹を湯俣川側から岩稜をトラバースしV・Wのコルへ。W峰は細長い岩稜で、コルから千丈沢側の雪壁を30m登りピークに出て岩稜を忠実に辿った。X峰はアイゼンを利かして湯俣川側をトラバース。Y峰は千丈沢側を慎重にトラバースした。この後、湯俣川側に戻りブッシュの痩せた雪稜に入る。雪煙が激しく嫌になる。更に行くと岳樺台地。天気は依然として悪く、早いがここにテントを張る。夕方から風雪がより激しくなった。上智大は先へ進んだようだ。
・TS6:50⇒赤岳T峰7:55⇒岳樺台地9:55
(回想) 中山沢のコルから岳樺台地まではザイルは一度も使わなかった。弱点を突くと上手く抜けられた。上智大は岳樺台地で先行されたと思っていたが、途中でビバークしていた。これは後に報告書で知った。
26日(月)快晴+強風 TS⇒中崎尾根TS
素晴らしい天気だ。星が降ってきそうだ。黄道光も見える。このため昨夜は冷え込んだ。TSから直ぐ目の前の恐竜の背の様な痩せた雪稜を登る。最初は膝程度のラッセルであったが西鎌尾根に近づくにつれ完全に氷化したナイフリッジとなり非常に緊張した。途中、大勝が氷った急斜面でスリップして一同ヒヤリ。やっとこさ、左俣岳に飛び出しホッとした。ここからは夏道通りに主に浦田川側のクラストした斜面を行く。間もなく千丈沢乗越に出る。この間、強風のため顔面凍傷になった。天気も良いので槍ヶ岳を目指すが、途中アイゼンが折れ、薮内さんのものを借りた。薮内さんは僕の予備のアイゼンを履き、その直後に極度にクラストした斜面のため80mスリップ。幸い怪我はなくアタックは断念し下る。夏道通りに中崎尾根に入り、乗越から1P下った台地にて幕営。薮内さんは転落時の打身が痛そうだ。
・TS6:45⇒左俣岳7:35⇒千丈沢乗越9:55⇒中崎尾根TS14:20
(回想) 私の予備のアイゼンを履いた薮内さんが滑落した。このアイゼンは、ゲレンデ用の爪が磨耗してまん丸のものであった。この年は、暖冬で極端に雪が少なく、その代わり稜線は強風で氷がツルツルに磨かれていた。こんなアイゼンでは氷に食い込む筈はなかった。薮内さんの滑落に責任を感じると同時にビビッた。本当に薮内さんには悪い事をした。合宿後、報告書を学生部に提出したら、この件で「気を付けるように。」と注意を受けた。
27日(火)雪 TS⇒新穂高温泉
昨夜から雪が舞い散り3〜40cm積もった。素早く撤収して槍平を目指す。奥丸山手前まではトレースがあったが、ここからは無くなり、槍平へは勘のみで下りた。避難小屋では11月にタクシーで一緒だった静岡の人と会った。小屋から3Pで小雪の舞う新穂高温泉へ。
・TS9:00⇒槍平10:40⇒新穂高温泉15:00
(冬山合宿を終えて)
去年・今年と暖冬のため、雪は極端に少なく、かつ天気には非常に恵まれた。嬉しいことではあるが今後の事を考えると真剣に不安になる。春には絶対にしっぺ返しを喰らうだろう。そのため、気合を入れて頑張る。
(回想)
このころから暖冬続きであった。地球温暖化の影響が出ていたのかも知れない。この暮れには、白馬のスキーは雪が少なく、暮れに白馬乗鞍スキー場を訪れたがゲレンデは土が出てリフトも止まっていた。こんな冬なので短時間で抜けられたと思う。なお槍ヶ岳へのアタックは中止した。私が薮内さんの滑落を見てビビッたからだ。
◎冬期個人山行 八ヶ岳(阿弥陀岳南稜) 甲南大学山岳部 八木
1980年1月29日(火)離阪
ちくま5号にて離阪。客は少ない。
(回想)
この個人山行は、八木が冬山に参加出来なかったので代わりに行った。
30日(水)小雨 学林⇒旭小屋
塩尻で乗り換え。不帰隊と別れる。茅野までは普通列車。雨が降り嫌になる。迷った末9:10発のバスで出発。学林で下車。相変わらず雨だ。道標に従って行くが別荘地に迷い込みうんざり。やっとのことで立場川右岸の林道に出た。ここより車のわだちを辿って旭小屋へ。ここまで倍以上の時間が掛かった。雨も降り、バテているのでここまでとする。旭小屋は荒れているが快適。
