6 田口二郎著『東西登山史考』岩波書店・同時代ライヴラリー(1995定価950

  

 著者(別掲4参照)には出身校の甲南、東大の山岳部の機関誌に始まり、日本山岳会関係の
定期刊行物などに数多くの優れた執筆歴があるが、晩年に至るまで著作の刊行がなかったが、
登山界で誰もが一目を置く論客にして文筆家の処女出版を求め、既稿のまとめを薦める編集者
からの誘いには消極的であったと聞く。

 本著は80歳を越えた著者の渾身の書き下ろしである。ヨーロッパ・アルプスそしてヒマラ
ヤで第一級の登山を実践してきた著者ならではの東西登山文化論が展開され、日本古来の登山
文化とヨーロッパ起源の近代アルピニズムが、我が国特有の山岳景観を背景にした静観思想と
融合して、日本型アルピニズムを成立させていったかの過程を、読者に納得させてくれる。上
梓以来本著は、登山文化、登山史を研究論考する者の避けて通れぬ存在となり、他者の著作で
の引用頻度が抜群に高い名著となっている。

 本著の完成に至る過程では、著者と著者を敬愛してやまない編集者平井吉夫(昭和32年甲南
高校卒)の出会いが重要な役割を果たしたことを付記しておきたい。夏の鎌倉の田口邸で、既
に眼が不自由となられていた著者が、信頼し期待する編集者平井に分厚い原稿用紙の束が手渡
された時に飯田進と小生が立ち会った記憶が今もよみがえる。平井は、その後上梓に漕ぎつけ
るまで一年半の間の著者との頻繁にして長時間にわたる気迫のこもった電話のやり取りを懐か
しむことしきりである。

 後に出版された「田口二郎・山の生涯」の下巻の付録に田口夫人エルナさんの次のような手
記がある。「主人との巡り逢いはスイスの山が縁結びと言えます。晩年になっても主人の山に
対する情熱は一向に衰えず、83歳になって出版した『東西登山史考』は最後の登頂でした。」

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