14 ラインホルト・メスナー著 平井吉夫訳 『裸の山』― ナンガ・パルバート
山と渓谷社 (2010年) 定価1800円
訳者平井吉夫については別掲10を参照のこと。訳書数の多い平井だが、山岳書といえる
ものの翻訳は初めてである。待ちに待ったというべきか。
原著
Reinhold Messner “ Der nackte Berg. NangaParbat” Piper Verlag. Muenchen, 2002
1970年、ヘルリヒコッファーの率いるドイツ隊によるナンガ・パルバート隊に参加したメ
スナー兄弟は、難攻不落とされていた南壁・ルパール壁の初登攀に成功する。余儀なく選ん
だディアミール側への下山中、雪崩で弟ギュンターを失うというラインホルトにとっての栄
光と悲劇の物語は、実はこれでは終わらない。隊長ヘルリヒコッファーの意に反した頂上ア
タック、それにつづく北面への縦断、弟の遭難死、に対する相互の誤解は激しい怨念となり、
長い年月に及ぶ訴訟合戦へと持ち込まれる。そして敗訴。1971年にメスナーが著した『ナンガ・
パルバートの赤い信号弾』は出版差し止めと絶版を命じられる。
以後のメスナーの無酸素、単独による高所登山の超人的な業績への原点となったこの遠征
につき、32年後の出版となったのが本書であり、還暦を迎えての彼の総括と、ヘルリヒコッ
ファーの遺族との和解がその動機となっている。本書ではナンガ・パルバートの劇的な登山
史もうまく纏められおり、これ一冊で魔の山ナンガのことが理解できる。
それにしても、メスナーの強烈な個性には圧倒される。平井がこの翻訳に取り掛かった頃、
メスナーに会いに行かないか、と誘われたことがあった。本書出版後に開かれた日本山岳会
での「メスナー兄弟のナンガ・パルバート横断をめぐって」と題した講演のあと、今でもメ
スナーに会いに行きたいか、との私の質問に彼は「いや、もうええわ」と応えた。
本著の映画化:邦題「ヒマラヤー運命の山」 原題「Nanga Parbat」
2011年8月6日本邦公開予定