・学林バス停9:55⇒旭小屋14:20
31日(木)晴れ 旭小屋⇒阿弥陀岳南稜2520mのコル
小屋の前から延びているトレースをアイゼンを利かして行く。ほどよく氷っていて快い。ひたすら登る。尾根は一本道で支尾根もなく何の迷いもない。立場山と無名峰の間のコルの辺りからワッパを着ける。急な登りを喘いで行くと無名峰。ここから尾根は左に曲がり立場川側が切れ雪庇が出ている。雪庇に気を付け森林限界の2520mのコルにて幕営。しんどい。不帰隊との連絡はつかなかった。夕方より風雪ガスが強くなる。
・旭小屋7:25⇒立場山10:15⇒無名峰13:35⇒TS14:20
2月1日(金)風+ガス 沈殿
昨夜は冷え込み余り寝むれなかった。日本列島は完全な冬型でかなり冷え込んでいるようだ。夕方テント内の霜取りをやる。メンツ3杯ほど取れた。
2日(土)風+ガス 沈殿
依然、猛烈な風とガス。冬型で悪天。どうも腹の具合がおかしい。冬型はなかなか崩れそうになく、明日悪天の時は下山とする。
3日(日)強風+ガス TS⇒旭小屋(下山)
素早く撤収し下山にかかる。風が強く嫌になる。キノコ雪が発達している。また立場川側の雪庇も気になる。八木が帽子とネッカチーフを飛ばされた。無名峰の樹林帯に入り風が無くなりトレースもはっきりしてきて一安心。無名峰直下にはツエルトが張ってあった。ここからひたすら下る。2300m辺りよりガスも切れ、また下から上がってくるパーティもありトレースはばっちり。足取り軽く旭小屋へ。どうも2500mより上部でガスっている様だ。旭小屋では二人の登山者と出会う。昼食の後、立場川側左岸の林道を約3時間で富士見駅に着いた。途中、富士山がとても美しかった。振り返ると八ヶ岳は依然ガスの中だった。
・TS7:50⇒青ナギ8:40⇒旭小屋11:15⇒富士見駅15:20
(回想)
悪天で敗退した。とにかく風が強く、また寒さも厳しかった。登れなかったのは残念であった。八木の悪い事をした。
◎春山合宿 後立山縦走(七倉尾根⇒針ノ木岳⇒鹿島槍ヶ岳⇒白馬岳⇒栂池)甲南大学山岳部 今井・山本・大勝・西岡・八木
3月6日(木)離阪
ちくま5号にて離阪。平井さん夫婦、要さん、青木、ワンゲルの皆の見送り。
7日(金)曇り→小雪 七倉⇒七倉尾根2000m付近
大町から七倉までタクシーで入った。今年度4度目であり初めて来た時の様な工事用車両の往来もなく静かである。七倉山荘前から直ぐに七倉沢の小橋を渡り、山ノ神トンネルの入口手前の小道を七倉沢に入る。役100m行くと目の前に砂防ダムが見え、右手には指導標があり七倉尾根の取付である。先行パーティがいる様でトレースがある。ここから1536m付近の尾根上まで急登でジグザグに喘ぎながら登る。踏み固められたトレースのために早く登れたがラッセルがあったら辛かっただろう。1536mピークを過ぎた辺りで先行パーティの幕営跡を見つけた。多人数の様だ。この付近はなだらかであるが、再び1800m付近まで急登となる。その後傾斜は落ち2000m付近にて幕営。風も無く快適。
・七倉8:35⇒七倉尾根1600m11:25⇒1800m13:15⇒TS14:10
(回想)
先行パーティは日大だった。このトレースには助けられた。2日程短縮出来たと思う。
8日(土)曇り→快晴 TS⇒北葛岳直下2430m付近
