8 小川守正著『青春の山・熟年の山』−山と飛行機とわが人生− 私家版(1998

 

 著者小川守正(1922− )は昭和17年旧制甲南高校卒。九州大学航空工学科卒。元甲南
 学園理事長。

  卒業後も、松下電器の要職にあった超多忙の時期を除き、山に登り続けた。終戦後の困難な
 山岳部の復活に際してもOBとして指導的役割を果たし、甲南山岳部80年の歴史を最も熟知
 する一人である。

  本書の冒頭「山と飛行機とわが人生」では、著者の甲南高校、九大航空工学科、戦時下の川
 西航空機での設計要員時代、海軍航空隊、復員後の生活、松下電器在職時代など 来し方が簡
 潔にとめられ、続いて「青春の山」では甲南高校での山岳部生活、「戦後の山」では甲南の後輩
 もしくは職場の山仲間との山行、「シルバー登山記」では著者60
~70歳台の海外登山などが
 語たられている。それぞれの時代を反映させ、しかもユーモア溢れる筆致が楽しく、更に旧制
 甲南高校山岳部の雰囲気を今に伝える貴重な文献として価値のある読み物となっている。第二
 次大戦直前から戦中にかけての「ピッケルをすてて鉄砲をかつげ」の時代に、配属将校や学校
 当局を相手に山岳部存続をかけて抵抗し、山岳部廃止を宣言された後も、部室の扉に
Konan
 Alpine Club
と大書して山行きを続けたくだりなど痛快である。
  日本の登山史を飾るいくつかの登攀記録もある。剣岳小窓尾根側壁初登攀、不帰岳1峰尾根
 積雪期初登攀などの他に、終戦直後の食糧難の時代、復員後間もない著者は現役高校生ととも
 に積雪期の前穂高北尾根への徳澤小屋からのラッシュ登攀を行った。遭難寸前で無謀とも思わ
 れるが、この時代の山岳史に残る記録として残る。

  なお、著者は阪神淡路大震災の時の甲南の理事長として、迅速な仮校舎建設による授業再開、
 更には時の文部大臣を強引に被災キャンパスに案内して政府の復興資金の確保を取り付けるな
 どの大活躍をされたのだが、著者曰く「甲南山岳会から甲南学園に出向中のことだった」。


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