1 パウル・バウアー著・伊藤愿訳『ヒマラヤに挑戦して』黒百合社(1931)
訳者伊藤愿(1908−1956)は旧制甲南高校昭和4年卒後京都大学法学部に進学。甲南、京大時代を通じて当時の学生登山界を
代表する先鋭的クライマーとして活躍し、北穂滝谷の単独初登攀などで知られる。甲南山岳部の部歌の作詞者でもある。
本書は京大在学中の訳出。
原著(Paul Bauer “Im Kampf um den Himalaya”
Knorr und Hirth, Muenchen, 1931 )は、カンチェンジュンガを目指した
バウアー率いる1929年のドイツ隊の報告書である。登頂には成功しなかったが、団結と敢闘精神を基調としたドイツ魂を前面に、
極端に経費を切り詰めて遠征を実現させた点で広く登山界に刺激を与えた。本訳書は当時の日本の登山界に大きな反響を呼び、
ヒマラヤ遠征を目指した学生達のテキスト的存在となった。本書訳出の5年後(1936年)、訳者伊藤愿は京都大学士山岳会の命を受け、
K2遠征のための折衝に単身渡印し、シムラ、ダージリンなどを旅し、シンガリラ尾根パルートへの山旅でエヴェレスト、
マカルーなどを遠望、そしてカンチェンジュンガ、ジャヌーなどの迫力ある南面に身近に接した。
また、戦後間もない昭和26年に渡欧の機会を得て、ミュンヘンに著者バウアーを訪ね歓談した。
近年,
原書訳出の実に61年後(訳者没後37年)に、文庫化され、京大学士山岳会の
上田豊氏がその解説を執筆。 伊藤愿と本書出版の背景を詳述している。1973年、
京大隊によるカンチェンジュンガ西峰(ヤルン・カン、8505m)の初登頂の際、
登頂隊員の上田氏は隊長の西堀栄三郎氏が房子夫人から託された伊藤愿の遺影をその頂上に埋めたという。
中公文庫 (1992)定価520円