TSから直ぐに急登となり、また昨夜からの雪のためトレースも消えラッセルに精を出す。少し行くと“ハナツキ”と呼ばれる急登となり目の前に岩場が現れた。赤布に導かれて左から回り込み、ほどよく氷った幅10〜15mのクロアールに入る。キックステップで慎重に150〜200m登ると、やや広くなった尾根に出る。このクロアール正に「氷の滑り台」で落ちたらストレートに下まで行ってしまう。この後、緩やかな尾根が2415mピークまで続いた。なお2200m付近で樹林帯から這い松帯に変わった。2415mのピークからは平坦な広い尾根が船窪小屋まで続いている。小屋の少し手前で先行パーティの幕営跡を見つけた。船窪小屋は小さいが立派で北側には4畳位の冬期小屋がある。小屋でワッパを外し、アイゼンのみで痩せ尾根を七倉沢側の雪庇に気を付けて行くと、間もなく七倉岳ピークである。トレースが烏帽子岳方面と我々が向う北葛岳方面に延びている。ピークより痩せ尾根の急な降りとなる。ザラメ雪で足場が不安定なのと七倉沢側の巨大な雪庇に神経を使った。小岩峰を慎重に幾つか巻くと七倉乗越である。コルの手前は切れていて5m程フィックスを掴んでごぼうで降り、その後は梯子を伝った。この途中で北葛岳を目指す先行パーティが見えた。コルからほぼ夏道通り這い松をジグザグに登ると北葛岳直下2430m付近で、やや広い尾根となる。ここにテントを張る。今日は一日中快晴で景色も良く快適な一日だった。
・TS7:00⇒船窪小屋12:45⇒七倉乗越15:10⇒TS15:50
(回想)
重荷と1年がいたので、途中のクロアールはノーザイルだったが、ここはザイルを使うべきだった。落ちると一貫の終わりである。これ以外は問題なかった。
9日(日)曇り→風雪 TS⇒針ノ木小屋
TSより北葛岳の登りにかかる。信州側に強大な雪庇が張り出した尾根を少し行き、その後、夏道通りにジグザグに這い松帯を登る。ピーク直下から黒部側を大きく巻いて主尾根にトラバースしようとしたが、結局は雪壁を登りピークに出た。この辺は夏道を忠実に進むべきだった。小さな立て札のあるピークから黒部側の広い雪田をジグザグに降り、更に痩せ尾根を雪庇に気を使いながら行くと低木の樹林帯となり、間もなく北葛乗越である。この辺り雪はなく地肌が出ていた。蓮華岳へは北葛岳方面から眺めると、上部は広い尾根で問題無さそうだったが、下部は黒い岩が露出して悪そうだった。また先行パーティもピッチが上がっていない様に見えた。何となく不安であったが、取り付くと、要所には鎖や針金があり、それを掴んでアイゼンをガリガリ泣かせながらごぼうで登った。その後、次々に現れる小岩峰を適当に巻きながら痩せ尾根を行くと、いつしか岩稜も終わりピークへ続く広い尾根となる。この辺りから風雪となり視界も利かなくなった。小さい立て札のある蓮華岳ピークを過ぎると左に折れ広い尾根となる。ホワイトアウトと強風の中、針ノ木峠を目指すが現在地が確認出来ず勘のみで降る。峠の手前で一ヶ所10mの雪壁があり慎重に降った。峠には先行していた女性二人を含む8人の日本大学が幕営していた。日大も我々と同じ様に白馬岳まで行くそうだ。今日はマヤクボのコルまでの予定だが、とてもこれ以上は進めず、ここにテントを張る。針ノ木小屋は完全に埋まり、冬期小屋も使用不可能。夕方より、更に風雪が強まった。
・TS7:00⇒北葛岳7:35⇒蓮華岳13:20⇒針ノ木峠14:15
(回想)
ホワイトアウトには参った。めがねも曇って全く見えなかった。山本が何とか先行パーティのトレースを辿り針ノ木峠に着いた。この時はホッとした。
10日(月)風雪 沈殿
春一番が吹き荒れ沈殿。昼前に日大のテントに遊びに行った。彼らがもう一つ、七倉から燕岳パーティを出しているという。羨ましい限りである。
11日(火)晴れ+強風 TS⇒新越乗越山荘
日大の後に出発。峠より少し行くと針ノ木岳直下まで痩せ尾根となるが、出だしの雪壁が苦しいだけで問題ない。針ノ木岳ピークからほぼ夏道通りに進む。黒部側の夏はガラ場と思われるクラストした斜面をクライミングダウンも交え慎重に降る。尾根に戻りジグザグに降ると間もなくマヤクボのコルである。なお針ノ木峠よりマヤクボのコルまで針ノ木岳の裾を大きくトラバース出来そうに思えた。スバリ岳へは、日大は夏道通りに黒部側を巻いていたが、我々は信州側の行き壁を登った。この後、痩せ尾根を少し行くとスバリ岳である。ピークからは氷ったガラ場をジグザグに駆け下ってコルヘ。更に雪庇に気を付けて痩せ尾根を進むと赤沢岳である。この辺りからは雪原と化した黒部湖と扇沢駅がよく見えるが、黒部側からの吹き上げが激しく嫌になる。鳴沢岳へもこれまでと同じ様な痩せ尾根が続く。ピークから新越沢乗越への下降は、目の前に小岩峰が幾つか現れ悪く慎重に降った。乗越付近は樹林帯となり、風が弱まる代わりに吹き溜まりとなる。疲れた身体にラッセルは堪えた。本日、完全に埋まっている新越乗越山荘の屋根の上にテントを張る。日大は赤沢岳辺りまで抜きつ抜かれつであったが、その後見えなくなった。
・TS7:40⇒針ノ木岳9:25⇒赤沢岳13:40⇒新越乗越16:45
(回想)
鳴沢岳から新越乗越は疲労も加わり悪く感じた。この辺りで遅れる者が出た。しんどかった記憶がある。
12日(水)風雪 沈殿
風雪激しく沈殿。14:00頃、日大は種池目指して進んで行った。
13日(木)快晴 TS⇒鹿島槍吊尾根のコル
乗越を後にアイゼンを利かせ雪庇に気を付けて岩小屋沢岳を越え、種池小屋を目指す。快晴の下、剣岳が素晴らしい。種池付近は、樹林帯となり風は無くなるが、その代わり膝位のラッセルとなる。先行の日大と交代する。種池小屋には日大の他に爺ヶ岳方面からやって来た2パーティがいた。なお冬期小屋は使用可能。爺ヶ岳へは広い尾根をポケポケ登り、三つあるピークは全て黒部側を夏道通りトラバース。更に赤岩尾根への分岐点を右に見てひたすら降り樹林帯を少し行くと冷池山荘に到着。ここも冬期小屋は使用可能で人が大勢いた。時間も早いので鹿島槍ヶ岳を目指すが、布引岳の登りから風が強くなった。冷池より3時間程で鹿島槍ヶ岳に着いた。途中、布引岳付近で休んでいるとヘリが飛んできて全員で手を振った。ピークから急な痩せ尾根の下降となり吊尾根鞍部へ。今日はここまでとし幕営。テントの黒部側にブロックを積んだ。ここからは街の灯がよく見える。
・TS7:15⇒種池小屋10:00⇒冷池山荘12:15⇒鹿島槍吊尾根のコル15:45
(回想)
数年前の5月に鹿島槍に登った。この時の事が懐かしく思い出された。この時に見たヘリは八木のお父さん(朝日新聞に勤務)が飛ばしたもので、新聞にも載った。お父さんは息子の事が心配でならなかったのだろう。
14日(金)曇り→風雪 TS⇒八峰キレット小屋
昨夜から風が強くテントはバタバタとうるさい。テントの周りを見ると昨日積んだブロックが崩れていた。空を見上げると黒い雲が一杯で、天気は下り坂の様である。TSより直ぐに主稜線へ向って幾つものリッジを越えトラバース気味に急な斜面を降る。途中、真っ白のつがいの雷鳥を見た。主稜線は痩せていて急でカクネ里側には雪庇が出ていた。約1時間夏道通りに降ると、問題の八峰キレットに差し掛かる。先ず空身で偵察隊を出した。キレットの約100m手前の小ピナクルのコルから、黒部側に4〜50m下降しキレットへ向ってトラバースする。ここより40mフィックスしてキレットの底へ到着。鎖や針金があるが一ヶ所緊張する所があった。底は幅が1,5m位でカクネ里の方が恐ろしいほど切れている。去年も来たが何度来ても嫌な所だ。ここからカクネ里側のキノコ雪の急な雪壁を10m程右上し、更にキノコ雪の上を10m右にトラバース。この後、10m直上すると広い岩峰のピークに出た。やはり予想通り悪かった。ここから痩せ尾根を30m程進むと黒部側の鎖や針金のへつりとなる。去年は雪も無く全く問題無かったが、今年は新雪が積もり足場が不安定なのでキレット小屋まで120mフィックスした。鎖や針金を掘り出して進むが思っていたより手強い。キレット通過時より風雪共に激しくなり、今日は八峰キレット小屋までとする。ここまで全てトップは空身でルート工作をした。12:00の天気図では日本の上空には三つの低気圧があり、夕方より風雪が更に激しくなった。しかし黒部側にブロックを積むと風も無く快適である。これで縦走も半分以上進んだことになる。
・TS6:50⇒八峰キレット小屋12:05
(回想)
この前年にもここを通過していたが、この時はキレットの底から1Pのみザイルを使ったが、この年は雪の状態が悪くキレット小屋まで全てフィックスした。天気も下降気味で苦労した。
15日(土)風雪→快晴→風雪 TS⇒1,5ピッチ進んだコル
起床時は風雪激しく待機。しかし10:00過ぎより依然強風であるが突然晴れ出発。全て黒部側を行くが非常に緊張した。結局1時間半程進んだコルで行動を打ち切った。雪を崩してブロックを積みやっと一息吐いた。テント設営時より風雪が激しくなり、夕方から更にひどくなった。今日は地図上では僅か2cm進んだだけである。
・TS11:40⇒TS13:15
(回想)
この日は擬似晴天だったのかも知れない。
16日(日)快晴→風雪 TS⇒唐松山荘冬期小屋
雲ひとつ無い素晴らしい天気だ。しかし相変わらず黒部側の吹き上げ風は強く冷たい。TSより直ぐに痩せ尾根を黒部側を夏道を進む。鹿島槍にはキレットに向う日大らしきパーティ。また五竜岳にも数人の人影が見えた。北尾根の頭付近には梯子があり、そこに達するまでの5mのトラバースが悪い。梯子を降ると直ぐにG5の頭となり、更にガラ場を登ってG4の頭へ向う。この辺りペンキ印や針金・鎖が所々にありそれに導かれて行く。G4の頭直下は急になり、頭より痩せ尾根になるが悪い所には鎖があり問題ない。かなり広いコル(テントが4〜5張はれる)に出て五竜岳の登りにかかる。ここは下から見ると悪そうだが、夏道通り忠実に登ると鎖があり問題ない。ただ下部のジグザグの登りでは落石に注意したい。ピーク直下は雪壁となり喘ぎながらラッセルの登り。ピークは風が強く急いで下降に移る。三角点から50m位戻り西へ延びる雪稜を降る。60m位行くと雪壁の下降となり慎重にクライミングダウン。その後、尾根に戻る。直ぐに鎖場があるが、遥か下に見える五竜山荘へひたすら下降。途中、ピークを目指す大勢の人と出会う。この辺り人が多い。去年泊った、思い出の五竜山荘冬期小屋は、今年は取り壊されていて何だか寂しい気がした。レーションの後、唐松山荘を目指すがこの頃より風雪が激しくなり、また疲れも加わりピッチが上がらない。白岳は黒部側を大きく巻き、大黒岳の登りにかかる。この辺り信州側に巨大な雪庇が出ている。樹林帯のラッセルとなりピークへ。この後、夏道が完全に出ている牛首山の登りである。上部では鎖場が続きペンキ印を拾って進む。ピーク付近は岩稜となり鎖を掴んで行くと目の前に唐松山荘が現れた。風雪は更に激しく冬期小屋に泊まる。
・TS7:15⇒五竜岳10:25⇒五竜山荘11:15⇒唐松山荘14:40
17日(月)風雪 沈殿
沈殿。冬期小屋は暗いので時間の感覚が鈍る。12:00頃チラッと晴れたが直ぐに風雪となる。時々強風で小屋全体が唸る。
18日(火)風雪 沈殿
沈殿。風雪激しくとても動ける天気ではない。夕方、八方尾根から仏教大の三人パーティが入って来た。また小屋の東側には近大がいると知った。夕方より強風だが快晴となる。
19日(水)快晴+強風 唐松山荘冬期小屋⇒白馬岳頂上小屋
風は相変わらず強いが快晴の下、白馬岳を目指す。小屋からアイゼンを利かしてポケポケ行くと唐松岳。ここより最後の難関“不帰の検”に差し掛かる。V峰は全く問題ない雪稜となり小岩峰が幾つもある。この辺りテントの張れそうな所が幾つかある。黒部側またはリッジ上を進む。U峰も南峰は問題無し。そして北峰に立つ。ここから1・Uのコルまでが核心部である。先ず梯子で3m位降るとテラス。その下は急に切れている。夏道はジグザグに下っている様だが分からず、這い松を支点として30mの懸垂でテラスに降り立つ。ここで後続の仏教大が追い付き一緒に行くことにした。鎖や針金を掘り出し慎重に40mクライミングダウンしてコルに着いた。ここから信州側に雪庇の出た雪稜となり40mフィックス。この後、切れていて残置ピンより15mの懸垂となる。この支点の横にはレリーフがある。ここで更に後続の日大が追い付き、結局3大学で共に進む。この懸垂は下部数mが被り気味で黒部側に少し振られるので注意が必要だ。この後、キノコ雪の上を信州側から30mトラバース。ここで近大と会う。ここで35mの懸垂でT・Uのコルの少し上に降り立った。コルでは仏大・日大と共にレーションを食べた。T峰を難なく越えると天狗への急登にかかる。ここは強風と長い登りのため非常に辛い。この後、尾根は平坦になり天狗の頭、天狗山荘を過ぎ鑓ヶ岳の登りにかかる。この辺り大した登りも無いのに強風のためピッチが上がらない。杓子岳は黒部側より大きく巻いた。遥か遠くに白馬岳頂上小屋が見え全員タメ息。頂上小屋に近付くにつれ、更に風は強くなりバテバテで何度もふらつきながら、やっとのことで小屋に到着。冬期小屋に泊まる。中には仏大のサポート隊の二人がいた。小屋の中には期限切れのデポが一杯ありラッキー!
・唐松山荘6:50⇒唐松岳7:10⇒不帰U峰北峰7:45⇒T・Uのコル10:40⇒天狗山荘13:40⇒鑓ヶ岳14:45⇒白馬頂上冬期小屋16:40
(回想)
不帰は八峰キレットと共に核心部であったが、晴天にも恵まれてスムーズに通過できた。なお、難易度は八峰の方が数段難しい。不帰は殆どが懸垂であった。この後の白馬ホテルまでが遠かった。強風も加わりバテバテ。結局、この日にホテルまで達したのは我々だけであった。
20日(木)ガス+強風→晴れ 白馬岳冬期小屋⇒栂池
昨夜からの強風のため小屋がギーギー唸る。小屋を出ると物凄い強風で白馬岳ピークまで何度も飛ばされそうになった。ピークはガスのため全く視界がきかず黙祷後直ちに降る。全く問題の無い雪稜が続くが何しろ風が強く嫌になった。小蓮華岳を越えると風も多少収まり間もなく白馬大池。山荘は完全に埋まっている。大池も雪原と化し、真ん中を横切り白馬乗鞍岳に着く。シリコも交え快適に下る。この辺りより人も増え、栂ノ森はスキーヤーの世界であった。汚く日焼けした顔をお互い見ながら大勢の人で賑わう親ノ原へと下った。とにかく多少のミスはあったが全員よく頑張った。なお合宿終了後、今井・大勝は白馬岳から不親知への縦走。山本・西岡は不帰東面へと向った。
(後記)
主稜線上では黒部側からの吹き上げ風が恐ろしいほど強く、悪い箇所では非常に緊張した。またこれにより顔面凍傷になる者が続出した。この強風に対して高所帽と薄い目出帽・ヤッケのフードの組み合わせで臨んだが有効であった。ヤッケのフードを被ることは当部では“お互いの声が聞こえなくなる”という理由で禁止していたが、そんな事は無かった。今後、積雪期の後立を縦走される方は風に対する対策を十分に考える必要があると思う。鹿島槍・五竜・白馬の辺りは特に風が強い。八峰キレットと不帰はポイントであった。ルートは夏と同じで無雪期に一度登っておいた方が良い。正月前後や3月ではトレースがあり迷うことはないと思うが。ザイルは9mm×40mを3本持参したが2本でも十分であった。しかし1本ではダメである。不帰では30mと35mの懸垂下降があり途中で切り難い。その他、北葛乗越〜蓮華岳。八峰キレット〜五竜岳。大黒岳〜牛首山。これらは、我々は登りであったが下降の際は注意しなければならないと思う。冬期小屋は、船窪・種池・冷池・唐松・白馬が使用可能であった。針ノ木峠・八峰キレットは雪に埋まり使えなかった。五竜は、去年は開いていたが今年は取り壊してあった。
(回想)
長い縦走だった。今でも松本の自宅から後立を眺めると当時が思い出される。あの頃は元気一杯だった!
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